難解キャンディーズ

 まずふたつ、お詫びをしないといけない。


 いま順次公開をしている『神のまにまに』はカクヨムの長編では4作目となるが、執筆順としては処女作だということだ。

『東洋の魔女』が4本目、

『太陽が2個あってもいいじゃない!』が3本目で、

『あの娘に「すき」と言えないワケで』が5本目にあたる。


 だから、皆さんはいきなり下手っぴで粗削りな私の文章を読まされるのであろう。もちろん全ての作品でカクヨム用の改稿は行っているが、本筋は変えられない。


 加えて、この作品は特に難解だということだ。


 もともと好きなジャンルで好きなものしか書けない私。

 すぐにチートやハーレムしたり異世界に行ったり、世の潮流に媚びて肩の力を抜いた作品を書ければよいものの、なにか特異で、少し斜に構えた作品ばかり書いてしまうのである。


 公募を始めてから下読みに付き合ってくれる友人達にも「難解」と常に言われる。

 邑楽じゅんという私個人の作風をして「情報戦」と揶揄されることもある。


 それは例えば、主人公のAと、ヒロインB、ライバルとなるCといった具合に、それぞれが互いの思惑を知らずに、行動が交錯していくストーリーが好きだからだ。

 劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏の作品もそんな感じで好きだ。

 ビートルズの映画「HELP!」はコメディだが、そんなワチャワチャ感が出ている。


 私は決してミステリーが好きという訳ではない。

 それでも「情報戦」や「交錯もの」には、人間の「個」が露わになり、周囲を振り回しつつ、周囲に振り回されるキャラ達の内面に肉薄した何かを感じられるからだ。

 だから、登場人物たちの思惑の交錯で産まれる発言や行動の可笑しみというのを、ややシニカルに描くという意味では、客観視できる三人称がベストなのだ。

 私が今のところ短編しか一人称の文を書かないのは、それが私の表現力という意味では短編が限界だから。そこにはあくまで「僕」や「俺」や「わたし」の視点でしか描けないという制約があるから。



 もし、全てを描こうというのならば……


 俺の発言にアリスは素直に笑った気がした。だがそれはとんでもない思い違いだったと後で知ることになる。それこそがアリスの仕組んだ罠なのだから――。


 こんな感じでチートもハーレムも異世界も、ぜんぶ過去完了形の一人語りになってしまいますよ。

 異世界行ってイキった後に、晩年で武勇伝を語るジジィの話になってしまいます。

 今は昔、竹取の翁というものあり『けり』ですよ。伝聞の過去完了です。

 あり『き』というのは、体験・見聞の過去完了。

 厳密に言うと一人称の物語では有り得ないのよ。

 見えないものは無いものなんだから。

 他にもこんな場面も――


『愚かなり聖騎士よ。ゆけ、我が四天王が一角、スタリミリョォネね』

 一方その頃、俺は魔王がそんな会話をしているとは露知らず、呑気にケモ耳の従者ウサポンと話をしていた。


 こんな一人称の文章、有り得ない訳ですよ。

 ちゃんと主人公の『俺』の視界に入る世界だけ描きなさいよ、と思う訳です。

 作品世界という舞台を俯瞰で見て、仔細を伝えるには三人称の文章が一番良いというのが私の持論なんですけどね。



 そういう意味では、これまでの長編も、この「神のまにまに」も、登場人物たちがそれぞれの立場でワチャワチャして交錯していく作品である。

 タイトルやキャッチコピーがあらすじだったり、ストレスフリーで難なく読める今の流行からしたら、私は永遠に潮流に抗った物書きなのかもしれない。


 だが、それが私という作風を仕立てた音楽や映像や絵画や文筆……いわば、評価なんて気にせず、好きなものを好きなように書ける体質にしてくれたんだから、ある意味ありがたいと思う。

 あっ、でも私の作品は基本的にハッピーエンドです。

 難解でも最後はちゃんとほっとするように仕立ててますので。

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