第16話 閑話 とある友人の独白

 わたしには、幼なじみがいる。

 小学一年のときに教室で話しかけてきたその子は、慣れた相手にはものすごく懐くけど初対面では借りてきた猫のように人見知りをする、かわいらしい女の子だった。

 頬を赤く染め、少し恥ずかしそうに声をかけてきたことがキッカケで仲良くなった。

 わたしは、友だちは多いほうではなかった。

 自分から話しかけることは苦手だし、誰かとお喋りするより本を読むほうが楽しかったからだ。

 外で追いかけっこをするのも好きではなかった。

 足が遅いからすぐに捕まってしまうし、追いかけても誰も捕まえられないから盛り上がりに欠ける。

 一人で静かに、教室の片隅で本を読む。

 それがわたしにとっての日常だった。

 しかし、いおりちゃんと仲良くなったことで、そんな静かで穏やかな日常は変わっていく。

「紗妃ちゃん、この本良かったよ」

「貸してくれるの?」

「もちろん! よかったら感想も教えてくれると嬉しいな」

 ニコニコと嬉しそうに笑ういおりちゃんは、一度懐いた相手にはとことん甘いようだった。

 しかし、わたしよりも早くに仲良くなっている矢島拓海くんにはどうにも冷たい。

 矢島くんは目つきがちょっとだけ鋭いけど整った顔立ちをしているイケメンだ。

 傍から見ていてわかりゃすいほどいおりちゃんのことが好きだ。

 好きな子には意地悪をしてしまう系男子なのか、いおりちゃんをよくからかっている。

 いおりちゃんは表情豊かで、くるくるといろんな顔を見せる。

 それをそばで見ているわたしも楽しいから、別にいいんだけど。 

 面倒事には関わらない主義で生きてきている。

 あの二人の関係に首を突っ込むと、ろくなことにならない気がするのだ。

 とくに、矢島くんがいおりちゃんに見せる執着心は凄まじい。

 大事な幼なじみに近づく人みんなに威嚇しているようなもので、わたしも当然のように威嚇された。

 いおりちゃんと話しているだけでじろりと睨まれる。

 矢島くんのほうからわたしに何か危害を加えるといったことは一度もないけど、話すだけで睨まれたら話すのやめよう、と他の子が思うのは当然のことだった。

 好きな子を孤立させてなにが楽しいのか。

 そうやって独りぼっちに追い込み、自分しか頼れないようにさせたいのかもしれない。

 矢島くんの好きは歪んでいる、と幼いながらに感じた。 

 おお怖い怖い、できることなら関わりたくないタイプの人間だ。

 しかし、いおりちゃんはわたしと趣味がよく合った。

 好きな本、好きなキャラ、好きな声。

 どれもがピッタリとそろい、奇跡のようだと感じた。

 そんな運命の出会いを逃すのもなんだか惜しく、わたしは矢島くんの鋭い眼光を受けながらいおりちゃんのそばにいた。


 いおりちゃんは年齢のわりに大人びていて、男子に矢島くんとの関係を「夫婦だ」とからかわれても「あーはいはい」みたいな感じで軽く受け流していた。

 もっと照れるかと思っていたのに、矢島くんも対して気にしていない様子だった。

 藍月さんと矢島くんって仲いいよね、とクラスメイトに聞いたら誰もが「仲いいよね」と答えるだろう。

 しかし、いおりちゃんは的確に鈍い子だった。

 おそらく矢島くんがデートのつもりで誘ったであろう日にわたしまで誘ってくる。

 地雷を笑顔で踏み抜く行為だった。あのまま一緒に行っていたらわたしはいまごろ生きていないかもしれない。

 的確に鈍いいおりちゃんはちょいちょい矢島くんの地雷を踏み抜く。

 あの子は幼なじみという関係にこだわっている。

 一緒にいて疲れない、気の置けない仲であることが一番重要なことらしい。

 そんないおりちゃんは矢島くんの気持ちに気づいているのか気づいていないのか、気づいているのだとしたら相当な悪女だと思うほどの振る舞いだった。

 ボディタッチも軽々しく口にする「好き」も、どれもが矢島くんを苦しめていることは明確だった。  

