Case2:≪無限菓子壺≫

 あたし、リウ・エトワールこと星野梨羽がこの世界に転生してきてしばらく経つが、今まで知らなかったことがある。どうやらこの世界と元いた世界にはよく似たイベントが存在しているらしい。そのことをあたしは出社直後に上司のカタンに教えられて知った。

「リウ、今日は何の日だか知ってるか?」

 あたしの上司にあたる強面の男性ににやつきながらそう聞かれ、あたしは考えるのも面倒くさくて適当な答えを口にする。

「カタンさんの誕生日は夏に過ぎましたし、カタンさんちのワンちゃん……フルーヴくんの誕生日も二ヶ月くらい前に過ぎましたよね。そしたら今度は奥様のお誕生日とかですか?」

 無知なあたしをからかうのが楽しくてしかたないといったふうにカタンはげらげらと笑いながら、

「ぶっぶー。そんなわけないだろ。今日出社してる途中に何かおかしいと思わなかったのか?」

 何かがツボに入ったのか一人でぶっぶーと繰り返しているカタンを横目に、そういえばとあたしは出社途中に見た光景を思い出す。

「そういえば今日は変な人が多かった気がします。それも何か女性ばっかり」

 何故か道ゆく女性の多くが元の世界でいうハロウィンの仮装のようなものに身を包んでいた。歩いているときに遠目に見えた貴族街のほうではどこの屋敷も競い合うかのように派手に装飾が施されていた。更にはどこの家も屋敷の前に思い思いの仮装に身を包んだ女性の使用人たちがずらりと並んで、道ゆく人々のうち何故か男性にだけ甘い匂いのするお菓子を渡していた。前世のニュースで見たヤクザが地域の子供たちへハロウィンにお菓子をばら撒いている映像と重なって見えてなんだかげんなりした。

「それでカタンさん。あれは一体何なんですか? 朝からやたらあんなハイテンションなもの見せられたら、あたし胸焼けしちゃうんですけど」

 あたしはやたらと上機嫌なカタンを白けた目で眺めながら、白いコートを脱いで自分の椅子の背もたれへとかける。カタンはにやつく目元の皺をより一層深めながら、

「今日は『聖夜』――女性は仮装をして意中の男性にお菓子を贈り、お菓子をもらえなかった世の男性たちは女性たちにちょっとした悪戯をする。そしてまだ恋愛ごとには早い子どもたちは夜寝静まった後にご先祖様の霊がプレゼントを持ってくる、そんな日だ」

「何ですかそのどっかで聞いたようなイベントを足して割ったようなやつは。っていうか、聖"夜"の割に朝から皆さん張り切り過ぎじゃないですか?」

 あたしが席に腰を下ろしながら半眼で突っ込むと、カタンは世の中そんなもんよと楽しそうに宣った。

「で、今日はそういう趣旨の日なわけなんだけど、その味気のない格好は何なのかな、リウ・エトワール嬢? そんなんじゃ今日一日男性諸君からしょーもない悪戯ばっかり食らうぜ? この会社はその手のイベントしっかり謳歌する社風だし」

「う……」

 苦りきった顔であたしは自分の今日の服装を見下ろした。黒のニットに膝丈の茶色のチェックのジャンパースカート。足元には取り立てて特徴のないダークブラウンのブーツ。髪だっていつも通りうねって広がる黒い猫っ毛を無造作に赤いリボンで纏めただけで、お世辞にも前世でいうところのハロウィンとクリスマスとバレンタインとをごった煮にしたようなイベントを楽しむ格好とはいえない。出勤途中に見かけた女性たちとは大違いだ。

「で、リウ。俺へのお菓子は?」

 口元をニヤリと歪めたカタンがあたしへと問いかける。ああもう、とあたしはデスクの上に置いた白いバッグの中から財布を取り出すと、

「わかりましたよ! お菓子買ってきたらいいんでしょう!」

 行ってきます、とあたしは今入ってきたばかりの扉のほうへと踵を返す。

「あ、ついでに俺のコーヒー買ってきて」

 背中をカタンの声が追いかけてきたが、「そのくらい自分で買ってきてください!」あたしはぴしゃりと叫び返した。

 始業時間から大して時間が経っていないというのに執務室を飛び出していくあたしを微遅刻常習犯の他部署の社員たちがすれ違いざまに何ごとかと見ていた。


 会社の建物から歩いて五分ほどのところにある菓子店をあたしは訪れていた。聖夜というイベント柄か、開店からまもないはずなのに菓子店の前には思い思いの仮装に身を包んだ女性たちが長蛇の列をなしている。

