Case3:≪蓄塵機≫
聖夜と法定休業日を経て、あたしが出社すると、あたしとカタンのデスクの境目にハート型の風船が括り付けられた小型の扇風機のようなものが置いてあった。年の瀬も近いこの時期に扇風機など、カタンは何を血迷ったのだろうか。
そんな思いを込めてあたしが半眼でカタンを見ると、違う違うと煙草の匂いが染みついた手をひらひらと振った。その手には
「おー、リウ、おはよう」
「おはようございます……あっ、そういえば、先日の聖夜の際はありがとうございました」
「んー?」
カタンはキャンディを口に咥えたまま、何が何だかよくわからないと言いたげな顔をした。何かと緩い上司ではあるが、こうしてとぼけたふりをしてあたしに気を遣わせまいとする辺り、前世にはいなかった部類のできた大人だなあと思う。カタンの気遣いを無碍にしないように、あたしもこれ以上は聖夜のことについては触れず、代わりに飴のことを話題にすることにした。
「朝から飴なんて珍しいですね。下で煙草吸ってから来たんじゃないんですか?」
「いやー、今日は煙草が俺にアテンドしてくれなくて」
口寂しくてさあとカタンはけらけらと笑った。あたしは、はあ、と嘆息しながら、
「……もうそれ普通に煙草忘れたって言ったらどうですか」
礫死体となって前世を終えたあたしが転生したこのレムーン王国は、カタカナのビジネス用語が跋扈する世界だ。日夜問わず、前世でも使わなかった量のビジネス用語が飛び交っており、あたしは日々周りの会話内容を把握するのに四苦八苦している。
あたしは白いコートを脱いで椅子の背もたれにかけると、サイドデスクから今日の業務に必要な書類と愛用している単語帳を引っ張り出した。
「あっ」
ふいに単語帳の隅を縛る桃色のリボンが解け、手のひらサイズの紙片たちが宙を舞った。あたしのこれまでの努力の結晶たちは空中で渦を巻いている。
「え、えええええ!! ちょっと待って!」
デスクの境目に置かれた小型扇風機のようなものに単語帳の紙が吸い込まれようとしていた。トゥルルルルー、トゥルルルルー、トゥルルルトゥルルルルルルルルー、と神経を逆撫でするような音楽とともに扇風機の羽が高速で回転している。というかなぜ『トルコ行進曲』。この世界にトルコなんて地名は存在しないのに。
「よっと」
飴を咥えたまま、カタンは五十路とは思えない動体視力と反射神経を駆使して、扇風機に吸い込まれそうになっている単語帳の紙片たちを危なげなく回収していく。慌てるあたしが面白かったのか、にやにやとしながらカタンは集めた単語帳のページを渡してよこしながら、
「危ねえ危ねえ。リウにとってクリティカルなナレッジがこの世からオミットされちまうところだった」
クリティカルは重要、ナレッジは知識、オミットは排除。カタンから渡された順番がぐちゃぐちゃの単語帳のページを漁って、あたしは彼の言いたかったことを理解する。さしずめ、そこの魔法アイテムにあたしの単語帳が吸い込まれてしまうところだったという感じだろう。いつの間にかトルコ行進曲は鳴りを潜めていた。
「そこに置いてある魔法アイテムって何なんですか? オミットってことは物を消したりするためのものってことですか?」
あたしが訊くと、カタンは口の中の飴をばりぼりと噛み砕いた。まあ見てろ、とカタンは飴がついていたはずの棒を扇風機に近づける。カタンが棒から手を離すと、それは宙に舞い上がって螺旋を描き、トルコ行進曲の音楽を奏でる扇風機の中に吸い込まれていった。
「これは
あたしはクロージングと書かれた紙片を見つけ出し、それが終わりを意味する単語であることを理解すると、
「……今日は年内最終営業日だから、それを使って大掃除をするということで合ってます?」
「合ってる合ってる。更にいうなら、このアイテム、来年の春にローンチ控えてるから、最後のシステムテストも兼ねて企画部が各部署に配って回ってる」
「なるほど……ちなみにさっきみたいに物が誤って吸い込まれてしまったらどうしたらいいんでしょう?」
「一定以上のゴミが
「なるほど……」
