第4話 高橋紗妃という少女
紗妃ちゃんは頭がいい。
小学一年の勉強をスラスラと解いてしまうから頭がいいわけではなくて、考え方が賢いのだ。
勉強ができるとかそういうことではなく、単純に頭がいい。
いつも落ち着いて、周りをよく見ている。これが七歳の風格かと思うほどだ。
メガネを指先でくいっと上げる時なんて色気すら感じるのだから、中身が実は二十歳ですと言われても素直に信じてしまいそう。
「紗妃ちゃん、この間の本すっごくよかったよ」
「よかった。わたし、あのほん大すきなの」
話すようになってくると、表情が乏しい紗妃ちゃんの感情もわかってくるようになった。
紗妃ちゃんは基本笑うことは少ない。よほどのことがない限り笑ったり怒ったりしないと思う。
でも、声は柔らかいし表情筋が動かないだけでとっても優しい子だ。
好きなことになるとたくさん喋るのもすごくいい。オタクとしてとても気が合う。
拓海と一瞬ケンカのようなものをして爆速で仲直りした日以降、拓海は私と紗妃ちゃんにひっついてくるようになった。
と言っても話す相手は私だけで、自分から紗妃ちゃんに話しかけようとはしない。
むしろじっとりと睨んでいる気がするのは気のせいであってほしい。
紗妃ちゃんは拓海に睨まれてもどこ吹く風で、まったく気にしていない様子なので安心できるけど、強いなぁと思う。
二人で本の話をしているときは拓海は入れないので、最近は拓海まで漫画を読むようになったらしい。
ただ、面白さがイマイチ理解できていない様子ではある。
拓海は元々私のようなインドアオタクより外でサッカーやら鬼ごっこするアウトドア陽キャなのでそもそも趣味が合わないのは当然の話だ。
それでも仲良くできていたのは、拓海が私に合わせてくれていた部分が大きいのだと今ならわかる。
あの頃はありがたかったけど、今はありがた迷惑だ。
無理に合わせなくていいのに、と思ってしまう。
「おれ、サッカーしてくるけどいおりも行く?」
「行かない」
「……わかった」
断られることはわかってたけどいざ断られると気に食わん、みたいな顔で拓海は教室から出て行った。
拓海は私と違って友達が多い。本物のコミュ強はやはり格が違う。
入学して一ヶ月が経つ頃にはすでにクラスメイトと仲良くお喋りしたり外で遊んだりしているのだからとんでもない。
教室の隅っこで漫画の話で盛り上がっているオタクにはとても真似できそうにない。
オタクに優しい陽キャの見本みたいな拓海は、毎日懲りずに私を外遊びに誘ってくる。
流石に勘弁してほしい。
「いおりちゃんって、やじまくんのことすきじゃないの?」
「友達としては好きだよ」
珍しく紗妃ちゃんが本以外の話題を振ってきたことに驚きながらも答えると、紗妃ちゃんはすっと目を細めた。
「やじまくんはちがうとおもうな」
「……そうかな?」
相変わらず七歳とは思えない鋭さだ。心臓がドキドキしてしまう。
しかし、こんな子どもの頃から拓海が私のことを好きだったとは思えない。距離が離れるまでは、いい友達として付き合っていたのだから。
紗妃ちゃんは少しだけ考えこむように黙り、やがて口を開いた。
「あれはね、しゅうちゃくだとおもう」
しゅうちゃく? ……執着か! 七歳ってこんな言葉知ってるもんだっけと首をかしげたくなる。本当に七歳なんだろうか。
「気のせいだよ。家が隣同士でなんか仲良くなっただけ」
「そっか。いおりちゃんがそれでいいなら、いいけど」
そう言って、紗妃ちゃんはいつものようにくいっとメガネを指先で押し上げた。
落ち着いてて周りがよく見える紗妃ちゃんの視点にはいつも驚かされる。
実は見た目は小学生中身は高校生の世界線で生きているんじゃないだろうか。
「心配してくれてありがとう」
「やじまくん、いつもわたしのことにらんでくるからね。しっと丸出し」
「ごめん……」
それは常々申し訳ないと思っていたので私は謝るしかない。
紗妃ちゃんは気にしてないと言うように首を横に振り「大丈夫」とだけ言った。
休み時間が終わるより先に拓海が教室に戻ってきた。その顔にはでっかいアザができており、鼻のあたりが赤くなっていた。
ヒュッと心臓が縮んだ感覚がした。