 十分ほどして自分の番が回ってきて、あたしはショーケースを眺める。明らかに義理用の菓子の包みでも一つにつき銅貨三枚分ほどの値段がする。あたしは前世の忌まわしき義理チョコ文化を思い起こしながら、予想外の出費に頭痛を覚えた。

(義理チョコ文化と同じって考えるなら、普段、関わりのある人の分は用意しなきゃ駄目だよね……カタンさんの分は当然として、調査部のアトリさんやルースさん、企画部のカイさんに、技術部のエメットさんやケルンさん……女の人だけどアネッサさんにも一応買っておこうかな? あとは営業部とか……)

 あたしは十個余りの菓子を購入する旨をやたらとリアルな化け猫のコスプレをした店員の少女に告げる。銀貨三枚を支払うと、菓子の包みが詰まったずっしりと重い紙袋を受け取った。

(重……、っていうか結構な出費になっちゃったなあ)

 あたしは紙袋を見下ろすと溜め息をつく。銀貨三枚もあれば、服の一枚だって買えるし、外でのランチならば三回くらい食べられる額だ。

 仕方ない、とあたしは思い直しながら、会社への道を歩き始める。思い返せば、前世のあたしは、入社直後の新人時代にお金がないことを理由に周囲のランチの誘いを断り続けた結果、気がつけば周りから浮いてしまっていた。今は優しく温かく、ちょっと愉快な人々があたしの周りにいてくれているけれど、変に意地を張って彼らの輪の中から浮いてしまうような愚を再び繰り返したくはなかった。

 郷に入っては郷に従えという言葉もあるし、このそわそわとした今日のこの雰囲気は嫌なものではない。前世ではこんなイベントを楽しむ余裕も雰囲気もなかったので、業務の傍らといえ、今日一日を楽しむのも悪くないかもしれないとあたしは思い始めていた。


「リウちゃん、リウちゃん。今日が何の日か知ってるっすよねえ? まさか何も用意してないとか……いや、それとも敢えてイタズラされたい系?」

 他の部署があるフロアに足を踏み入れようとしたとき、あたしは軽薄そうな青年にそう声を掛けられた。ニヤニヤと好色そうにこちらを見てくる青年へと、あたしは左腕にぶら下げた菓子店のロゴが入った紙袋を持ち上げてみせる。

「そうならないようにこれ持ち歩いてるんですけど。ルースさん、これどうぞ。それじゃ良い夜を」

 ルースへと可愛らしくラッピングされた焼き菓子の包みを手渡すと、あたしは扉の魔力認証装置へと右の手のひらをかざす。

「お、これ本命?」

「そんなわけないでしょう。ただの義理です。本命は他所でもらってくださいよ」

 冷たく言い返しながらドアを開けて執務室の中へ入るあたしの背後で「つれないなあ」お菓子の包みを手の中で弄びながら、つまらなさそうにルースが口を尖らせていた。

 良い夜を、というのは前世でいえばハロウィンにトリックオアトリートと言ったり、クリスマスにメリークリスマスと言ったりするのと似たようなものだ。午前中のうちににカタンに説明してもらって、頭では理解していても、まだ午後になったばかりなのになんだかなあという気分になる。

 あたしがこのフロアに来たのは決して義理配りではない。調査部のデスクのある辺りに目的の人物の姿を見つけ、あたしは話しかける。

「アトリさん、今ちょっといいですか……って、あっ」

 まるでヨークシャテリアとトイプードルを足して二で割ったような雰囲気の少年じみた可愛らしい顔があたしの顔を見上げている。あたしよりも明らかに若く見えるのに、既にこの部署の管理職の地位にある彼は、両手で持ったドーナツを今まさに齧ろうとしたままの姿でこちらを見ていて何だかやたらとあざとい。

「あ、ごめんなさい……あとで出直します……。あたし、忙しい人の貴重なおやつタイムを邪魔するほど野暮じゃないつもりなので……」

 すごすごと引き下がろうとするあたしに、いいですよ、と苦笑しながらアトリは持っていたドーナツをデスクに置いた。デスクの上には書類と同じくらいの量のお菓子の箱が山のように積み上がっている。前にカタンと一緒に調査部を訪れた際に、アトリはチャラいとカタンが言っていた覚えがあったがどうやら事実だったようだ。

