死なば我が身の花の世よ、と散らせるのが俳優の腕
エネーチケーさんの「プロフェッショナル」に小栗旬くんが出ていた。
恥ずかしながら私は録画したバラエティ番組の視聴が終わり、後半残りわずかしか観れなかったが、彼のストイックな役者としての姿勢は、その十数分間で充分に伝わってくる。
民放の1クールのトレンディドラマは全く観ないが、エネーチケーさんの大河ドラマならぼちぼち観る。
そんな中で同世代もしくは、自分よりも若い俳優さんの芝居を観て「あぁ、こんな良い俳優さんも今はいるのか」と、素直に感心することもある。
小栗くんもそんな中の一人だった。
個人的にイチ押しなのは佐藤健くんだ。
タケルくんはもう本当に好きな俳優だ。
初見は坂本龍馬を描いた「龍馬伝」だったか。
岡田以蔵のお芝居は、主役の福山さんを食ったな、と思うくらいの説得力でありながらも、とても自然でナチュラル。
あとは大河メンバーで言うと、山本耕史さんも好きだ。
どんな役をやってもそこに居るだけで安心感がある。
「おんな城主 直虎」の小野但馬守を演じる高橋一生くんも好きだった。
(同い年ですが、彼の方が誕生日が遅いので『くん』呼ばわりです。すいません)
高橋くんは何と言うか。
役の人物の最期、死の演技が圧巻だったな。
ドラマという過剰で非日常を扱う場ならば仕方ないとはいえ、役の最期を演じる様はどうしても『事切れる』感の芝居が否めないのだ。
まるでドラクエの「ぐふっ」って感じで、突然に首をガクッとさせる。
それにどうしても違和感を覚えていた。
祖父母と三世代同居していた古めかしい家の名残だろうか。
人間はどうしたって、最期は「すーっ」と息を吐き切る、もしくは苦悶の表情から一気に解放されて全身が弛緩していく、という感じが当然と見聞きしていたから。
それに最も近い芝居をしてくれたのが、大河では数多のキャラが死んでいくけど、小野但馬守の最期を演じる高橋くんだったと記憶している。
その時に「あぁ、これってドラマという創作を越えてホントにリアルな芝居をしてくれたんだな」って感心したものだ。
過剰な演出が当然なテレビ、それもドラマという創作の世界にあって、突然に日常的なリアルを目の当たりにすると、はっと息を呑む。
高橋くん演じる小野但馬守の最期はそんなお芝居だった。
世間が浮かれたカレンダーも赤文字のGWのさなかに、長々と陰惨とした人の死について、何を言いたいのかと申しますと。
ドラマや小説、漫画といった創作であっても、そこにリアルが伴うと非常に説得力が増してグッと良くなる、ということだ。
別にSFでもいい。
ハイファンタジーな、と限定付きの異世界でも構わない。
それが現実世界をモチーフにした現代ファンタジーであっても。
感情移入がしやすい環境や背景、キャラの心情や芝居があったりした方が、読者としては、より良い読後感が得られるのではないだろうか。
突拍子ない設定であるのは創作だから目を瞑れるとしても、やはり妄想垂れ流しの作品には食指は動かない。ところが、そこにやたら現実くさい描写があったりすると、それは突然に説得力を増して、作品世界に一気に引き込まれる。
「おっ、この人すげぇな」と膝を叩くばかりだ。
相互フォローもイイネも星も面倒くさい孤高のインディーズ作家気取りだったが、最近は『カク』だけでなく『ヨム』を実践したら、非常に刺激を受けている。
そして、自身の作風や作品と向き直った時に、周囲の人々の作品の出来栄えに唸って、焦る。
それは大河ドラマで良い俳優さんに出会った時の視聴環境に似ている。
非常に良いものを観れたという安堵と同時に、リアルに迫られたという奇妙な胸のざわめき。
そういう経験が、次の私の作品に活かされることを願ってやまない。
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