間違って必要なものを吸い込ませないようには気をつけないといけないが、それさえ差し引けば、環境にも配慮しているなかなか良い商品なのではないだろうか。こういうのを表す最近流行りの単語があった気がするが、何と言っただろうか。
「サステナブルな」
「……カタンさん、あたしの思考を勝手に読まないでくれます?」
あたしは赤い縁の
「いやー、だってリウはすぐ考えてること顔に出るし」
「……」
あたしは淡いラベンダーのニットの肩を竦めると、ばらばらになってしまった単語帳のページを並べ直し始めた。
頭文字ごとに紙片を並び替えながら、今日のうちに各部署の承認を取ってしまわないといけない書類のことをあたしは考えていた。
午前中のうちに今日中の書類を押し付けるべく、あたしは調査部のアトリの元を訪れていた。あたしたちの場所以外が集まるこのフロアではいろんなところで
「これ……うるさくないですか……? 音楽鳴らすにしてももう少し他のチョイスがあったんじゃあ……」
げんなりしたあたしがアトリにそうこぼすと、あったらしいですよ、と彼はヨークシャテリアやトイプードルのような小型犬めいた愛らしい顔でこちらを見上げながら頷いた。あたしを見る丸い目がどこまでもあざとい。
「たとえばこんなやつですね。トゥトゥルー、トゥトゥルー、トゥルルルルッルー」
「……」
アトリが冒頭の一節を口ずさんでくれた曲はこれは『クシコスの郵便馬車』に酷似していた。どうしてこの会社は微妙にイラッとくる曲しかチョイスしてこないのか。
他にもありますよ、とアトリが教えてくれたのは、『ワルキューレの騎行』やら『熊蜂の飛行』やら『カルメン組曲』やらとやはり聞いていて妙にイラっとする曲ばかりだった。カルメンだけは少しマシなような気がしないでもないが、決して一日中聴いていたいものではない。頭がおかしくなりそうだ。というかそもそも何でこの世界に前世の世界のクラシック音楽によく似た曲がこんなにも存在しているんだ。謎だ。
「リウさん、リウさん、これ確認したんで戻しますね」
押し付けたはずの書類一式に全てアトリのサインがなされ、あたしに押し戻されてきた。どうやら、アトリは次の回覧先であるカイのところにこの書類を持っていってくれるつもりはないらしい。
「ありがとうございました。それじゃあ失礼します」
あたしは書類を腕に抱えると、アトリへと小さく頭を下げた。踵を返したあたしの背をアトリの少年じみた声が追いかけてきた。
「リウさん、ボナネ!」
ボナネって何だったっけ。自席に置いてきた単語帳を心の中でめくるが、それらしき単語は見当たらない。一体何なんだろうと思いながら、あたしはその場を後にした。
午前中のうちに今年最後の案件の承認を関係各所からもらってくることができたあたしは、少し余裕のある気持ちでランチを楽しむことができた。聖夜の日が年内の最終営業日だった会社も多いのか、いつか行ってやろうと思っていた会社の裏路地にあるカフェにすんなり入ることができてあたしの機嫌は上々だった。
(カタンさんに何か買っていってあげようかな……煙草がなくて口寂しいとかってぼやいてたし)
店を出ようとしていたあたしは足を止め、レジの上に掲げられたメニュー表を仰ぎみる。どうやらテイクアウトのコーヒーと紅茶がそれぞれ銅貨四枚のようだった。
「すみません、紅茶いただけますか? テイクアウトで。砂糖とレモンありで」
あたしはカフェ店員の爽やかな青年へと上司の好みを告げていく。カタンはコーヒーはいつもの店のものにこだわりがあるし、ここは紅茶にしておいた方が無難だろう。
お待たせいたしました、とあたしはほのかに湯気の立つカップを店員の青年から手渡された。青年が描いたのか、カップにはペンで雪の結晶がいくつもあしらわれていて可愛らしい。カタンのあの強面にはさぞかしミスマッチだろう。あたしはくすりと忍び笑いをした。
紅茶の代金を追加で支払うと、あたしはカランとベルの音を鳴らしながらドアを開けた。暖炉の焚かれた室内とは異なる突き刺すような寒さにあたしはラベンダーのニットの背を縮こまらせた。
「ありがとうございました! またお越しくださいませ! ボナネ!」