「ええと……なんかすみません……。ところで、先日、取引先から問い合わせがあった件なんですが、調査状況ってどうなってますか……? そろそろ、ヴィーユさんにも報告して、今後の方針を決めなきゃいけないんですけど……」

 ああ、とアトリは年齢不詳の小型犬じみた顔に申し訳なさそうな表情を浮かべると、

「ルースが今キュレーションを進めてる最中なんですよね……。ただ、あいつプライオリティ高い案件の調査をパラでやってるから、こっちで考えうるオルタナティブを提示できるまでにはもうちょっと時間がかかりそうです」

 頭の中にカタカナが氾濫してしまったあたしはちょっと待ってください、とアトリを押しとどめ、ジャンパースカートのポケットから単語帳を取り出す。プライオリティが優先度、パラが並行という意味だということくらいはわかるが他がわからない。あたしはぱらぱらとその場で手作りの単語帳のページを繰っていく。キュレーションは情報を集めて整理すること、オルタナティブは代替案という意味のようだ。あたしがわからない単語を調べている間、アトリは何食わぬ顔でドーナツを齧っていた。

「ちなみに今日中に取引先にはヴィーユさんのほうから回答する予定だったんですけど、いつくらいまでならできます?」

「デッドラインっていつです?」

 ドーナツを食べ終えたアトリは何食わぬ顔であたしの問いの答えを質問で返した。デッドラインって、何でこの人は端からギリギリを攻める気満々なのだろう。あたしははあ、と溜め息をつくと、

「とりあえず、目処が立ったらあたしに連絡くれます?」

「わかりました。僕の方でも、ルースを捕まえ次第、プッシュはしておきますね」

 よろしくお願いします、と軽く会釈をして、あたしはアトリのもとを去ろうとしたとき、あたしはずっしりとした重量感を主張する左腕の紙袋の存在を思い出した。ルースに渡したのと同じ焼き菓子の包みを私は取り出すと、

「ところでアトリさん、これいります? 見た感じ、何かもう色んな人からもらった後に見えますけど」

「いりますいりますー!」

 まんまるにした目を輝かせるアトリにバターの匂いがする包みをあたしは差し出した。

「どうぞ。それじゃあ、あたしは失礼しますね」

 良い夜を、と定型文的にあたしは言うと、今度こそアトリの席を後にした。

 本来だったら、アトリから受けた報告を持って、営業部のヴィーユのもとを訪れ、今後の方針を相談するつもりだった。しかし、肝心のアトリから調査結果の報告を聞けなかった以上、改めて出直す必要がありそうだった。

 仕方ないから一度自席に戻ろうとあたしが踵を返し始めたとき、いつの間にか背後から近づいてきていた男の声に呼び止められた。

「リウちゃん、今ちょっといい?」

 あたしが振り返ると、一ヶ月に一度しか剃らないらしいという噂の無精髭を生やしたクマのような雰囲気の中年男性が立っていた。

「ヴィーユさん、お疲れさまです。あ、そうだ、これどうぞ」

 あたしははちみつの香りがするクッキーの包みを紙袋から取り出して、ヴィーユへと手渡した。どうも、と受け取るヴィーユの目は絵本に出てくるクマのように優しげで嬉しげだ。

「例の件、進捗どうっすか?」

「アトリさんいわく、まだかかるそうです」

 困ったなあ、とヴィーユはクマじみた顔に苦笑を浮かべると、

「早めに回答できればクライアントとネゴる余地もあったんだろうけど、このままだとエクスキューズすらままならなくなるんですよねえ……」

 ぶつぶつと愚痴り始めるヴィーユに適当に半笑いであたしは相槌を打つ。ネゴるは交渉する、エクスキューズは言い訳するとかそんな感じの意味だったはずだ。というかなぜ、この人は会うたびにオチも意味もない愚痴をあたしにぶつけていくのだろう。謎だ。

 ヴィーユは一通り愚痴ってすっきりしたのか、そういえば、と話題を変える。

「知ってます? 魔力管理室に幽霊が出るって話。聖夜だからですかねえ、ってアコールさんやカイさんは言ってるんすけど」

「幽霊ですか?」

 聞き返しながら、あたしは眉根を寄せる。聖夜にはご先祖様の霊が子供たちにプレゼントを持ってくるとかなんとかとカタンが今朝言っていたので、聖夜だから幽霊が出るというのはまあ理解できないでもない。だけど、魔力管理室のような重要な施設に何かが入り込んでいるのは問題ではないだろうか。

