『頑張らない』『頑張る』の呪縛
相原コージ先生の『うつ病になってマンガが描けなくなりました』を拝読した。
失礼ながら先生の作品を読んだ事は無く、シュールでバグの多い危ないスーファミソフト『摩訶摩訶』のキャラデザでしかお名前を拝見したことはないのだけど。
余談だが、目に余る完成度にプレイしててとてもしんどいけど、逆にそのドM感が楽しいゲームだった。
まず作品を拝読して思ったのは「あぁ、わかるわかる」だった。
個人的な話を申し上げると、27歳頃に病んだのが一番重い感じだった。
希死念慮は無かった。
いや、それは嘘になる。
死にたいけど死ねない。
無価値な自分にはこの世に意味はないって思ってるのに、死ぬのも怖い。
ザ・ビートルズの楽曲『Yer Blues』に近いかもしれない。
死にたい死にたい言ってるくせに死ねない。
でもまだ俺は死んでない。
その理由わかるだろ?
そんな感じだった。
死ぬことすら躊躇する役立たずの自分が嫌でどうしようもなかった。
休職をしたままではままならず、ちゃんと辞めようと退職届を提出しに当時の会社があった池袋駅に向かったんだね。
その山手線の車中では、もう乗客のみんな全員が自分を見て笑ってるような気がするくらいギリギリだった。
他の乗客が「あいつは無職の役立たず」とせせら笑ってるような気がして、他人が怖くて仕方なくて、ホントは家も出ずにこのまま辞めさせてくれればいいがそうもいかず、退職手続きをするための外出もギリギリだったのはよく憶えている。
だが、今回はあくまで『抑うつ状態』。
診断書としては人生で何度目かのものになってしまったが、まだ社会との接点を探るだけの欲求や渇望はある。
だから仕事は続けながら服薬して体調を整えるべきだ。
それが良くなかった。
どっちつかずが会社には一番良くないんだろう。
診断書が出てるにしても、出社できるなら頑張るしかない。
本人の申告で遅刻なり早退なり欠勤なり、自由にさせてくれるとは言え、甘んじて自由になると、何より『負けた』自分が嫌になる。
だから極力、週40時間前後の勤務は維持したい。
そういう私に、会社は『早く帰れば』とか『残業しないように』とか『体調面で無理をしないように』とは言うが、全ての判断は私に委ねられている。
結果として残業するならそのままズルズルと残業してしまう。
まぁ、結論から言うと、お薬の量が増えてしまった訳ですわね。
処方量が増えた訳じゃないです。
強い薬を貰った訳でもないです。
今飲んでる頓服の量や機会が増えてしまった、っつー訳なんですわ。
もういっそ休職しようか?
会社の評価や人事考課よりも、自分の体調がぜったい最優先じゃん。
でもそしたらまた、平日も自宅に居る『あいつ』として、ご近所から後ろ指を差されて陰口を言われてるかもしれない。
家族や親戚の視線も怖い。
なにより収入が無くなる。傷病手当だけじゃ不安で仕方ない。
比になる程でもない小粒の私だが、ナインティナイン岡村さんの『頭パッカーン』事件に似てるかもしれない。
もう何もかもが忙しくなると思考が奪われて、ずっと仕事のタスク管理や進行管理がグルグルと脳内を支配するし。
趣味の旅行もあそこに行かなきゃ、ここにも泊まらなきゃ。
カクヨムも書かなきゃだし最近サッパリの公募の新作も書かなきゃ。
時節柄、お歳暮も大掃除も年賀状も、アレもコレも徐々に片づけなきゃ――。
私という人間は世間で言うほどに頑張ってる部類であるとは思えない。
もっと大変なお仕事をされている方もいらっしゃるだろう。
子育てや親の介護でご苦労されている方もあるだろう。
身心とも重い病に向き合って治療に励んでいる方もお過ごしのことだろう。
それに比べて自分の弱くて情けないことったら無い。
カクヨム上で、もしくは未発表の新作を創作することが世間からのひとつの逃避であったのだが、これが書けなくなったらもう終わりかな、と思っている。
今はまだかろうじて指が動く。脳が動く。
でもそういう薄氷の上にいる自分もなんだかどっちつかずで嫌いになる。
まるでさっさと病んで、家族や友人や世間から慰めて欲しいみたいだ。
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