ナレーションはキートン山田(地の文あるある)

 新作「越の翠華すいか」の連載を始めた。


 この作品はこれまでの自作とは趣の異なる過去転移で、いわゆる『なろう系』転生とはどこが違うと言われると困ってしまうのだが、とにかく違う。

 少なくとも、現代の情報や知識やスキルを持ったまま転移してもそのままチートやハーレムをしてしまう作品でもないし、『ざまぁ』『やれやれ』『スローライフ』『第〇王子(王女)』というテンプレでもない。

 それらの要素が無いからって、毛嫌いしていた『なろう系』じゃないと断言できるわけでもないが、そういうものだと察していただきたい。

 というか、私の過去の作品を見て貰えれば、決して『そうじゃないだろう系』というのはご理解いただけると思う。



 さて、私の長編は基本的に地の文が三人称である。

 三人称、神視点。

 ころころと主役を変えながら、登場人物たちの所作や心情を描きながら、物語を進めていくのだが、公募として出す時には下読みをしてくれる友人達に作品を託す。

 そんな彼らからよく言われたのが「キートン山田が多い(もしくは少ない)」という指摘だ。



「ちびまる子ちゃん」という風変わりで特殊な作品で、地の文を語るのはナレーションのキートン山田氏(最近は視聴できていないが、今は木村匡也さんらしいですね。私世代にはどうしても『めちゃイケ』『電波少年』の印象が強いですが)。


 そんなキートン山田氏は、作品の補足として作中の説明をする。

 そういう地の文の書き方は『邪道』だと下読みの彼らは言う。


 この違いが理解できるまでは私も苦労した。

 彼らの言う意味が文字で表現できるまでは、ずいぶんと悩んだ。


 つまり三人称神視点であっても、作品を進めるのはあくまで風景の描写だったり、登場人物たちの心情を彼らの言葉、もしくは所作で語らせること。

 対して『キートン山田』視点であると、補足の説明をすることで読者に理解をさせるという反則技だと彼らは言う。


 例が上手くできるかわからないが、試しにやってみよう。



「あなたのことが好きなの!」

「えぇっ!」

 A子の突然の告白にB男は驚いた。なにせクラス一番のイケメンであるC太といつも一緒に居たので、自分が告白されるなんて思ってもいなかったからだ。



という文章があったとして、『キートン山田』バージョンは。


「あなたのことが好きなの!」

「えぇっ!」

 A子の突然の告白にB男は驚いた。なにせ彼女といつも一緒に居るのはクラス一番のイケメンであるC太だ。彼が告白されるわけもないのは道理なはずであった。



 このわずかな違い、ご理解いただけますかね?


 前述の三人称神視点、神位置を変えるバージョンはきちんとB男の内心を描いているのに対して、後述の『キートン山田』バージョンは、同じくある事実を述べているものの、降って湧いたように唐突に読者に事実を突きつけている。

 こうなると、読者は「おぉ、そうなのか」と納得さぜるを得ない。


 そういう些細な違和感を下読みの友人達は『キートン山田が多い(少ない)』と表現して、私の文章力を評価してくれていた。

 最初は私自身も好き勝手に文章を書いていた。その些細な違いも理解できずに指摘されると腹を立てることもあったが、今や地の文三人称神視点の扱いにも慣れてくると、彼らも作品の出来栄えに納得してくれるというものだ。



 しかし今作は過去転移であり、古代の神話をベースにした主人公のドタバタを描いている。

 どうしても『これがあって未来の神話でこうなりました』と説明せざるを得ない部分もある。

 よって、キートン山田氏の出番である。

 歴史や史実ベースのフィクションであるならば、なおさら説明が多くなるのだが、そもそも全ての読者がそれらの情報を事前に知っている訳では無い。


 ある意味、既にある神話や寓話の二次創作な訳だしね。

「というわけで、このお話ではこうなりました」は必要不可欠なのだ。

 これはもはや諦めて頂ければ幸いである。

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