「魔力管理室の責任者やってるエメットくんが推し活とかいうやつ――好きな女性歌手の聖夜コンサート行くとかで今日休みなんすけど、魔力管理室から魔力反応があるらしいんすよ。一応警備の人が外から確認したらしいんすけど、魔力管理室には誰もいなくって」

 誰もいないはずなのに魔力反応があるとは、なかなかホラーな話だなあとあたしは思った。とはいえ、あたしにさほど関係のある話でもないので、聖夜を楽しむためのスパイスだとでも思っておくのが良さそうだ。

「そういえばヴィーユさん、そこに置いてあるのって≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングの新味ですか?」

 キャビネットの上に置かれた壺を見て、あたしはカタンに問うた。≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングとは、地水火風の四属性の魔力を特定のバランスで配合したカートリッジを差し込むことで、特定の種類のお菓子を無限に沸かし続ける壺だ。チョコや飴、クッキーなどが既に発売されているが、ここにあるラインナップは煎餅、かりんとう、甘納豆と西洋ファンタジー風の世界のはずなのに異様に和風で渋い。一体どこの層にウケるんだ、これ。

「そうそう。聖夜に合わせて、今日発売になった新味なんすけど、『ユーザーエクスペリエンスにイノベーションを』みたいなキャッチコピーで売り出すことになってるんですよ」

 イノベーションって何だっけと思いながら、あたしは単語帳を取り出してぺらぺらと捲る。イノベーションは革新や改革――つまり、ユーザ体験に改革を起こそうというのが今回のコンセプトのようだ。確かにこの西洋ファンタジー風の世界で、和風なお菓子を売り出すのはイノベーションには違いないだろうが、いくらなんでも思い切りが過ぎないだろうか。

 何だかなあと思いながら話を切り上げると、「良い夜を」あたしはその場を後にした。


 技術部の面々の席が固まった辺りを通り過ぎようとしていると、あたしは執事のような服装に身を包んだ三十代後半くらいの塩顔美人――アネッサに呼び止められた。男物の細身の執事服が引き立てる涼やかな彼女の美貌に一瞬眼を奪われつつも、一体何を押し付けられるのか、それともあたしが何かやらかしたのだろうかと内心で戦々恐々としながらあたしは足を止める。

「な、なんですかアネッサさん。あっ、お菓子いります? 今日聖夜ですし」

 あからさまに警戒するあたしに苦笑しながら、アネッサはじゃあもらおうかな、と手を伸ばす。あたしは大酒飲みのアネッサが好みそうな、お酒に合うというチョコレートの包みを紙袋から取り出して、彼女へと手渡した。アネッサの二人の子分――どこかでMTGに顔を出していると思われるケルンと今日は休みを取っているというルースの席にも同じものを置いておく。中身をだいぶ配り終えて、紙袋が軽くなってきた。

「リウちゃん、魔力管理室の話って誰かから聞いた?」

「幽霊がいるとかいないとかって話なら、さっきヴィーユさんから。アネッサさんがそういうの気にするの珍しいですね、どうかしたんですか?」

「ずっと魔力の反応がしてるっていうか、魔力錬成がされ続けてるみたいなんだよね。倉庫とかトイレとかみたいなもっとどうでもところで起きた話なら、今日は聖夜だしってことで私も放っておくんだけど」

 あたしはこの話の向かう先を理解してしまった。恐らくアネッサは、あたしに魔力管理室を隅々までしっかり確認してこいとでも言うのだろう。

「そういうわけだから、リウちゃんちょっと魔力管理室確認してきてくれない? あそこが何かまずいことになってたら、会社中が困ることになるし。私が行きたいのはやまやまなんだけど、これから三時間くらいずっとMTG入ってるし。入室申請はエメットくんに代わって上司の私がさくっとやっとくから気にしないで」

 それじゃよろしく、とアネッサは机上の≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングから沸いていたミントキャンディを掴むとあたしへと押し付けた。嫌な予感が当たってしまったことにげんなりとしつつも、事の次第をカタンに報告するべく、あたしは魔力認証の扉を開け、下のフロアへと戻っていった。


「戻ってこねーと思ったら何、面倒ごと押し付けられてやんの。ウケる」

 自席に戻り、アネッサから面倒ごとを押し付けられた顛末をあたしが話すと、雑誌を読んでいたカタンは愉快そうにげらげらと笑った。笑い事じゃないですよ、とあたしはカタンの強面を半眼で見やる。