すぐ近くだからといって自席にコートを置いてきてしまったのは失敗だったなあなどと思っていると、閉まりゆく扉の隙間からまたあの言葉が追いかけてきた。
(ボナネって今日何回も聞いてるけど、何なんだろう……あとでカタンさんに聞いてみよう)
そう心に決めると、温かな紅茶のカップで暖をとりながら、あたしは自分の勤めるラーゼン社の建物へと向かって、来た道を戻っていった。
「カタンさん、『ボナネ』って何ですか? 今日、いろんな人から言われるんですけど」
そうだった、これどうぞ、とあたしは少し緩くなったレモンティーのカップをカタンへと押し付ける。これは聖夜のときのカタンへのせめてもの礼のつもりだったが、何だか気恥ずかしくてその色黒の顔をまっすぐに見られなかった。
「おう、サンキュ。だけど、これどうした?」
「み、ミルクティー買おうとして間違っただけです! あたし、レモンティーはそんなに好きじゃないので、カタンさんにあげます! カタンさんは確かレモン派ですもんね!」
あたしが早口に捲し立てると、そういうことにしておいてやるよとカタンはからりと笑った。照れ隠しもこの前のお礼であるということもすべてカタンには見透かされているような気がした。
カタンはカップを傾け、うっすらと湯気の立つ琥珀色の液体を楽しみながら、「おっこれ、なかなか美味いな」機嫌良さげに目を細めた。
「これ、どこのだ?」
「裏の『切り株亭』です」
不要な書類をあたしは
ああ、とカタンは得心したような相槌を打つと、
「いつも昼時に行っても入れない、あの店か。……で、そうだ、確か『ボナネ』が何かって話題だったか」
カタンによって話題を引き戻され、そうですとあたしは頷いた。
「さっき、『切り株亭』でも言われましたし、午前中、アトリさんとかカイさん、ヴィーユさんにも」
「そりゃ、このまま何事もなく年末まで過ごし、幸せな新しい年を迎えられるようにっていう祈りの言葉だ。リウは年越し迎えるのが初めてだから、知らなくても無理はないか」
「なるほど……」
旧い年を無事に送り、新しい年を迎えるための祈りの言葉。それはきっと、前世の世界で年末になると交わし合っていた『よいお年をお迎えください』という言葉と同義なものなのだろうとあたしは思った。
「おい、リウ。ぼーっとしてるなよ。社員証、
「う、うわあ!」
前世の世界の習慣に思いを馳せている間に社員証が書類と一緒に
「こんな年末に面倒ごとは俺は嫌だから、気をつけろよ? 社員証の再発行、当事者だけじゃなく上長の俺も手続きかなり面倒くせーんだから」
「き、気をつけます……」
わかればよろしい、とカタンは再び紅茶を飲み始める。たまに指が伸びる先は、先日の聖夜の件であたしがもらったかりんとうの
あたしが呆れながら、カタンを眺めていると、今度は廃棄対象ではない書類が
「あっぶな!」
あたしは書類を引っ張り戻した。しかし、無理矢理引っ張ったせいで、書類の隅が親指一本ぶんくらい欠けてしまっている。
(……まあ、大事なところの文字は残ってるしいいか)
あたしは今しがたの小事件を大雑把に片付けると、手に持った書類を保管用の箱へと入れていく。
ゴミが溜まり始めたのか、
不要な書類の処理が済み、あたしは
「リウ、お前真面目だなあ。この前の聖夜のときといい、もう少しゆるーく生きてもバチは当たらないとおじさんは思うぜ?」
「カタンさんが緩すぎなんですよ……それに、前に
なるほどなあ、とカタンはさして興味もなさげにおざなりな相槌を打つ。カタンは興味のない話題に対しては大抵こういう反応しか示さないので、あたしも気にせずに手を動かし続けていく。
そんなふうに思い思いに午後の時間を過ごしていると、時計が十五時半を示した。その身に染みついた習性に従って、カタンは席を立とうとしたが、今日は煙草ないんだったなどとぼやきながら椅子に座り直した。
そのとき、前世の世界の林檎印のスマホを思わせる軽快な音楽が、カタンのデスクの隅に放置された
「ん?」
何事だとでも言いたげにカタンは
巻貝状の魔法アイテムの中から聞こえて来たのは、穏やかでざらついた中年の男――営業部のヴィーユ・ラントの声だった。