 他人事のように幼なじみとしてそばで見ていただけのわたしでもさすがに哀れに思えてくる。

 それでも矢島くんはいおりちゃんのそばから離れようとはしなかった。

 いおりちゃんから離れたらおかしくなってしまうのではと思うほど、矢島くんはいおりちゃんに依存していた。

 彼女らをそばで見ているクラスメイトはいおりちゃんが矢島くんに依存している、と誰もが言うだろう。

 人見知りないおりちゃんは幼なじみにべったりで、なんでも頼っている。

 そういうふうに矢島くんが見せているのだと気づいたのはいつのころだったか。

 なんでも先回りして自分がやることで、いおりちゃんに手を出させないのだ。

 まるでダメンズを作る尽くし系の女だ。

 ねっとりと絡みつくその糸は、気づいたときには首を絞めている。

 周りにも本人にも、なにもできないことを見せつけることで自分に依存させようとしてる。

 必死だなーと傍観を決め込んでいたわたしだったけど、中学三年の夏にいおりちゃんが志望校を変更したことで嫌々関わることになった。


 矢島くんのほうからわたしに声をかけてくることはないし、わたしのほうから矢島くんに声をかけることはない。 

 いおりちゃんがいなけれな会話すら成立しない関係のわたしたちだった。

 しかし、矢島くんの知らないところでいおりちゃんが動いているとなると話は別だ。

 メッセージには【拓海くんには言わないで】という文面が載っていたが、見なかったことにした。

 どちらにせよ、矢島くんに後から責められるのはわたしだろうし。

 降りかかる火の粉を払うのは面倒事にはなるべく関わらない、をモットーに生きているわたしからしたら当然の行動だった。

「矢島くん」

「……何?」

 わたしから声をかけたことが珍しいのか、少し驚いたように目を見開いた後不機嫌そうに睨んでくる矢島くんをじっと見つめる。

 これはいおりちゃんへの裏切りになるんだろう。

 しかし、ずっと睨まれてきたとはいえ、鈍感な女の子相手にずっと頑張ってきた幼なじみもまた、わたしにとっては大事だった。

「いおりちゃん、白鳶高校受けるんだって」

「……は? なん、聞いて、ねぇ、けど……」

「矢島くんから離れるためじゃないかな」

「…………何で、オレに」

 ショックを受けた様子の矢島くんから問いかけられ、わたしはうーん、と少しだけ考え込む。

 たしかに、矢島くんと楽しい時間を過ごした記憶はない。

 矢島くんが見ているのはいおりちゃんだけで、たとえばわたしがケガをしても熱を出しても、矢島くんが心配してくれたことなど一度としてないのだから。

「応援してるから、かな。いおりちゃん相手は厄介だけど、まぁがんばれ」

「……あっそ。ま、サンキュ」

 そばにいて、初めてお礼を言われた。

 少しだけ驚いて、わたしは小さく笑った。

 がんばれ、拓海くん。

 

「紗妃ー、なに見てるの?」

「ん、なんでもない」

 いおりちゃんから送られてきたメッセージを閉じて携帯をポケットに仕舞う。

 慌てていたのか少し誤字をしていた中身は【拓海くんが同じ受験会場にいた!】というもので、まぁ犯人わたしなんですけどねとこっそり思う。

 どうやら矢島くんは上手くやったらしい。

 見事いおりちゃんと同じ白鳶高校に入学を果たしたようで、四月からはさぞ愉快な高校生活が待っていることだろう。

 いおりちゃんは早く矢島くんとくっついたらいいと思う。

 矢島くん、絶対いい旦那さんになると思う。

 調理自習ではいおりちゃんの代わりに料理してたし、その手際もよかった。

 あのひねくれた性格も、両思いになれば多分溺愛に変わるんだろうし。

 あの歪んだ愛を向けられるのは大変かもしれないけど、いおりちゃんなら大丈夫な気がする。

 まぁ、がんばれ。

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