二十二歳 その2

「沙耶香にも運命の人って概念、あるんだ」

「私だって少しはロマンチストな部分あるのよ。知らなくって?」

 お嬢様風にワンピースの裾をつまんで、上品に首を傾げる。やっぱり不思議な感じだ。


「ごめん、勝手にめっちゃ合理主義なイメージあったわ。『運命』とか真っ先に否定する派だと思ってた」

「よく言われちゃうんだよなあ」

 と、沙耶香は残念そうに目を細める。

「うん、まあでも、色々疑う癖は確かにある。運命っていうのも、疑問を挟む余地のある概念だよね」

「疑問?」

「うん」と頷くと、沙耶香は屈んで足元の真っすぐ目な枯れ枝を二つ拾った。


 何かが始まりそうだ。いきなりどうするのかと思ったら、顔の前で枝の先を合わせ、屋根みたいな形を作った。

「例えば二つの人生がこの地点で巡り合うのが、いわゆる『運命』だとするよね。ここが最適なタイミングで、逆に言うならそれまでは出会わないことになってる」


 ほう、と葉月は躊躇いがちに沙耶香の前提を飲み込む。


「それじゃあもし——もし、何かの手違いで、予定よりずっと早く出会ってしまったら——」

 枝は両方とも角度を変え、次はバツの形になった。互いの枝の真ん中あたりが交点になっている。

「この二人、もう二度と巡り合えないのかな。という」


 二つの枝の先は今、それぞれ全く違う方向を指している。


「ね、なかなか面倒なこと考えるでしょ」

「運命とかそういう世界に、『何かの手違い』とかあるか?」

 すると沙耶香は表情一つ変えず、さっきの上品な首傾げを再現する。

 何か言うのかと思ったら、全然何も言わなかった。


「ま、まあそしたらでも、地球の裏側まで行けばまた交差できるんじゃないか?」

「そこでもまた、うっかりすれ違っちゃったら?」

「そしたらまたその裏側で会えるだろ」

「裏の裏ってつまり、スタート地点?」

「そういうことになるね」


 沙耶香は妙に納得したように目を丸くして、なるほどなるほど、と数回頷いた。

 そして謎の一言を、独り言のトーンで放つ。

「円だ」


 え、何て?と訊こうとしたところで、後ろからやたら冷たいものが首に押し付けられた。

 飛び上がって驚くと、慎二が両手にタピオカミルクティーを持って笑っている。


 癪だ。

「な、すぐだっただろ」

「いや割と待ったからな」

「そう怒るなよ能勢ちゃん、お前の分も買ってきたから」

「何でだよ」


 翔太たちのバンドは予定より十分押して、結局十五時五十五分から始まった。

 特等席というだけあって全メンバーがばっちり見られる、しかも音響的にもバランスの良い場所からライブを楽しむことができた。


 さすがあの石神翔太、天才は天才を引き寄せるのだろう。翔太以外のドラム、ギター、ベース、キーボードももれなく一級品の上手さで、そりゃあCDも出るだろうと納得できるメンバーだった。


