十四歳 その1

 二人の中学校では六月になると、一、二年生合同でキャンプに行くのが恒例だった。バスで一時間半ほどの山奥のキャンプ場で三泊四日、ここの生徒なら誰もが楽しみにするイベントだった。

 特に二年生は去年同じことをしているだけ余裕があり、不安より楽しみ成分が大きかった。


 それだけに二日目の昼頃から雨が降り出した時には、葉月のテンションは表現しようのないどん底にあった。

 テントは一日目に張っていたし、屋根のある施設もあったから、雨をしのぐことはできた。だが問題はそこではない。


 二年生になった葉月にとって最後のキャンプだ。中学最後のキャンプは一生に一度だ。

 ——予報ではずっと晴れだったじゃんか。

 今夜は、屋外でバーベキューをやる予定だったのだ。しかし夕方五時の時点でざあざあ降りだったため、屋内の施設で焼肉、ということになった。


 なんと風情のない変更だろう。そんなのキャンプでやらなくたって良いことだ。

 夕食は七時からで、それまでは「自由時間」とされていた。みんなそれぞれのテントにこもり、真面目な生徒は「今日の記録」を書き始めたし、遊ぶのが好きな生徒たちは自前のトランプでゲームを始めていた。


 葉月は、どちらもする気分になれなかった。

 一人で「俺トイレ行くわ」とテントを抜け出し、屋根のあるところを中継しつつ走り、焼肉をやる予定の施設の脇を抜け、バーベキューをやるはずだったスペースに向かった。

 百人ぶんのバーベキューができる広さだ。去年の今頃はここにコンロが並び、葉月たちは薪に火をつけようと悪戦苦闘していた。

 今はそのコンロすら置かれておらず、ただ雨に濡れた土の地面がそれ特有の匂いを漂わせていた。


 葉月は屋根を探した末、蛇口やかまどの設置された食材準備スペースを見つけた。薪が積んであり、そういえば去年、自分はここから薪を運んでくべる係だったことを思い出す。アスファルトの床に踏み込むと、自分の足跡だけがくっきり残る。

 雨は勢いを増していた。ちょうど彼の頭の上では、雨樋が滝のような勢いで雨水を流していた。


 去年の様子を目の前の景色に重ねると、一層憂鬱な気分になる。

 ここが去年のキャンプで一番盛り上がった、バーベキューの場所だとは信じ難かった。丸い柱も一枚板のテーブルも切り株のような椅子も見覚えがあるが、それらは太陽の光でもっと明るい色をしていたし、こんな湿気て生気を失ったような雰囲気も出ていなかった。


 木の椅子に座るのは何となく気が引けた。葉月は湿った柱にもたれかかり、ひたすら何もないバーベキュー場の地面に雨粒が落ちる様を眺めることにした。


「まあ、山の天気は変わりやすいからね」

 いきなり後ろから声がしたのは、彼がその場に居続けて一分ほど経ってからである。

 その声は平たい天井で跳ね返って反響し、おそらく実際より大きく聞こえた。葉月は飛び上がりそうになり、すぐ後ろを向いた。


「可奈子?」

 可奈子とは二年生になっても同じクラスだった。しかしキャンプの班は今年も違う。

「雨でそんな落ち込まなくても」

「いやそういうわけじゃないけど——お前何でここにいんだよ」

「私?ああ私はほら、班長だから、焼肉の準備。今椅子とかテーブルとか並べてきたんだよ。でテントに帰ろうとしたら能勢ちゃんが見えたから、追っかけてみた」

「追っかけんなよ」

「ん、来たらまずかった?」

 小首を傾げ、可奈子はまっすぐ葉月の目を見据える。

「まずいっていうか」

 葉月はどうして良いか分からず、背中がムズムズするような感覚に陥る。


「ほら、あれだろ——変な噂とか、広まるかもしれないだろ」

「変な噂って?」

 その声や顔に、からかいの意図は一切感じられない。

 葉月は言葉に詰まる。こいつ、本気で分かってないのか。


「こう、こんな感じで、誰にも見られないところで話してたら、一応お前も女子なわけだし——」

「一応ってのは失礼だね。私はれっきとしたレディだけど」

「気持ち悪い言い方やめろ」

 彼がむきになっているところ、自分と目も合わせようとしないところを見て、可奈子ははっとする。


「あー、分かった。能勢ちゃんってそういうの気にするタイプなんだね」

 な、と彼の口は動いたが、声が出ない。

「大丈夫だよ、ここ誰にも見られないし」

「でも万が一だな——」

「万が一見られたってさ、私たちそういうんじゃないんだから大丈夫だって!」

 手を顔の前で振り、笑いながら彼女は言った。


 葉月は返す言葉に困り一瞬固まってしまう。

「そう、だけど」

「でしょ?何でもないって堂々と言えば良いんだよ」

 それはそうだ。彼女の言うことは間違っていない。葉月は確かにな、と頷きながら、何となく可奈子を視界から外した。

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