第17話 夏だ!プールだ!

 ジリジリと照りつける太陽を恨めがましく見上げ、はぁ、とため息をついた。

 季節は夏だ。セミが大合唱し人間が汗水垂らす季節。 

 クーラーが稼働している室内はキンキンに冷えて一生こもっていたいが、学生は学校に通わなければいけない。

 学校にもクーラーは付いているので家と学校までの道のりだけなのだが、それでも暑い外には出たくないというものだ。

「暑い……」

「いおり、学校行くぞー」

 玄関の外から拓海の声が聞こえ、ついに幻聴まで聞こえてきたかと一旦聞かなかったことにする。

「いおり、起きてんだろ!」

「おや拓海くん、おはよう」

「あ、ども」

 玄関を開けに行ったのはお父さんで、のんびり喋っている声が聞こえる。

「迎えに来てくれたの? ありがとね。いおり、支度しなさい」

「……はぁい」

 お父さんにまで声をかけられたらさすがに無視するわけにもいかない。

 うちの両親は拓海のことがお気に入りなのだ。 

 なにかと私の世話を焼く拓海とくっ付いたらいい、と言い出してくる。

 お母さんなんて「いい旦那さんになると思うわ」なんてニコニコしながら言うのだからやっていられない。

 なんのために私が二度目の人生を送っているというのか。


 ノロノロと支度をしてカバンを肩にかけて家を出る。

 室内の冷気が名残惜しく絡みつくけど、扉を閉めてしまえば外の熱気に包まれた。

「行くぞ」

「なんで? いつもは別々に行くじゃん」

「暑くなってきたからな」

 ああなるほど。

 暑い季節と寒い季節が苦手な私が家から出たがらないことを理解していらっしゃる。

 そして、私の両親が拓海のことを気に入っているのもよーくわかっていらっしゃる。

 だからって小学生のときみたいに一緒に登校しなくても……とモニョモニョしてしまう。

「ほら、行くぞ」

「……へーい」

 渋々返事をして歩き出す。

 外は当然だけど暑い。

 むっとしたこもった空気に包まれ、じわりと汗が吹き出てくる。

 容赦なく頭上から降り注ぐ太陽の熱が恨めしい。

 日本には四季があるけど、夏とか冬みたいに極端に暑かったり寒かったりする季節はいらないと思う。

 一年中春みたいにポカポカ暖かくて心地よい陽気だったらいいのになー。

 拓海は陽キャらしく、暑い夏が好きらしい。

 このクソ暑い中よくキャンプや海に行こうと思うものだ。

 私はキンキンを通り越してギンギンに冷えた室内でアイスでも食べて凍えそうになりながらぐうたらしていたい。

 幼いころから私がそんな調子なので、拓海家とは趣味が合わない。

 拓海家はよくキャンプや海に出かける、アウトドア大好き陽キャ一家なのだ。

 そのキラキラした空気は眩しくてとても直視できたものではない。

「拓海くん、今年も海行くの?」

「……プールなら行くけど」

「ふぅん」

 拓海は高校でも友達が多いからみんなでワイワイしながらプールで遊ぶんだろうな。

 陽キャの集いを想像してちょっとゾッとしてしまった。

 あの距離感の近さとノリにどうしてもついて行けないんだよね……苦手意識はいまだに拭えない。

 とくになにかされたわけでもないんだけど。

 険しい顔をしている拓海の顔をチラリと見ると目が合った。

「いおりも行こーぜ」

「え、ヤダ」

 一秒の迷いもなく断る。

 む、と唇を尖らせた拓海はかつての断られるとはわかってたけどいざ断られると気に食わん、みたいな顔をしている。 

 誰が好んでこの暑い中外に出るというのか。

 おまけに陽キャに囲まれてのプールだなんて絶対ご免だ。待っているのは地獄しかない。

「なんで」

「知らない人いっぱいいるし」

「……いや、二人でだけど」

 ……ほぁ? 