「どうしたの!?」
慌てて駆け寄ると拓海はふいと視線をずらした。
「ボールぶつかった。大したことねぇよ」
「えぇ、保健室行った?」
「行った。かるいのうしんとう? だって」
拓海は言葉の意味がわかっていないので不思議そうな顔でそう答えるが、ボールを顔面キャッチして脳震盪を起こすとかなかなかの衝撃だったのではないだろうか。
「学校終わったら病院行こうよ、おばさんに言わなきゃ」
「いーよべつに。大したことねぇし」
「大したことある! いいね、絶対おばさんに言うから病院行きなよ!」
私の迫力に負けたのか、拓海は少し驚いた顔をしたあと渋々と言った様子で「わかったよ」と答えた。
なんて心臓に悪いことをするんだ。運動神経のいい拓海がボールを顔面でキャッチするなんて一度目の人生ではなかったことだ。
痛々しい顔のアザは見ているだけでつらい。
拓海の母親は男の子を三人育てているだけ会ってたくましく、多少の怪我には動揺しない。でも、一応言っておいたほうがいいだろう。
カッコつけたがりな幼なじみは、自分から怪我したなんて絶対言わないだろうから。
学校が終わると紗妃ちゃんに断り今日は拓海と一緒に下校した。
「拓海くん、頭痛いとかない?」
「だいじょうぶだって、へーきだよ」
「頭ぶつけるのって怖いんだよ。今平気でもあとからくるんだから」
普段私の世話をしていたのは拓海のほうだったのに、今はなんだか逆の立場になった気分だ。
一緒に下校してそのまま拓海の家に行き、おばさんに事の経緯を話した。
おばさんは予想通りというかケラケラと怪我のことを笑い飛ばし「わかったわ、いおりちゃんが心配なら病院に連れて行くね」と約束してくれた。
「拓海くん、お大事にね」
「わかったわかった」
おばさんにまで笑い飛ばされてしまうとなんだか私が心配し過ぎな気もしてくるけど、頭だから心配にもなるってものだ。
家に帰るとお母さんから「今日は拓海くんと帰ってきたのね」とニコニコした顔で言われた。
仲直りしたと思われるのもなんだか癪で、理由を説明するとお母さんは「わんぱくね」と笑っていた。
え、頭なのにそんな反応? ……やっぱり、私が心配し過ぎなんだろうか。
拓海が顔に怪我を負ってくるなんてことなかなかないから動揺してしまったのかもしれない。
明日は普通に接せられるように落ち着かなくちゃ。
翌日は私が寝坊したので一緒に登校することはなかったけど、教室に入ると拓海から話しかけてきた。
「びょういん、行ってきたぞ」
「どうだった?」
「やっぱ大したことねぇって。いおり、しんぱいしすぎ」
ケラケラとおばさんによく似た顔で笑う拓海をジト目で見つめ、私は「そう、ならよかった」とだけ返して席に座った。
あれだけ心配したのがバカらしく思えてくる。子供に怪我は付きものなんだと思うようにしなければ。
「たくみくん、きのうのけがだいじょうぶだった?」
「うん、へいき」
「しんぱいしたんだよー」
「サンキュ」
横でクラスの女子とイケメンな会話を交わす拓海の声を聞きながら過剰に心配はしないと心に決めた。
恥ずかしい思いをするだけだ。
しかも何よ、クラスの女子の「心配したんだよー」には「サンキュ」なんて軽く返すくせに、私のことは心配し過ぎって笑うって、何この対応の差!?
もう心配なんてしてやんない……なんか悔しいし。
心の中でギリギリと歯をきしませていた私に紗妃ちゃんが小声で話しかけてきた。
「いおりちゃんも心配してたのにね」
「ホントだよね、何この差。信じらんない」
「……すきな子ほどいじめちゃうてきな?」
「やめて、違うから」
ヒソヒソと囁きあっていると、隣から視線を感じた。
拓海がめちゃくちゃ見てくる……そんなに紗妃ちゃんのこと気に入らないのかなぁ。確かにタイプは違うけど、いい子なのに。
「……拓海くんにはナイショだから」
「なっ、なにも言ってないだろ!」
嫌がらせのつもりでべっと舌を出してやると、なぜか顔を赤くさせ拓海は慌てていた。
子どもの考えることは、幼なじみ相手でも難しい。
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