「あ、お疲れ様です、ヴィーユです。年末なので、
「えー」
明らかに嫌そうな声をカタンは上げる。携帯性のある記録媒体を紛失したともなれば大事である。しかし、カタンとあたしはあまり上のフロアで実作業をすることがないため、
「うちは関係ないですよー。大方そっちでやらかしたんじゃなーい? アトリちゃんとことかエメットくんとかやりがちでしょー?」
相手をおちょくるように間延びした口調は柔らかい。しかし、こういうときほどカタンの目が笑っていないのをあたしは知っている。
「ははは……いやいや、そこをどうにかお願いしますよ」
上長同士の和やかそうで和やかじゃない一通りの腹の探り合いが済み、風と光の魔力による通信――星間網通信を先に切ったのはヴィーユのほうだった。カタンは肩をすくめてこちらを見る。
「リウ。今の聞いてただろ? ちゃっちゃと片付けるぞ。この後の俺の平穏なホリデーライフが掛かってる」
「は、はあ……」
そこは嘘でも自分たちの潔白を証明するためとでも言って欲しいところだったなあとあたしは思う。口調は冗談めかされていても、目が本気だ。よほど、愛する妻と犬に臍を曲げられたくないらしい。
「それで、あたしはどうしたらいいですか?」
「俺はデスク周りを探す。お前は
わかりました、と頷くと、あたしは
あたしはペンの背をノックすると、小さな光の刃を出した。デスクの上の
光の爪痕の中へとあたしは片手を突っ込んだ。ごそごそと脚部に詰まったものをあたしはデスクの上にすべて引っ張り出していく。ほとんどがいらなくなった書類ばかりで
「カタンさん、この中には無いですよ。バルーンの中は知らないですけど、調べようがないですし」
「ああ。俺の方もざっと確認したけど、デスク周りにはなさそうだな。ヴィーユさんには支援部には関係ないってことで報告しておく。そのゴミは
「はーい」
あたしは光る痕跡の中へと書類を突っ込み直した。
なんだかなあ、とぼやきながらカタンが
「あっ、カタンさん?
カタンに巻貝をこちらに向けられ、あたしは項垂れた。アネッサがこう言っているからには、あたしには拒否権などない。諦めるべきだということをあたしを見るカタンの目が雄弁に語っていた。
「……はい、アネッサさん。あたし、リウです。これから、そちらに伺いますね」
「よろしく、助かるー!」
そう言うと、アネッサは一方的に通信を切った。あたしははあ、と溜息をつく。アネッサは間違いなくあたしたち支援部を自分が自由に使える子分だと思っている。
「そういうことらしいので、あたし、上行ってきますね……」
おう、と返事をしたカタンの目はどこか憐れむような色を含んでいた。
あたしは
あたしが執務室に戻ってくることができたのは、十八時を数分過ぎたころだった。
アネッサに呼び出されてから、上のフロアの面々に混ざって、いくつも
上のフロアは、あたしとカタン二人きりの支援部とは違い、人数の多い場所が多い。人数が多い分、設置された
最後の方にあたしが開けた開発部の
「おかえり」
どんよりとした顔で戻ってきたあたしを何でもなさげに迎えたのはカタンの声だった。あたしが上のフロアに行っている間に雑誌は二冊目に突入したらしく、タイトルが『ホリデーウィークに行く! 愛犬と泊まれる宿百選』に変わっている。
「カタンさん、何でまだいるんですか? いっつも定時死守しないと奥様にどやされるだのワンちゃんにそっぽ向かれるだの言ってるのに」
あたしがそう聞くと、あのなあとカタンは苦笑した。
「さすがに大事な部下にだけ仕事させておいて、俺がさっさと帰るのは違うだろ。俺は、お前からの報告を受けるために、お前じゃどうしようもなくなったときのためにここにいるんだ」
わかるか、とカタンに聞かれて、この人はそういえばそういう人だったとあたしは思う。この人は一見怖そうに見えるけれど、部下に対しての情は篤い良い上司だ。普段が普段なので忘れがちになるけれど、この人にはこういうところがある。
「リウ、お前が
「情報早いですね……あたしが上から戻ってくるのに五分も掛かってないのに」
まあな、とカタンは目尻に皺を寄せた。カタンはこういう顔をすると、普段は強面に埋もれてしまっている良いおじさん感が露わになる。