「そういうわけだから、カタンさん。一緒に来てくださいよ。魔力管理室」

「何でだよ。今日は聖夜だし、定時で帰らなきゃだから俺はそんなことにかかずらわってる暇なんてないの。夕飯に一秒でも遅れてみろ、嫁さんは一言も口利いてくれなくなるし、俺のかわいいフルーヴくんにもそっぽ向かれるっつーの」

 定時がどうのこうのと言っているが、今はまだ十五時半である。定時まではあと二時間半ほどある。業務時間中に雑誌を読む余裕がある暇人が何を言っているのだろう。

 煙草を手に立ちあがるカタンの腕をあたしは掴むと、

「まだこの時間ですし大丈夫ですって。それに、魔力管理室に入り込んでいるのが、幽霊ならまだいいですけど、うちの会社に損害を与えようとしている外部の人間とかだったりしたらどうするんですか?」

 ええー、と露骨に面倒臭そうな顔をするカタンにあたしはなおも言葉を重ねて言い募る。

「そういうのと出くわしちゃったら、あたし一人じゃどうにもできないですよ。あたし、瓶の蓋を自力で開けられないどころかペンより重いものなんて持てないか弱い女の子ですから。その点、カタンさんなら強そうですし、いてくれるだけでも百人力ですよ」

「か弱いとか一体どの口が言ってるんだっつーの。ってか強そうって、リウお前一体どこ見て判断しやがった?」

「顔ですね」

 カタンは街を歩けば、通りすがりの子供に泣かれるほどの強面だ。しばらく一緒に過ごしてみれば、甘いものと犬とジョークが好きな優しくお茶目なイケオジであることがよくわかるのだが、あたしも最初のうちはこの人のことを怖がりながら過ごしていた。

「お前なあ……ったく、仕方ねえな。可愛い部下に何かあっても困るし、一緒に行ってやるよ。ま、煙草の後でよければ、だけどな」

 何か温かいものでも飲んで時間潰してから来いよ、とカタンはあたしに銅貨を三枚ほど押し付けると、手をひらひらさせながら執務室を出ていった。

 

 会社の向かいにある公園内のカフェで買ったミルクティーを飲み終えたあたしは、紙のカップをゴミ箱に放り込んだ。陰り始めた公園内を吹き抜ける風が、温まったばかりの体を容赦なく冷やしていく。さむ、とあたしは肩を縮めながら、会社の建物の外にある喫煙所へと顔を出す。

 カタンさん、とあたしが長身の上司の名を呼ぶと、彼はこちらを見ておう、と返事をした。カタンは吸っていた煙草を黒いスチールの灰皿に押しつけて消すと、

「行くか、魔力管理室」

 はい、と頷くとあたしはカタンの後をついて会社の建物の中へと戻っていく。前を歩くカタンの背からは、彼が好んで吸う煙草がほんのりと香っていた。

 あたしとカタンが地下への階段を降りていくと、魔力認証形式の扉があった。言っていた通り、アネッサが入室申請をしていてくれたようで、装置があたしの魔力反応を認証するとカチッと小さく音を立てて扉の鍵が開いた。

「おい、リウ。これ持っとけ」

 カタンは草のようなものをズボンのポケットから取り出すと、あたしに手渡した。ありがとうございます、とあたしはそれを受け取ると、先端を折り曲げる。折り曲げたところから先がぼんやりと光出して、辺りを照らした。

 わらしべ長者に出てくるわらしべに酷似したそれ――≪蛍草≫トゥインクル・スティックは暗いところを照らす懐中電灯のような魔法アイテムだ。中に入った光の魔力で辺りを照らすことができるという、サイリウムによく似た仕組みとなっている。

 あたしとカタンは≪蛍草≫トゥインクル・スティックを手に、薄暗く肌寒い魔力管理室の中へと足を踏み入れる。こんなことなら、上着を着てくればよかったとあたしは後悔した。

 部屋の中には魔力の詰まった培養槽のようなものが立ち並んでいた。これが恐らく魔力タンクと呼ばれているものだろう。これらに詰まった魔力は、普段はアネッサの部下であり、魔力管理技師の資格を持つ技術部のエメットにより管理され、この会社の建物内や併設された生産設備へと供給されている。

 レムーン王国の国民は皆、多少なりとも魔力を持っている者がほとんどだ。しかし、軍に入って従軍魔術師となったり、魔法技術者になれるほどの魔力を持ち合わせている者は少ない。