 ぐりん、と首を勢いよく拓海のほうに向けたせいでグキッといった気がするけどそんなこと気にしている場合ではない。

 私の視線から逃れるように空へ視線を向けている拓海の耳は茹でたタコのように真っ赤だった。

 二人とは、私と拓海の二人という解釈でいいんだろうか。

 だとしたらそれはもうデートに限りなく近いお出かけだ。

 想いを寄せてくる男子との二人きり、なにも起こらないはずがない。

 しかも場所はプールだ。

 好きな子の水着姿が見たいという男の本能に忠実でとてもいいと思う。私に関係なければ、の話だけど。

 別に私の水着姿なんてどうでもいい。

 出るとこは控えめに出ていて引っ込むところはまぁまぁ引っ込んでいるどこにでも転がっている体型だから。

 今さら幼なじみ相手に照れたりすることもない。

 でも、でも、拓海が緊張しているのが伝わってくるから。

 いつも余裕ぶって軽口叩いているあの拓海が、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる余裕もないほどかしこまっているから。

 緊張と羞恥が伝染してきて、私まで頬が熱くなるのだ。

 なんだこれ、なんだこれ。

 こんなの、私の知ってる幼なじみじゃ、ない。


「……行かねーの?」

 ぎゅっと眉を寄せ睨んでいるようにも見える拓海の目は、不安の色に染まっていた。

 まるで捨てられて雨に打たれた子犬のよう。

 私に好きなんて言わないって言ったくせに、どうしてこうもアプローチをしてくるのか。 

 長年そばにいた幼なじみのはずなのに、拓海の気持ちが全然わからない。 

 好きって言ってきたらごめんと振る準備はできている。

 でも、好きって言わないで好きを伝えられると反応に困ってしまう。

「……まぁ、二人で、なら……」

「マジで!? ……ははっ、やった……」

 小さく呟かれた「やった」という言葉と共にガッツポーズを決めているのが見えてしまい、首がグキッといおうと構わず素早く顔を背ける。

 今のはズルいでしょ! ちょっとかわいいかも、なんて思っちゃったじゃん!

 あんな、あんな素直に喜んだ顔、普段見せないから……!

 一度目の人生では関わることのなかった高校生の拓海。

 意地悪で、時々優しくて、ちょっぴり甘い。

 離れなければ、いけないのに。


 二度目の人生でも拓海に監禁されるのか? そしたら、やり直した意味がないんじゃないか?

 ああ、でも。

 一度目では知らなかった拓海の想いに気づけて、こうして高校生活を拓海と送れているから、やり直した価値はあったかも……なんて。

 それに、一度目とは拓海の様子も違う。

 自分から離れていった拓海と、オレから離れないでと懇願する拓海。

 その違いこそが、未来を変えるのではないかと思う。

 だから、今度こそあんな未来は待っていない……ような、気もする。

 それらすべてが私の選択にかかっているのだ。

 なにか一つでも間違えば、監禁からの死亡、――つまり、バッドエンドが待っている。

 拓海に監禁されても、あの部屋から逃げ出さなければ安全なまま生きていられることはできたのかもしれない。

 それでも、私は逃げ出した。

 拓海から注がれる、狂気とも言っていい愛に耐えられなかった。

 あのまま監禁されていたら、私は壊れていた。

 壊れてしまえばなにも感じなくなり、拓海の愛を受けても苦痛を感じないのかもしれない。

 しかし、それでは死んでいることと同じだ。

 私は私らしく生きるため、あの声に「やり直したい」と答えたのだから。


「拓海くんとプールに? 彼、頑張ってるね〜」

 ニコニコと答えるのは美琴ちゃんだ。

 一体どこから目線なのか、美琴ちゃんは拓海の恋を応援しているらしい。

 尻尾のようなポニーテールを揺らし、今日も今日とてかわいい女の子だ。

 この暑い夏にもロングヘアを維持しているとは恐れ入る。

 いくらまとめているとは言え、髪が長ければ手入れも大変だろうに。

 陽キャに無理やり化けたような私の髪色はすっかり落ち着いてしまい、染め直すのも面倒で結局茶色が混ざった黒という中途半端な色になってしまった。

 夜を切り取ったような黒髪の美琴ちゃんとは大違いだ。  

「それで、新しい水着買いに行ったの?」

「え? 持ってるやつでいいでしょ」

 私の言葉に美琴ちゃんはひくり、と頬を引きつらせた。

「いやいや、カワイソーでしょ、拓海くん。意識されてないのモロわかりじゃん?」

「別に意識してないし……」

「うわぁカワイソ。あんなにアタックしてるのにネ……まぁ、告らないヘタレなとこが悪いんだケド」

 ケラケラと本人のいないところでけなす美琴ちゃんは楽しそうだ。

 どうやら彼女は人の恋路を思い切り他人事として楽しむことが好きらしい。

 応援したり茶々を入れたり、かき回して当人たちが困っているのを楽しそうに見ている。

 自分の恋には興味がないのか、よく男子から告白されても「ごめーん」とゆるい感じで断っている。

「じゃあさ、行こうよ」

「どこへ?」

「当然! 水着選び、だよ!」

 美琴ちゃんは茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る