 カバーはもちろんオリジナル曲まで作り上げる才能の塊で、なるほど大学のステージ部門でトリになるのも納得の出来だった。

 何より葉月にとって印象深かったのは、アンコール曲だ。


「アンコールの曲は、ずっと前から決めてました。どれくらい前かというと、実は高校卒業した頃くらいなんですけど」


 翔太がそう言ったとき、その視線は確かに、葉月たちのいる「特等席」に向けられていた。

 目が合ったのだ。間違いない。


「最後だし、お別れの挨拶をしなきゃいけないですね。でも『さようなら』『お元気で』って日本語より、僕はまた会えそうな、英語の方が好きです」

 最後のチューニングが整い、話も最後まで終わり、翔太は大きく息を吸い込んだ。


『See you again!』


 彼がそう叫び演奏が始まった瞬間、葉月たちの記憶は一気に高校時代に引き戻された。

 もちろん楽器の音はそれぞれ違ったが、確かにそれはあの時の『See you again!』だった。


 翔太の中にまだ、『Eliot』の記憶がこんなにも残っていたことが嬉しかった。誇らしい気持ちにすらなった。

 かつて高校の体育館を一緒に盛り上げていた彼は今や、大学の講堂前全体をいとも簡単に興奮の渦に巻き込める、一流ボーカリストになったのだ。


 そして会場の熱気が最高潮を保ったまま、彼らのステージは終了した。次のバンドはいないから、その場の観客はしばらく余韻に浸った後あっという間に散り散りになった。


 葉月たちはすぐに、翔太を捕まえるためステージへ向かった。控え室が近くにあるはずだった。

 観客用スペースには、相当な数の人がいた。ちょっと移動するだけでも、別の場所に向かう人の波に遮られた。


「この後石神くんってしばらく控え室にいるの?」

「多分な」

 ひたすら人をかき分けながら、沙耶香は首を傾げた。

「多分ってことは、確認はしてないのね」

「忘れてた」


 とは言っても、翔太のことだからきっと葉月たちを待ってくれている、はずだ。

 ひたすら前に進めば目的地には着くはずで、葉月たちは他の方向には全く目も向けていなかった。


 そう、前だけを見ていた。それは確かだ。

 しかしステージに半分ほど近づいたとき、葉月の視界の隅で何かが引っかかった。


 なぜそこに目が向いたのか、彼自身も説明がつかなかっただろう。

 強いて言うなら「センサー」とでも言うべき何かが働いたのかもしれない。


 その場を離れようとごった返す人混みの中に、見覚えのある姿があった。それがどういうわけか、ここ一年は会ってもいない、大西可奈子に見えたのだった。




 可奈子は懐かしさと興奮の余韻に浸りながら、ゆっくりその場を動き出した。


『突然だけど、今年の十月最後の週末、空いてる?』といきなりメッセージが来たのは夏の終わり頃だ。本当に突然で驚いたが、高校の頃ぶりにまたあの歌声が聴きたくなった。

 CDデビューなんてみんなするものじゃないし、どんなことになっているのか生で見て確かめたかった。


 歩みを速めながら、可奈子は満足のため息をついていた。


 やっぱり、来て良かった。あの声は健在どころかパワーアップしていて、これならお金を出して買いたくもなるだろう、というクオリティだった。


 歩きながらスマホですぐに、石神翔太へのメッセージを送った。短くはあったが、今感動が体に残っているうちに感想を凝縮して伝えてしまいたかった。


 ——さて、これで文化祭に来た目的は果たせたわけだけど、どうしようか。

 可奈子は手元の文化祭パンフレットに載った地図を見つつ、辺りを見回す。ざっと視線を満遍なく巡らせながら、何となく考える。

 石神翔太のライブならば、あの人たちがいてもおかしくないはずだけど……。




「あっ?」

 思わず出た声を慎二は聞き逃さない。

「ん、どうした能勢ちゃん。可愛い子でもいた?」

「いや——別に何も」

 きっと気のせいだろう。


「おいおい、自分に正直になれよ。どの子?」

「だからそんなのいないって」

「またあ」

 いつまでもしつこい男だ。

「お前はそうやってヘラヘラしてるから、いつまでも彼女できねえんだよ」

 すると慎二は、明らかに心外そうな顔つきで身をそらした。

 ざまあ見ろだ。


 と思っていたが、即座にその考えが甘かったことを思い知らされる。

「——俺に彼女がいないなんていつ言ったよ?」

「へ?」

「いますよ。彼女」

「えっ——はっ?」


 ちょっと待て、どういうことだ。言われた内容がすんなり入って来ない。

「失礼だなあ、そんな驚くなよ。俺が女の子と付き合ってることの何がそんなに意外なのよ」

「いや全部が意外だわ」

「重ねるねえ、失礼を」

「お前——どうして、どうやって?」

「それはシンプルだよ」


 慎二はさほど得意げになるでもなく、当然のようなトーンで言った。そこが無性に腹立たしい。

「花吹雪が見えた」

 しかもさっぱり意味の分からないことを言い出す。

「花吹雪?」


 彼は気持ち悪くも、両手を広げて視線を上げる。

「彼女と一緒にいたらさ、目の前がこうね、パアーっと明るくなって、ヒラヒラーっと花びらが舞ってきたのよ。だからこれは行くしかないなって——」

「え、春頃の話?」

「そうじゃないんじゃ。比喩の話をしてんの。能勢ちゃんには分かんないかなあ」


 駄目だ、こいつの言うことは要領を得ない。

「参考になったよありがとう」

「君ねえ——」

「あ、石神くん!」

 沙耶香の声で、会話は中断された。彼女が手を振る方を向くと、確かにニコニコしながら近づいてくる天才ボーカルの姿がある。

 ひとまずここは、翔太との会話に切り替えよう。慎二の事情聴取はその後だ。

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