 エメットは、高いレベルの魔力を保持する稀有な存在だ。国家資格である、魔力管理技師の資格を若くして難なく取得したほどの高いポテンシャルの持ち主であるが、軍に入ってしまうと推し活のための休みが取りにくくなるという理由で、このような民間企業に籍を置いているらしいともっぱらの噂である。あたしの前世の概念でいえば二・五次元ドルオタといったふうで、普段は何考えてるかよくわからなくて少しとっつきにくいところのある彼だが、すごい人であることは間違いない。

 あたしとカタンは薄暗い部屋の中を≪蛍草≫トゥインクル・スティックで照らしながら、不審人物がいないかどうかをつぶさに確認していく。暗がりから何かが飛び出してくるような事態に備えて、あたしを背後に庇うようにしながら部屋の奥へと進んでいくカタンの背中が頼もしくて心強い。なんだかんだと文句を言いながらも、こうやって部下を守ろうとしてくれるカタンの姿勢は、尊敬できるし、安心する。あたしを蔑ろにして放置する割に仕事と責任だけは押し付けてきた前世の上司と違って、カタンはとても好感の持てる人だなと改めて思う。

 赤青緑黄、白や紫の光を湛えている数多の魔力タンクの周りをあたしたちは丁寧に確認して回ったが、誰かが潜んでいる様子はない。部屋の一番奥まで来たとき、カタンがあたしを振り返り、

「リウ、何もいないみてえだぞ。やっぱこれ、幽霊がうろついてたってことにしとけばいいんじゃねえか?」

 笑いながら肩をすくめるカタンにそうですね、とあたしは頷く。もう一回煙草吸って戻るかーなどといったことを宣っているカタンへと、戻りましょうかと声をかけて踵を返したとき、こつんとあたしのブーツの足先に何かが触れた。

「カタンさん」

 ちょっと待ってください、とあたしは手に持った≪蛍草≫トゥインクル・スティックで足元を照らす。光の魔力が入ったタンクと闇の魔力が入ったタンクの隙間から可愛らしいピンク色のマカロンが転がり出していた。

「カタンさん、ここの奥……」

 どれどれ、とカタンは長い足を折ってその場にしゃがみ込む。カタンが魔力タンク二つの隙間に、足同様に長い手を差し入れると、色とりどりのマカロンがどっさりと現れた。

 あたしとカタンは無言で顔を見合わせた。こんなところから大量にマカロンが発見されるなど何かがおかしい。そんなことをしている間にも、魔力タンクの奥からクリームイエローのマカロンが一つまろび出てきた。

「……ん?」

 再び、魔力タンク二つの隙間の奥を手で探り始めたカタンの口から怪訝そうな声が漏れる。隙間から引き抜かれたカタンの手には小ぶりな壺のようなものが握られている。

≪無限菓子壺≫スウィート・スプリング……?」

「みたいだな。んでもって、これが今回の騒ぎの元凶ってわけだ」

 どういうことですか、とあたしが尋ねると、カタンはちょうど≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングから湧き出てきた薄茶色のマカロンを指でつまんで口に放り込みながら、

「魔法アイテムっていうのは多かれ少なかれ魔力を含んでいるだろ? 今回はこの≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングがマカロンを作り出すときに内部で錬成された魔力が検知されちまったせいで、誰もいないはずなのに魔力反応があるなんて騒ぎになったわけだ」

「でも、カタンさん。誰がこんなところにこんなものを……?」

 そんなの決まっているだろと、カタンがにやりと口元を歪めたとき、あたしの背後から声が響いた。

「こんなところで、何してるんですか?」

 アネッサはしばらく会議だと言っていたからここに誰かが来るはずはない。まさか、とは思うものの今日は聖夜だ。魔法なんていうものが存在する以上、この世界にそれが存在しないという保証はない。部屋の中はひんやりとして寒いくらいのはずなのに、あたしの背中を汗が伝い落ちていく。

「おっ……おばけぇぇぇぇぇぇ!」

 顔を引き攣らせてあたしは叫んだ。咄嗟にあたしはカタンの背中に縋り付く。

「は? おばけってお前……」

 あたしが一体何と何を勘違いしたらしいカタンがぶっと噴き出した。

「おーい、リウ。よーく見ろ。あいつちゃんと足生えてるし、透けてもいねえぞ」

「そうですよ」

 温度の低い青年の声。白い顔に、心外だとでも言いたげな眼鏡の奥の瞳。

「……って、エメットさん!?」

 青年の顔を認めると、あたしは再び声を上げた。カタンの背中から離れると、あたしは後退りながらエメットへと頭を下げる。

「ごめんなさい! おばけだなんて、あたし失礼なことを……」

「大丈夫大丈夫、エメットだし。ってかどうせ普段からアネッサにこき使われて生気のない顔してるんだから、そんなに変わんねえだろ」

 愉快そうに笑うカタンが軽いトーンで茶々を入れてくる。人が謝っているところだというのにこれでは台無しだ。

 エメットはカタンの手に握られた≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングを見やると、

「ああ、それそんなところにあったんですね。そんなに美味しくはないけど糖分は取れるし、昨日の徹夜のお供に持ち込んでたんですよ。明け方にその辺で適当に仮眠取ったときにどっか行っちゃったんでどうしたんだろうとは思ってたんですけど、まあいいやって」

「……」

 まあいいやのその精神のせいで社内で面白おかしい騒ぎが起きていることについて、こいつは一体どう思っているんだろうかとあたしは苛立ちを覚えた。アネッサには余計な仕事を押し付けられるし、挙句の果てにはエメットをおばけと間違えるしで散々だ。

「ところで、エメットさん、今日お休みだって聞いてたんですけど、何でこんなところに?」

 エメットは何でそんなことをお前に答えなきゃいけないんだとでも言いたげな目であたしに一瞥をくれると、

「用事が済んだんで、仕事の続きやりに戻ってきたんです。魔力タンクのリプレイスのスイッチングコストを抑えるためのモアベター探れだの、この前のストアコンパリゾンの結果を受けてコンバージョン上げたいからまずはシーズをコアコンピタンスとして確立させるためにフィジビリやってくれだのアネッサさんが次々といろんな仕事を投げつけてくるもんで……」

 エメットの口からアネッサへの恨み言と愚痴が堰を切ったように流れ出す。つらつらと話し続けるエメットの相手はカタンに押し付けることにして、アネッサへの報告という名目であたしはその場を逃げ出した。


「えーと……」

 アネッサの元へ事のあらましを報告に行き、自席に戻ってきたあたしは自作の単語帳のページをぺらぺらとめくっていた。さっき、エメットがカタンに話していたのは一体何のことだったかさっぱりだったので、カタンが戻ってくるまでにあのカタカナたちの意味を押さえておきたかった。

 スイッチングコストは機材などの置き換えの際にかかるコスト、モアベターはより良い、ストアコンパリゾンは競合店を調査して自分たちの強化に役立てることだ。コンバージョンは購入者の割合、シーズはビジネスになる可能性のあるノウハウ、コアコンピタンスはその企業の特色、フィジビリは実行可能性調査という意味のようだ。

 この世界に転生してきて、しばらく経ったが、前世では意識の低い社畜だったあたしにはまだまだ耳慣れない単語が多い。はあ、と溜息をついていると、ふっとあたしの嗅覚を馴染み深い煙草の匂いが撫でる。どうやら喫煙所に寄っていたカタンが戻ってきたようだ。

「カタンさん」

「おう、リウ。アネッサはなんて?」

「報告してきましたけど……アネッサさん、笑ってましたよ」

 アネッサが笑うのも無理はない。エメットが持ち込んで置き忘れた≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングが発していた魔力が原因だったなど、あまりにもお粗末に過ぎる。

「しかも、お前、エメットに向かって『おっ……おばけぇぇぇぇぇぇ!』だもんなあ。これが笑わずにいられるかっての」

 あたしの口真似をしながら、カタンはげらげらと笑う。自分でやっていてツボに入ってしまったのか、腹痛ぇなどど言いながら、すらりとした長身をくの字に折っている。

「もう……カタンさん、やめてくださいよ。それにそんなに騒ぐと他の部署に迷惑ですから」

「大丈夫大丈夫、今日は聖夜だし誰もそんなこと気にしねーよ。みんな出社こそしてはいるけど、ほとんど仕事やる気なんてねえから。今日みたいな日にやる気満々なのお前やエメットくらいだぜ?」

 カタンさんはいつもあんまりやる気ないですよね、とあたしが半眼で突っ込むと、

「おうよ。っていうかよく考えてみろ? 普段はお前に仕事任せて、相談と報告を受ける以外俺がどっしり構えてるくらいじゃないと、本当にやばいことが起きたとき、誰がそこをカバーするんだ? 会社組織っていうものにはそういう余裕も必要なんだよ」

