第15話 調理実習

 家では基本料理はお父さんの仕事だ。

 私が小学四年のときに新しくやってきたお父さんはお母さんにべた惚れで「家事は僕が全部やるから」と笑って毎朝お母さんを送り出している。

 そんなお父さんが作る料理は絶品だった。 

 主食、主菜、副菜、汁物、と毎日そろっているし、栄養バランスもバッチリ考えられているらしい。

 おかげで風邪を引くこともなく、元気に過ごせている。

 仕事に行くお母さんの弁当を作っているのもお父さんだ。

 私が小学生のころ遠足で行ったときも弁当を作ってくれた。

 色とりどりでかわいい弁当だったことをよく覚えている。

 そんなお父さんが家にいるものだから当然のように料理なんてしたことがない。

 包丁を握らせると危険、みたいな扱いを受けているので切る系は全滅。

 たまに手伝いですることと言えば鍋をかき混ぜるとかゆで卵の殻を剥くとか、小学生でももっとマシだと思えるようなことばかり。

 そんな私でも、学校に通っている以上調理実習というものがある。

 小学生のときは授業に組み込まれておらず中学で初めて受けた。

 しかし、そのときは拓海が先回りして「いおりは皿洗いでもやっとけ」と調理から追い出されてしまったので黙々と洗い物をしていた。

 そしてやってきた調理実習の日。

 クラスの中でいくつかの班に分かれて調理を行う。

 悲しいかな美琴ちゃんとは別の班になってしまったし、悲しいかな拓海関係で嫌われてる女子と同じ班になってしまった。

 なんということ……これは黙々と皿洗いしてる場合ではないかもしれない。

「藍月さん、これ切っておいてくれる?」

「え、私包丁持ったことな――」

「切っておいてくれる?」

「……切っときます」

 有無を言わせぬ迫力があった。

 私の声が聞こえなかったんか? ってぐらいキレイにスルーされた。

 指切らないように注意しないとなー。

 ぼんやりと考えながら包丁を握り野菜を切り始める。

 トン、トン、と慎重に包丁を下ろしていく。

 おっこれ意外とイケるんじゃない?

 そんなふうに調子に乗るといつも失敗するのに、どうして私は学べないのか。

「矢島くんすごーい!」

 拓海を褒める女子の声が耳に入り、チッと内心思っていたら手が滑って包丁が指に斜めに入ってしまった。

「痛ッ」

 鋭い痛みに声が出る。

 班の女子たちはそんな私の声に気づいていないのか気づいていないフリをしているのか、キャアキャアと楽しそうに騒ぎながら話している。

 調理しろよ……というツッコミを心の中に収めておく。

 包丁がサックリ入ってしまった指からはドクドクと血が流れている。

 どうしよう、血止めたほうがいいよね。止血ってどうやるんだっけ?

 ぐるぐると頭の中でテレビで見たような止血方法が浮かぶ。

「いおり!」

「たく、み、く……」

 突然手首をガシリと掴まれた。なにかと思ったら拓海だ。

「あーあ、お前指切ってんじゃん」

「あれ、拓海くんの班は……?」

「任せてきた」

 チラリと拓海の班に視線を向けると、同じ班の美琴ちゃんがヒラヒラと手を振ってくれた。

 余裕の表情で包丁を握っている。

 慣れている感じがする。美琴ちゃんって美人なだけじゃなく、料理も出来るんだぁ……スゴいな。

「とりあえず血止めるぞ」

「ちょっと、拓海くんは別の班でしょ?」

 話に割って入ってきたのはさっきまで素知らぬ顔で喋っていた女子の一人だ。

 気の強そうな顔で拓海に詰め寄る。

 拓海のこと好きなんだな、と見てすぐにわかる。

 私と距離が近いのがイヤなようで、私の掴まれている手首を睨みつけている。

「は? 幼なじみがケガしてるほうが大事」

「キャー! 大事な幼なじみだって!」

「拓海くんカッコいい……」

 言ってない言ってない! 大事な幼なじみなんて一言も言ってない!

