十五歳 その1
「あ、日焼け止め忘れた!」
「さすが可奈子、三年連続で忘れ物記録更新だ」
「本当におっちょこちょいなんだねー」
クラスメイトたちが口々に声をかける。
九月とはいっても、まだ日差しが強く気温も真夏の高さだ。毎年そうなのに、どうして屋外かつ日陰もろくにない総合運動場で体育祭なんかやるんだろう。
三年目になっても結局天気が崩れたこともなく、女子たちにとっては汗も日焼けも避けられない、忌まわしい行事と認識されていた。
グラウンド脇の芝生に、クラスごとにスペースが割り振られ、そこに各々レジャーシートを敷いて座っている。今日は一日、そこが行動の拠点となる。
正直言って可奈子は日焼けのことをそこまで気にしない方だったが、それでも今日の、肌で紫外線を感じてしまうほどの日照りには気持ち的に耐えられなかった。
「これ、使う?」
そう言って手を差し出してくれたのは、今年初めてクラスメイトになったかわいい子だ。名前は——なんて言ったっけ?
「あ、ありがとう!」
見るからにいつも可奈子が使うのより高級そうな日焼け止めだ。塗っても全くベタつかない。
ちょっと申し訳ないとは思いつつ、しっかり使ってからそれを彼女に返す。彼女は受け取ってから、自分の腕にも塗り始めた。そうか、こういう子は日焼け止めへのこだわりも半端じゃないんだな、と思う。
そうこうしているうちに、トラックの方からくぐもった聞き取りづらい音が響く。
『男子 千五百メートル走に出場する生徒は、トラックに集合するように——』
自分は女子なので考えたこともなかったが、このタイミングで長距離を走らされる選ばれし男子はほんとに気の毒だ。
このタイミングとはどのタイミングかというと、昼食の直後である。
可奈子はそもそも女子千メートル走にもエントリーしていないので、ここから四十分程度は暇だ。レジャーシートの上で友達としゃべくって過ごすのが毎年の定番である。
対してこの体育祭に一年を賭ける体育会系の男子たちは、ここからが本番だ。それまでの百メートル走やらリレーやらはほとんど肩慣らしか、余興のようなものなのだろう。
「あ、千五百メートルは誰が出るんだっけ?」
「えっと四組は——」
いつも元気なサッカー部のミカが、昨日のホームルームで配られた藁半紙を広げる。
「シバタシュウジ、キリノリョウ、ハセベマサル、の三人かな」
「柊二また出るの?さっき五百メートル出たばっかりなのに」
日焼け止めを貸してくれた子が意外そうに言う。
「最初の方で五十メートルもやってたね」
「なんだあのスタミナおばけは」
人数の都合上、一人の生徒が二つの競技に出ることまではよくある。しかし三つ出るのは、よほど体力に自信がある人だけに限られてくる。
確かに
「でもさ、柊二くんっていっつも部活でこれくらい走ってるわけじゃない?それだったら楽勝なんじゃないの?」
可奈子は純粋な疑問を口にしただけだったが、他のみんなにとってはちょっとずれたコメントだったようだ。そこにいた女子の視線はもれなく、可奈子の顔に集まってしまう。
中学校三年目にもなると、こういったことは彼女にとって日常茶飯事だった。特に困ることもないので、こういう時はのほほんとした顔でやり過ごすことにしている。
「あれ、柊二くんって何部だっけ」
「卓球部ね」
日焼け止めの子が優しく答えてくれる。
ああそっか、部活ではさほど走ってないんだ。ここでみんなの視線の謎が解ける。場の流れをスムーズにするため、可奈子は次の一言を絞り出す。
「卓球部にしては運動できすぎだよね」
「そんなこと言ったら可奈子のカレシだってさ——」
「あーはい、それ以上は禁止!」
早口で叫ぶ。急にその単語が出てくるとどきっとしてしまう。
彼女たちは「もう〜」などとおかしそうに笑っている。かたやこっちは顔が急速に熱くなって、ただでさえ熱中症になりそうなのに、全くひどいもんだ。
可奈子は六月の修学旅行で、想像もしなかった男子に告白された。
名前は
部活は将棋部で、個人戦の大会でも結構優秀な成績を収めているようだ。それでいて体育祭の千五百メートル走にも出てしまうのだから、ミカがここでその話題を出してくるのも無理はなかった。
ただ、恥ずかしい。自分の付き合っている人の話を、人前でされるこのむず痒さ、言葉で表すことはできないだろう。
「もう何ヶ月になるんだっけ?あれ、いつから?」
日焼け止めの子が聞くので、仕方なく可奈子は答える。
「……修学旅行」
ああー、とかフゥゥー!、とか、とにかくオーバーな反応が返ってくる。可奈子としては顔を覆わずにはいられなかった。
「やめてって!もう」
「照れちゃって可愛いな!」
ミカの言葉にもっと恥ずかしくなる。
「もっと詳しく聞かせてよ」
「嫌です」
「そういえば聞いてなかったね、いつもはぐらかしてくるんだもん」
おい、日焼け止めっ!
と思ったが、もう彼女は別の何かを持っている。これって——サングラス?しかも金縁のやけにオシャレなやつだ。そんなもの普通持ってくるか?
「ねえ、どうやって告白してきたの?」
ずるいことに、そのまま彼女はグラサンをかけてしまう。表情を隠したいのはこっちだ。
しかしもう逃げ場はない。ミカやサングラスの子以外にも、話を聞いていた他の女子たちが身を乗り出してまで可奈子の話を聞こうとしていた。
「あの——あの、ちょっと待って。ほら話をまとめるから」
「そんなこと言って逃げるつもりかあ?」
ミカ、あなたは基本的に味方だと思ってるけど、こういう時はしゃべりすぎだぞ。
精一杯睨みつけようとするが、そもそも可奈子は「睨む」という行為に成功したことがない。側から見れば、ただ一定時間相手をじっくり見続けるだけの時間になってしまう。
今回もそうだった。効果なし。
どうやってこの場を回避しようか?今後もネタにならない程度に、そして優くんにも怒られない程度に、ちょっとだけ情報公開しようか。でも、どこがいいだろう。どの部分なら話しても大丈夫だろうか。
可奈子は記憶を巻き戻す。修学旅行二日目の、あの決定的な瞬間まで。
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