二十二歳 その1
『みんなお久しぶり。突然だけど、今年の十月最後の週末、空いてる?』
葉月の元に、石神翔太から突然のメッセージが届いたのは、大学四年生の夏休みだった。
存在すらも懐かしい『T.S.Eliot』のグループチャットだった。高校の文化祭が終わって以降動かなかったグループの通知に、葉月は目を疑った。
その連絡を受け、葉月たちは思いがけないタイミングで再会することになった。
翔太は京都の大学に通っている記憶があった。仙台から新幹線を乗り継いで四時間以上はかかるが、翔太に会うためなら躊躇うことはなかった。
その日は清々しい晴れで、陽の光が暖かく、爆発的に花粉が飛んでいた。
今日は、軽くはあったがしっかり花粉の気配が感じられた。大量に持ってきたポケットティッシュを次々消費していく。
「は、秋にも花粉症ってあんの?」
牧野慎二は「肉巻きおにぎり」を頬張りながら言った。
「あんだよ、ちゃんと勉強しろ三年生」
「おい今俺が浪人したの関係ないだろっ」
「秋って、ブタクサとか?」
高岸沙耶香は慎二の向こうから、上半身を乗り出す。
慎二は高校の頃から数年間、髪型以外何も変わっていないことで有名だった。今は謎のツーブロだが、顔や背格好に変化がないおかげで、遠くからでも何年ぶりでも彼を慎二だと認識できた。
しかし沙耶香は違う。
高校の頃は端的に言って、文学少女な感じだった。バンドの時は多少はっちゃけた雰囲気を出していたが、基本は大人しくてクールな女子のイメージだった。
今の沙耶香はそのクールさこそ残っているが、ライトブラウンのワンピースや金の髪留め、ぴったり整えられた黒髪などから、ちゃっかり都会の女性な雰囲気を醸し出していた。
あとはそう、銀縁メガネがなくなってコンタクトになったのも大きいはずだ。
「そうそれ、ブタクサってやつ」
「でも能勢ちゃんって高校の頃からそうだっけ?」
「大学入ってからなんだよ。花粉症って大人になってから突然発症する場合もあるらしいぞ、お前らも気を付けろよ」
ふうん、と沙耶香は感情ゼロの表情で頷く。
「何に気を付ければ良いんだ...」
慎二がぼそっと言ったのも聞こえたが、これは無視した。
「ところで——」
葉月たちは翔太の大学の文化祭に来ていた。翔太がグループチャットで誘ってきたのは、今大学で彼がボーカルをしているバンドの、最後のパフォーマンスだった。
ただし「最後の」の前には「大学生としての」が付いている。
メッセージによると、翔太たちの結成したバンドは既にライブハウスでもそこそこの客が入るようになっていて、なんとCDデビューも決まったのだという。
『そもそもの始まりは僕のことバンドに誘ってくれたみんなだから、是非お礼がしたくて』
ということで、葉月たちは文化祭におけるバンド企画のトリとなった翔太たちの演奏を、特等席で見られることになったのだ。
時刻は十五時半、翔太たちの出番まであと十五分である。
「ところで、タピオカミルクティーのこと忘れてない?」
「忘れたままが良かったな」
慎二は余計なことを思い出す。確かにここに来た時、飲みたいようなことを言っていた。
でもどの屋台も混んでいて、面倒だと思っていたのだ。
「もう流石に喉渇いたんだけど」
「喉渇いたときにタピオカミルクティーはおすすめできないよ」
「沙耶香の言う通りだ、やめとけよ」
「しかしね、もう口がタピオカの口になっているのだよ」
「そんな口ねえよ」
「あ、ほら比較的空いてるとこあるじゃん、俺あそこ行ってくる」
彼が指さしたのは、それでも十人以上は並んでいるであろう屋台だった。
「いや、あと十五分よ?」
「大丈夫大丈夫、間に合うし」
言い終わらないうちに慎二は、ほとんど進みもしない列の方へと飛んで行った。
残された葉月と沙耶香はしばらく立ち尽くす。
「——沙耶香は良いの?」
「私さっきクレープ食べたからね、口の中めっちゃ甘いのよ」