 わかるようなわからないような理屈を持ち出されてあたしはうーんと唸る。確かにどこかで管理職は作業者になるべきではないとかそんな話を耳に挟んだことはある気がするが、カタンのそれはどっちかというと常日頃のサボりを正当化しているだけのような気もする。

「それはそうとリウ、お疲れ。これ、やるよ」

 カタンに頭の上に何か固いものを置かれ、あたしは慌てて手を伸ばす。指に伝わるひんやりとして滑らかな陶器の感触に何だろうと思いながら、あたしはそれに視線をやる。

≪無限菓子壺≫スウィート・スプリング……」

 今一番見たくなかったそれが視界に飛び込んできて、あたしはげんなりとする。壺の中から湧き出てきたこげ茶色のお菓子を摘んで放り込む。油っぽさと共に黒砂糖の素朴な甘さが口の中に広がった。スーパーの百円コーナーに売っているもの並みの味で、めちゃくちゃ美味しいというわけではないけれど、疲労を訴える心にその甘さが沁みた。

「かりんとう……」

 西洋ファンタジー風のこの世界に転生してきてから、食べる機会のなかった懐かしい味に、あたしの口からそのお菓子の名がぽろりと転がりでた。カタンは何だそりゃとでも言いたげな顔をすると、

「へえ、それそんな名前なのか。お前よく知ってるな」

「ええ、まあ……ところで、カタンさんはどこでこんなものを?」

「さっき、上に寄ったら、アネッサに会ってな。リウにでもあげてくれって、余ってた≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングの新味もらったんだよ」

 そうなんですか、とあたしは相槌を打ちながら、≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングから追加で湧き出てきたかりんとうを手に取ると、「食べます?」「おう、ありがとう」カタンへとそれを手渡した。

「お、これまあまあいけるな」

 立ったままカタンがかりんとうを頬張っていると、終業を知らせるチャイムが鳴った。「おっ、やべ、帰んねーと」カタンは口の中のかりんとうを飲み下すと、書類をデスクの引き出しへと手早くしまっていく。十秒もかからずに、コートを身に纏い、バッグを手に取ると、

「それじゃお疲れ。リウ、せっかくの聖夜なんだからお前も早く帰れよ」

 良い夜を、とカタンは手をひらひらと振りながら鼻歌混じりに去っていった。まるで嵐のような自分の上司の背をぽかんとしてあたしは見送った。

 疲れたし今日は帰ろうかなあ、とデスクに向き直りかけたとき、カタンが置いたまま帰った雑誌の表紙があたしの視界に入った。なぜか表紙には「リウへ 要チェック!」と書かれたカボチャ型の付箋が貼られている。何だろうと思いながら雑誌のページをめくってみると、おすすめの菓子店情報やら、イベント情報、聖夜のディナーのおすすめ情報やらが所狭しと書かれていた。

 ふうん、と思いながら軽い気持ち雑誌を読み進めていくと、あたしは最近若い女性に人気のカフェ&ダイニングの特集ページに表紙と同じ付箋が貼られているのを見つけた。付箋には「店に話は通してある。聖夜くらいうまいものでも食って息抜きしてこい。お前のご先祖様の代わりに俺からの聖夜のプレゼントだ」と書かれていた。

「カタンさん……」

 あたしはくすりと笑った。部下のためにこんな粋なことをしてくれるなんて、カタンはとても素敵な上司だとあたしは改めて思った。きっとカタンはあたしが聖夜の存在も楽しみ方も知らないことを予期していて、こうやって準備をしていてくれたのだろう。

 今日はもう帰ろう、とあたしは心に決めてデスクの上に広げたままだった書類を片付け始める。アネッサから面倒ごとを押し付けられたせいで今日はろくに仕事が捗らなかった。けれどたまにはこんな日があったっていい、今日というこの日を楽しんで明日からまた頑張ればいいのだと素直に思えた。

 あたしは白いコートに腕を通し、キャメルのバッグを持つ。しまい忘れた書類がないことを確認すると、踵を返す。カタンからもらった≪無限菓子壺≫スウィート・スプリングがデスクの上からあたしの背を見送っていた。

 聖夜ということもあって、定時直後だというのに人がまばらなフロアをあたしはるんるんと抜けていく。

 聖夜というこの日を、カタンが与えてくれた夜のひとときを、不器用ながらも精一杯楽しみたいとあたしは心から思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る