2.草谷薫々(くさたにくんくん)ストリートにて(1)
修太朗は、背中に強いプレッシャーを感じた。
体がこわばり、足がすくむ。
修太朗は、意識を集中した。
真っすぐだ・・・真っすぐ歩くんだ。
少しでも左右にブレてみろ・・・その時、オレの命はない。
そう自分に言いきかせた時だった。
バシュンッ・・・シュバァー・・・。
修太朗の両脇を流星と彗星が走り抜けていく。
紅い流星と白い彗星・・・いや、紅い自転車と白い自転車が、修太朗の両脇を走り抜け、互いに交差しながら、すっ飛んでいく。まったく、自転車を傾けることなく、最小限の高速スライドで駆け抜けていく。
幼児用補助席をつけているため、大きく自転車を傾けることが出来ない故、編みだされた技術だ。
「じ・・・自転車の動きじゃない。あ、あれが、草谷チャリロットの走りってやつか・・・彼らは化け物か?」
草谷チャリロット・・・それは、ここ、草谷薫々ストリートをメインに自転車で駆け抜けていく敏腕自転車乗りたちを示す愛称である。
一見、彼らは、自転車暴走族のように見えるであろう。
しかし、彼らは、決して悪意を持って、暴走しているわけではないのだ。
彼らの目的はただ一つ。
草谷薫々ストリートにある激安スーパー『東友』の超格安限定タイムセールの大目玉『1パック30円の生卵』を買うために、危険なレースを繰りひろげているにすぎない。
そのことが分かっているため、地元住人は、彼らを温かい目で見守っている。
そして、この時間帯、地元住人は自発的にこの通りを歩かないようにしているくらいなのだ。
もちろん、修太朗もそれは分かっていた・・・。
しかしながら、訳あって、この通りを抜けていくことにしたのである。
修太朗は、さらなる気配を察知した。
彼らの邪魔になると思い、近くの電柱のそばに寄ったとき、グニャッと、何か柔らかいものを踏みつけたような感覚がした。しかし、修太朗の意識は、今、目の前を駆け抜けていく流星群に集中しており、何を踏んだのかまでは、気が回らなかった。
(フフッ・・・彼らは、まるで銀河を駆け抜ける『シルバーバイセコー』だな。)
修太朗は、くだらないことを考え、ひとり、ほくそ笑んだ。
草谷チャリロットたちのあまりに懸命すぎる走りを見ていると、笑ってはいけないと思いつつも、つい笑ってしまうのだ。
収束点である『東友』に向かう流星群を見送った修太朗は、再び、通りを歩き始めた。下腹部に鈍痛を覚えながら・・・。
今、修太朗がいる場所は、「草谷薫々(くさたにくんくん)ストリート」と呼ばれる商店街で、時刻は、夕方を少し回った頃である。
きっと、『東友』ではさらなる戦い・・・血で血を洗う第二ラウンドが始まっていることだろう。
先ほどもお伝えしたように、本来ならば、修太朗はこの通りを避けて、自宅に帰るつもりだった。しかしながら、状況が一変したのだ。
少しでも近道をして、自宅に帰らなければいけなくなったのだ。
修太朗の腹に鈍痛が走り始めたのである。
妙に下腹部が張り、少しづつ、鈍痛が強くなってきている。
原因はわかっている。認めたくないが、原因はわかっている・・・。
「放屁したい」のである。
きっと、拓海の部屋で食べたロケット芋が原因なのであろう。
拓海の部屋を出た時は、まったく感じていなかった屁意が、自宅に向かうにつれてだんだん強くなってきている。普通の人間ならば、周りを見渡し、誰もいないことを確認したら、「一発ひりだしハイ完了!」というところだろう。
しかしながら、修太朗には、それが出来ない事情があった。
修太朗は、外では決して・・・決して放屁を、特に『スカシ』はしないという誓いを立てているのである。
若かりし頃に犯した過ち・・・それを二度と犯すわけにはいかないのだ。
あの時犯した過ちにより、失った代償はあまりにも大きすぎた。
修太朗は、一輪の可憐な花を失ったのだ。
放屁・・・いや、『スカシ』という過ちにより、修太朗の心を癒してくれる特別な花を失ってしまった・・・。
今、こうして放屁を我慢しながら目をつむると、あの時のことを思い出す。
外出時の放屁の危機になると必ず思い出す記憶・・・今、修太朗の頭の中では、あの時の出来事が再現ドラマのように繰りひろげられていた。
・・・・
どこかの小学校の運動場。一人の小学生が、別の小学生の集団たちに向かって、ゆくりと近づいていく。その顔は、悪意に満ちた微笑みで満たされている。この、ニコニコしながら集団に近づいていく少年こそ、若かりし頃の修太朗である。
