十四歳 その2
ざああと雨の音は続く。
「で、能勢ちゃんは何でここにいるの?男子は集まってトランプやってたじゃん」
「そういう気にならなくて」
「あら、珍しいね。いつもは能勢ちゃんが始める側でしょ」
「いつもはそうだけど、今日は違うんだよ」
可奈子も葉月に倣い、バーベキュー場に体を向けたまま彼の隣に並んだ。
雨樋から落ちる滝がちょうど、二人の間を落ちていた。一歩前に出れば大粒の雨に濡れてしまうコンクリートの際に、二人は立っていた。
「バーベキュー、そんなに楽しみだったんだ?」
「そりゃあそうだろ。俺これのためにキャンプ来てるようなもんだから」
「ええ?キャンプファイヤーとか山登りを差し置いて?」
「そうだよ。俺は食にしか興味がないんだ」
「でも、焼肉でも同じ肉使うんだよ」
「違うんだ、焼肉じゃアウトドア感がゼロなんだ」
「あ、あうとどあ感」
その単語によほど引っかかったのだろう、可奈子は初めて聞く言葉のように繰り返した。
「まあよく分かんないけど」
「分かんなくて良いよ」
これほど尖った声を出すつもりではなかったのだが、葉月の言い方は明らかに不機嫌だった。
三秒の沈黙でも気まずかった。葉月はこれといった話題も思いつかず、ただ雨が地面に跳ねるところを観察していた。
一方可奈子はその辺りを見ていなかった。すぐ横にいる葉月の表情が気になっていた。どんな顔をして今黙っているのか。私は何か彼の機嫌を損ねるようなことをしただろうか。
もしかして、ここに来ない方が良かっただろうか。
めまぐるしく可奈子の頭の中では色々な意見が飛び交ったが、それを顔には出さなかった。
何分間、そうして無言でいたかは分からない。少なくとも二人には異様に長く感じられた。
「女子はね」
少し声が上ずってしまい、可奈子は咳払いする。
「なんて?」
「男子は今トランプしてる頃だろうけど、女子はさっきから、恋バナとかしてたよ。テントで集まってさ」
こいつ何が言いたいんだろう。
「それを俺に言う?」
「気になってたかなと思って」
「気になりゃしないよ」
「じゃ、キャンプファイヤーの話も興味ない?」
はっと、葉月は息を止めた。ここで彼が何も言えなくなったのには、もちろん理由がある。
このキャンプはここまでで三十一年間続けられて来た伝統行事のようだが、その歴史の中でいつからか語り継がれてきたジンクスが存在する。葉月と可奈子も、一年生の時から当たり前のように知っていた。
『キャンプファイヤーの火が消えるところを一緒に見た二人は、ずっと結ばれます』。
誰もが知っているにも関わらず、誰もが秘密の話をするトーンで語り継いできたジンクスだった。どこかの本に書いてあったわけでもないが、そもそも中学校のこういった類の話には、原典など存在しないものである。
これがきっかけで、キャンプ最後の夜に行われるキャンプファイヤーが終わる頃、こっそり誕生するカップルが毎年現れていた。
「まさかアレ信じてるの?お前もガキンチョだな」
「ひどい言い方だなあ。良いじゃない、そういうの好きだってさ」
「オレは興味ないね」
「嘘つけよ〜素直じゃないなあ」
可奈子は今、強めの雨をぼんやりと見て顔をわずかに傾けていた。うっすらと貼りついたような表情が、葉月には笑顔に見えた。
「じゃあ私から教えてあげよう」
「いいって」
「
またしても、葉月は声を失う。
加納真希といえば学年でもトップレベルの人気者。ルックス、性格、運動神経、どこを取っても完璧。少し日焼けした肌と爽やかな笑顔がチャームポイントのアイドル的存在だった。
彼の表情の変化を可奈子は見逃さなかった。
「そう、能勢ちゃんが狙ってた加納真希だけど」
「何回も言ってるけど、それはない」
「ああそう?その真希ちゃんだけど、残念ながらあの子は明日チャレンジするらしいよ」
「誰に?」
彼の食い気味な姿勢に可奈子は落ち着いて答える。
「桐野くんだって」
「涼かよ!」
「それも真希ちゃんの一目惚れだってよ。能勢ちゃんには勝ち目ないね」
「か、勝ち目って言い方はおかしいだろ」
なるべく平静を保つように、葉月は言った。
しかしこういった時の可奈子の勘はただでさえ鋭く、しかも葉月はこうした場面で動揺を隠すことが得意ではなかった。
「ま、これを聞いてどう思うかは、個人の自由だけど」
「ていうか可奈子、そういう女子のトークを俺に話しちゃって良いの?」
可奈子は一瞬葉月の言葉の意味を理解できなかったが、突然気づいて「あっ」と目を丸くする。
「これ、明日まで内緒ね」
「おい、ダメなんじゃねえかよ」
「能勢ちゃんならまあ良いかなって」
「そんなことないだろ」
「だって能勢ちゃんって女子とも普通に話すし」
どうしてこいつは、基本的にこっちを見ないんだろう。葉月は目だけ動かして可奈子を視界に入れようとするが、彼女の表情は上手くうかがえない。結局目に入るのは逆光で暗く見える屋根の縁と、灰色の雨だけだ。
「そんなことはない」
「そうかなあ」
「まあ、良いよ。どうせこんな話するような相手もいないし」
「どうもありがとう」
誰が誰のことを好きだとか、そんな恋愛話のどこに、女子があれほど惹かれる要素があるのだろう。つくづく不思議だと葉月は思った。
雨の勢いが、またほんの少し増したように感じられた。見た目の変化はないが、音が大きく、激しくなった。
「女子から告白なんて、なかなかすごいよね」
ざあざあという音に混じって、彼女の声は無機質に聞こえた。
葉月はキャンプファイヤーの後、あの加納さんが頬を赤くして涼に告白する、その場面を無意識に想像した。涼のやつきっと、いや絶対その申し出を受け入れるだろう。
「すごいな」
今何時かは分からないが、まだしばらくは夕食の時間にならないだろうと思われた。
二人ともその場から動かずお互いの様子をうかがうのも止めて、ひたすら前を見ていた。
雨の激しさにしたがって、雨樋の滝がコンクリートを打つ音もより大きく響く。屋根にも反響し、もはやそれしか聞こえなくなるほどの勢いになっている。
もう何の話題も残っていないこの場で、「そろそろ行こうか」の一言が、どうしてこんなにも言いづらいのか。二人はその不思議さにすら気づかなかった。
ひょっとすると二人は、お互いが隣にいることを忘れようとしていたのだろうか。もし誰かが屋根の下に並ぶ二人を見ていたなら、彼らの間にそれほどの距離を感じ取るのも何ら不自然ではないだろう。
しかし私には、むしろ逆なのではないか、とも思えてしまうのである。
どうにせよ、真相は本人たちのみぞ知るものである。この点にこだわりすぎることは避け、次は中学校最後の体育祭の話に移らせていただきたいと思う。
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