「リウ、よくやったな。お疲れ」
カタンは雑誌をデスクの上に置くと、あたしのほうに拳を突き出した。あたしも握った手をとん、とカタンの拳へと突き合わせた。
カタンはあたしから手を離すと、読んでいた雑誌を通勤鞄へとしまった。年齢を感じさせないすらりとした体にカタンは黒のトレンチコートを羽織ると、
「ほら、これ以上、厄介ごとに巻き込まれないうちに帰るぞ……って何やってるんだ?」
「
もう業務外なのに仕事熱心だなあとカタンは呆れたようにあたしの手元を覗き見る。
「何々……『吸い込む対象にしていいものとしてはいけないものを区別するための機能を実装してほしい』? 何だこれ、わかりづれえな」
カタンはタバコの匂いが染み込んだ手であたしからペンを奪い取ると、さらさらとフィードバック用紙に何かを記していく。それを見ながら、いかにも大人の男性の字といった感じだなあというどうでもいい感想をあたしは抱いた。
「えっと……『今回のヒューリスティックを活かして、カバレッジの制限のためにスクリーニング機能をインプリメンテーションしろ』? ……カタンさん、こっちのほうがよっぽどわかりにくいじゃないですか」
あたしが口を尖らせると、それは仕方がない、とカタンは一笑に付した。
「リウはまだ、レムーン語初心者だからな。慣れればこれがいかに洗練された言語かわかるようになる」
「嘘だあ……」
あたしはじっとりとカタンの顔を見る。互いの視線が絡み合い、どちらからともなくぷっと吹き出した。
「ほら、帰るぞ。その紙は俺に貸せ。上で適当に誰かから煙草巻き上げついでに、企画部に叩きつけて来てやる」
カタンはすっとあたしの手元から、フィードバック用紙を抜き取った。「さっさと支度しろ」フィードバック用紙を四つ折りにしてコートのポケットにしまいながら、カタンの声があたしを急かす。
「あ、はい!」
あたしは来年も使う書類一式をサイドデスクの中にしまって、魔力認証で鍵をかける。慌ただしく帰り支度を済ませて、あたしは白いコートを羽織り、バッグを持つ。
「ほら、行くぞ」
サイドデスクに鍵がかかっていることを確認すると、あたしは執務室の扉の方へと大股で歩いていくカタンの背を追いかけた。
カタンが魔力認証で扉を開けると、あたしもそれに続いて執務室の外へ出た。廊下を進み、階段の近くまでくると、それじゃあなとカタンは軽く手を上げた。
「リウ、気をつけて帰れよ。ボナネ!」
はい、とあたしは頷くと、今日初めて口にする言葉を発した。
「カタンさん。ボナネ!」
おう、とカタンは口の端を上げると、階段を上がっていった。それを見送ると、あたしは通用口のある一階へと向かって階段を下りていく。
今年はこの世界に転生し、いろいろなことがあった。言葉も文化も違い、戸惑うことも多くあった。仕事上の問題だって、大きいものから小さいものまでたくさんのことを経験した。
あたしは年末の挨拶一つとっても、まだまだ知らないことが多い。それでも、カタンをはじめとする、温かで個性的な人々のそばでならこの先もやっていけるに違いない。
来年は一体どんな一年になるだろうか。どんな経験を重ね、何に泣き、何に笑うのだろうか。
間近に迫った新しい一年と、先ほどの言い慣れない言葉の感触に薄い胸を弾ませながら、あたしは通用口の扉を押し開けた。
冴え冴えとした冬宵の空には、やがて訪れる新しい年を一足早く寿ぐように、星々が煌めきを放っていた。
転生しましたがビジネス用語溢れまくりの異世界で今日も生き延びなければなりません! 七森香歌 @miyama_sayuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。転生しましたがビジネス用語溢れまくりの異世界で今日も生き延びなければなりません!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
悼み酒/七森香歌
★6 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます