十六歳 その3

「うわ、でかっ!」


 可奈子は、こんなに近くで花火を見るのが初めてだった。ほとんど真上と錯覚するような高さで、今年一発目の花火が弾けた。

「何か降ってきそうだね」

「大丈夫、ここまでは飛んでこないはずだよ」

 長谷部優は顔を上げたまま言った。


 実際、可奈子たちがいる河川敷の芝生エリアはかなりの穴場だった。人はそこそこいるけれど、スペースはあるし、何より大迫力の花火を見られるんだ、と優はずっと前から言っていた。


 確かにその通りだ。花火って爆発なんだ、と実感できるほどの音の振動が、体全体に響いてくる。


 二発目は、緑と黄色の交じった、また大きな花火だった。あまり遠くないからか、音と映像がほぼずれていないのも逆に新鮮だ。


「やっぱり近くで見てもすごい綺麗だね」

 と言うと、彼は満足そうににっこりと笑う。

「ほんと無事に来られて良かったよ。これが見たくて頑張ってきたようなものだからさ」


 彼はそう言いながらも、依然として上を見たままだった。もう今の跡は完全に風で流された、何もない空だ。


 今日は妙に口数が少ない。

 もうこの服のことは、触れてもらえそうにないだろう。可奈子は正座の足を崩しながら思う。


 仕方ない、可奈子自身うまく着こなせているか分からないのだ。母親には似合ってるよと言われたけど、大体彼女のファッションセンスじゃ当てにならない。


 浴衣はやっぱり、着てこなくても良かったような気がしてくる。いや、でも一生に一回くらいはこういうのを着たい、と言ったのは自分だ。


 しかしこうも、動きづらくて暑くて手間のかかる服だとは思わなかった。見た目は華やかでも、これじゃ損の方が大きいんじゃないかとさえ思ってしまう。


 花火というのは、基本的に暗いところで上を見て楽しむイベントなのだ。ならどんな服で行くかは、そこまで重要じゃなかったのかもしれない。


 しまった、考え事をしていたら無言になってしまう。

「あ、そういえば最近サザンクロスの新アルバムが出たね」

「うん。発売日に買っちゃったよ」


 唐突な話題だったので、流石に彼は可奈子の方を見る。でもちらりとだけで、今度は体育座りをする自分の足元に視線が移ってしまった。


「私も最近聞いてみたんだけどさ」

「ほんと?どう、気に入った曲とかあった?」

 好きな物の話をする時の彼には、おもちゃを前にした子犬みたいな可愛らしさがある。今にも舌を出して尻尾を振りそうな勢いがある。


「ナントカ・ムーンナイトトレインってのがあったよね」

「あー、『Take the Moon Night Train』ね!やっぱりシングルの時点でミリオンセラーになっただけあってさ、もうイントロからやばいんだよねあの曲は」

「今花火見てたら思い出したんだよね。こういう、雲ひとつない夜の歌なのかなって」

 夜の暗さは、あっという間に訪れる。もう日は沈みかけていた。


 うーん、と彼は曖昧な相槌を打った。大体考えながら人の話を聞くと、彼はこうなる。

「そうだね。ああいうファンタジーな曲、好きだなあ」

 うっとりするように、優は腕を組んだ。


「さすが可奈子、分かってるね」

「あの世界観を『なんかいい』とかで済ます誰かとは大違いでしょ」


 うつむいていた優は、上目遣いで可奈子を見る。

「その誰かっていうのは?」

「能勢ちゃんだよ。あの人さ、サザンクロス好きなくせに世界観の本当の良さみたいのを分かってないんだよね。ギターソロのとこだって『変わった音だよね』とか言っちゃってさ。いやあのひずむ感じが良いんじゃんって思わない?」

「うん、そうだね」

 優はさっきまで見せなかった笑顔を浮かべた。


 やっと笑ってくれた。

「あいつめちゃくちゃだよ」

「ほんとにね。いっつもいい加減で困るよ。優くんとは大違い」


 頭上で複数の花火が広がる。空が様々に彩られる。

 その光が断続的に、優の顔を照らした。


 光の当たり方というのは不思議なものだ。この一瞬、彼の笑顔には影ができて、今さっきと全然違う表情が浮かび上がるように見えた。


 可奈子にはそれが、どこか空っぽで寂しそうな表情に思えた。

 ピエロのお面の顔が、泣いているようにも笑っているようにも見えるのと似ていた。


「ありがとう」

 花火が消えた時、彼はつぶやいた。もうさっきの複雑な表情は見えなかった。

「そうだ可奈子、何か食べ物欲しくない?買ってこようか」

「ああ、うん」


 唐突な提案に、反射的にうなずいてしまう。しかも食い気味に地面に手をつけ、気づいた時にはほとんど立ち上がっている。

「何が良い?チョコバナナ?それともわたがしとか?」

「わたがし、で良いよ」


 こんな蒸し暑い時には、冷やしきゅうりなんか食べたいな、とか思っていたが、そこまで口にする勇気がなかった。


 優はそそくさと、何かにせきたてられるように歩き出した。何かまずいこと言っちゃったかな、とは思ったが、慌てて行動を起こすようなことなどないはずだとも思った。


 その時。


「あれっ?」

 と、思わぬ方向から声がする。初めは自分と無関係だと思い込んでいた。

 が、次の一言で背筋がピンと伸びる。

「可奈子だよね?」


 はっと振り向くと、浴衣を着た女の子が小走りで近づいてきている。

 もうそのフォームだけで、誰かは分かった。

「ミカ!」

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