彼は、ゆっくりと集団の中に紛れ込み、中央の位置につく。
次の瞬間、集団の中から様々な声が上がり、彼らは蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げていく。
「くっせぇー!」
「わっ、毒ガスだ! 毒ガスだ!」
「クッソォッ! 修ちゃん、また、スカシやがったなぁ!」
慌てて逃げていく同級生たちを見ながら、満足そうに笑う修太朗。
修太朗は、この時、スカシ番長『スカシの修』と呼ばれ、皆から恐れられていた。
しかしながら、悪戯でスカす以外は、なんの落ち度もない好小学生だった。
そんな修太朗は、毎日スカシながら中学生になり、そして・・・恋をした。
同級生の女の子に恋をしたのである。
相手の名前は、甲子園 鶯子(こうしえん ようこ)。あだ名は「ヨッシー」である。決して、「ようこ」と言う名前から「ヨッシー」のあだ名がついたのではない。
あのかわいらしい某キャラクターにそっくりなため、「ヨッシー」のあだ名がついたのである。
さて、改めて伝えるが、修太朗は恋をした。ヨッシーに恋をした。
恋の理由は単純だった。
ヨッシーの声が美しかったからである。甲子園のウグイス嬢のような声は、修太朗の耳から脳天を突き破り、修太朗を昇天させた。
もちろん、顔も可愛らしいのだが、修太朗は、ヨッシーの声が一番好きだった。
そして・・・修太朗は意を決して告白し、二人の付き合いが始まった。
あまりにも短すぎる付き合いが・・・。
・・・・
ここまで思い出しながら、修太朗は天を見上げた。
その顔は、腹の鈍痛でやや暗い。そして、目が・・・涙で少し潤んでいた。
あの思い出は、いつも修太朗の心を引き裂く。
外出中に放屁したくなると、必ず思い出す・・・嫌な思い出。
思い出すたびに、修太朗は肛門をきゅっと締めるのだ。
・・・・
あの日・・・ヨッシーとの初デートの日。
修太朗は、事前にデートをシミュレーションしていた。
どのように行動すれば、ヨッシーに好印象を与えられるかを、修太朗なりに綿密にシミュレーションしてきたのである。
待ち合わせの時間より早く、10分前に到着した。
そして、待ち合わせの時間より、10分遅れてヨッシーがやって来た。
ヨッシーは、本当に可愛かった。緑色の服でコーディネートされたヨッシーは、その持ち前の色白さでますます、某キャラクターそっくりであった。
「修ちゃん、お待たせ!」
美しい声が修太朗の脳天を貫く。修太朗は、天に昇るような思いに捕らわれながら、事前シミュレーションのとおり、行動することを怠らなかった。
すなわち、ゆっくりとヨッシーに近づき、一発スカシつつ、
「オレも今、来たところっスぅー!」
と、お道化たのである。
修太朗のスカシがあまりにきつかったのであろう。
ヨッシーは、白目を向き、顔を真っ赤にし、
「わたし、帰るッ! 修ちゃんの馬鹿! もう、わたしに近づかないでッ!」
と、言い残して、ヨッシーは走って帰ってしまったのだ。
こうして、修太朗は自らのスカシで、ヨッシーという可憐な花を失ったのである。
修太朗は、何度も謝ろうとしたが、ヨッシーに近づくことは叶わなかった。
近づこうにも、ヨッシーが逃げて行ってしまうのである。
きっと、スカされるのが嫌だったのだろう・・・。
こうして、歳月は過ぎ、二人は別々の高校、大学へと進学していき、互いの歩みが再び交わることはなかったのである。
・・・・
(苦い・・・苦い思い出だ。
たった一発のスカシが、オレの人生を変えてしまった・・・。)
屁意が高まるごとに、修太朗の腹部に鈍痛が襲う。
(早く、家に帰って放屁しなければ・・・。)
そう思った時、修太朗の頭に拓海の言葉が思い浮かんだ。
(芋を食った後のガスの力、強力なり。汝の体を浮かび上がらせるであろう。
一口で10㎝だ・・・あの芋を食った後、屁の力で、お前は空に舞い上がる。)
あの話が嘘でなければ、修太朗はどのくらい浮かび上がるのか?
自宅で放屁するのは、もしかしたら・・・自殺行為かもしれない。
しかし・・・外で放屁したら、オレは自ら立てた誓いを、外で放屁しないと言う誓いを破ることになってしまう。
アァ、オレは・・・いったい、どうすればいいのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。