葉月と沙耶香は慎二を最速で迎えるため、屋台の脇で、かつステージ方向まで直進で行けるスポットを見つけた。
ちょうどいい所に、ペンキのほとんど剥げたベンチがあった。首をひねって屋台を見ながら、葉月と沙耶香は枯れ葉を払ってベンチに座った。
「まだか?」
「相変わらずせっかちだね」
沙耶香はペットボトルのほうじ茶を口に含んで、静かに笑った。
「だって十五分前だぞ?タピオカとか後で良いと思わない?」
「それも確かにそうだね」
あくまで彼女は冷静だ。どこで修行したらそんな風になれるだろうか。
一瞬前を向くと、目の前で次々と行き交う人々は、何だか忙しそうだ。みんなライブ会場に向かってるんじゃ、となぜか思ってしまう。
「あ、ところでさ」
葉月の耳はかなり機敏に反応した。
「はい」
「能勢ちゃん、振られたって本当?」
「おお——おお」
全く身構えていなかったからか、いきなり顔にパンチを食らった気分になり、葉月は言葉を失った。
「あ、ごめんあんまり言わない方が良い?」
「いや大丈夫。もう去年の話だし」
「ってことは本当だったんだね」
「誰から聞いた?」
「慎二から」
「あいつ何でも喋りやがるな」
「まあ、それは今に始まったことじゃないよね」
二重瞼の目は、見ようによってはいつも眠そうである。けれど長い付き合いなら、これが彼女の平常テンションだと気づくはずだ。
こちらをまっすぐ見られると、その瞳がいかに生き生きと光っているかが分かる。
「ってことは、今はフリーだ」
若干の悔しさはあったが、葉月は正直に頷いた。
すると沙耶香は、妙に張り切ったような笑顔になる。何らかのたくらみ、みたいなものが透けて見える表情だ。
「実はさ、今私のサークル同期で能勢ちゃんと似たような研究分野やってる子がいてね。別に変な意図はないけど、能勢ちゃんに興味あるらしいんだ。で、別に変な意図はないけど連絡先を欲しがってるのね」
どうやら変な方向に話が進みそうだ。およそ沙耶香らしくない展開に、葉月はひるんだ。
「——あげても良いかな?」
ワンテンポ置いて彼女は付け加える。
「ちなみに、とても可愛い子です」
「いや別に良いけど——それ本当に変な意図はないんだね?」
「仮にあったとしても、困りはしないでしょう?」
これには答えられなかった。
まだいきなり妙な話が始まったことへの戸惑いが残っていたが、それとは別に何かしら引っ掛かるものがあった。
「その人、オレのことどこで知ったの」
「あ、それは何回か私が話に出したから」
「そっか」
数秒黙っていると、彼女は怪訝そうな顔で見つめてきた。
「あれ、あんまり良くないかな?」
「いや良いんだよ、全然良いんだけど——変な意図があるなら、遠慮しようかな」
「あら、そうなんだ」
沙耶香は携帯を出しかけた手をピタリと止めた。どうしようか考えているようだった。
「能勢ちゃんはてっきり、フリーになったらどんどん次に行くタイプだと思った」
「ちょっと意外?」
「ちょっとだけね」
葉月の頭の中には、遠い昔のナナ先輩の言葉が蘇っていた。
そう、失恋の傷を癒す唯一の薬は、確かに次の恋なのかもしれない。
だけど——。
「何かこう、説明はできないけど、引っ掛かりがあって」
「ほう」
彼女は表情一つ変えない。
「そっか。それじゃあ念のため、やめとこう」
沙耶香は携帯をしまった。
「こうやってチャンスを逃すのかもしれないな」
「しょうがないね、そういう直感はバカにできないだろうし」
沙耶香はちょっと上に目を向けながら、人差し指を立てた。
「大丈夫、運命の人は多分、最適のタイミングで現れると思うよ」
「運命」
沙耶香は論理的な思考回路の持ち主だ。だから非科学的なワードが彼女の口から出てくると、微妙に違和感があった。
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