 キャアキャアと盛り上がる女子とそれをつまらなそうに眺めている男子。

 そこへ家庭科の先生が何事かと見に来た。

「どうしました?」

「先生、オレこいつ保健室連れて行くんで」

「え? 同じ班の子に任せたほうが……」

「信用できない」

 ピシ、と先生の笑顔が固まるのがわかった。

 この先生、生徒からこっそりお花畑先生なんて言われるぐらい仲良しこよしが大好きなのだ。

 生徒同士でモメているなんて考えたくもないのだろう。

 口元は笑ってるけど目がガチだ。

「……そう」

「じゃ、行ってきます。行くぞ」

「へい」

 切った指はティッシュで止血しつつ手首は拓海にガッチリと掴まれた状態で保健室に連れて行かれる。


「ねぇ拓海くん、女子の目怖かったんだけど」

「オレに文句言うなよ」

「だって拓海くんが原因だし」

「知らねー」

 話をしながら歩いているとあっという間に保健室に着く。

 声をかけて扉を開けたけど、中には誰もいなかった。

「いねーじゃん」

「どっか行ってるのかなぁ」

「しかたねーから、オレがやってやるよ」

「え、なにを?」

「お前マジですぐボケんのやめろ?」

 ジトッと睨まれたのでさすがに大人しく口を閉じる。

 下手くそな口笛を吹いて誤魔化そうとしてみたけど、スースーと空気の抜ける音しか出なかった。

 呆れたような視線を受け下手くそな口笛も諦めて椅子に座る。

「よし、消毒するぞ」

「えぇ!? 絶対痛いじゃん!」

「痛くしてやる」

「やめろ」

 にひひ、と意地悪く笑う拓海をギッと睨みつける。

 しかし、そんな私の反応さえも楽しんでいるように見える。

 消毒液を付けた脱脂綿を傷口にぐりぐりと押し付けられ、ツンと染みる痛みに悶える。

「暴れんなって」

「絶対わざと、絶対わざと!」

「はは、涙目になってら」

 ケラケラと笑う拓海を半泣きで睨みつける。

 ぐり、と脱脂綿が傷口に押し付けられるたびに痺れるような痛みが走り、目じりに涙が浮かぶ。

「拓海、くん……!」

 痛みに悶えながらなんとか名前を呼ぶと、拓海がゴクリと唾を飲んだ。

「……お前、それってわざと?」

「なにが……?」

 はぁ、と熱っぽいため息を漏らした拓海の目は欲情に染まっていた。 

 その目は、監禁した私をめちゃくちゃに抱いていると同じだった。

 ヒュッと小さく息を呑む。

 え、一体なにがあってそんな雰囲気になった? 私ただ拓海に嫌がらせで傷口をぐりぐりされてただけだよね……? 

 私を抱くときの拓海は熱に浮かされたようなとろんとした目で、獲物をいたぶる肉食獣のようだ。

「いおり……」

 いや、勘弁してほしい。

 学校内で突然発情しないでもらえますかね!?

 ジリジリと体を後ろに下げるが、拓海は手を伸ばしてくる。

「いおりちゃーん!」

 スパーン! と勢いよく保健室の扉が開いたかと思うと、美琴ちゃんが飛び込んできた。

「美琴ちゃん……!」

「……チッ」

「おいおい拓海くん、今の舌打ちバッチリ聞こえてるぞ? いやー、いおりちゃん無事かなーと思って」

 ナイスタイミングだ美琴ちゃん! ありがとうと全力で感謝したい。

 ケラケラと明るく笑いながら椅子に座る私の近くにやってきた美琴ちゃんは、私の傷口を見てニヤリと笑う。

「ははーん。さては拓海くん、いおりちゃんの傷口ぐりぐりして痛めつけてたな? ヨシヨシ可哀想に」

 むぎゅ、と美琴ちゃんの胸元に抱き込まれる。

 柔らかい肌とふわりと香るシャンプーの匂いに同性でもドキリと心臓が大きく跳ねる。

 よしよし、と頭を撫でられ子どもじゃないんだけどな……とちょっぴり複雑な気持ちになる。

「拓海くんは好きな子に意地悪するの、やめたほうがいいよ」

「は? 何言ってんだお前」

「ははは、バレバレだよ」

 豪快にワハハと笑う美琴ちゃんはようやく私を解放してくれた。

 美人でスタイルが良くて、性格まで優しい美琴ちゃん。

 男子からも女子からも人気がある。

 ズケズケと物を言うところが苦手だという人もいるけど、私は好ましいと思っている。

 それに、ハッキリ物申すところが紗妃ちゃんとよく似ているから、そばにいてなんだか安心する。

 紗妃ちゃんは「勉強なんてするもんじゃない」とろくに受験勉強もせず、入れそうな高校に入ったらしい。

 ゆるい感じで生きているのはとてもいいと思う。

 というか、幼いころはあんなに勉強できていたのに、途中で苦手科目でつまずいた辺りから諦めてしまったようだ。

 昨日も【死んだ】と一言でソシャゲのガチャ爆死を知らせてくれたことを思い出す。

「あんまり意地悪すると嫌われちゃうゾ」

「うぜぇ」

「こわいなぁ。そんなに睨んで、あたしそんなに邪魔だった?」

「そんなことないよ。様子見に来てくれたんでしょ?」

「いいや、サボりに来ただけ」

 心配して見に来てくれたのだとばかり思っていたので、予想外の返事にポカンと呆けてしまう。

「ウソウソ、様子見に来たの」

 ……からかってくることに関しては、美琴ちゃんも拓海とどっこいどっこいではないだろうか。

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