お天道さまが見ている的な価値観
新作「神のまにまに」公開しました。
新作とは言っても、カクヨムで公開する長編では4本目ですが、執筆順は一番最初の処女作です。
迂闊にも某賞で一次選考を通過してしまったので、そのまま執筆を趣味にしてしまったというエポックメイキングというか、ある意味困った作品。
肩も凝るし腰も痛いし、目も疲れてしょぼしょぼする。
アラフォーには、パソコンに長時間向かうのって凄くしんどいんですよ。
十数年前に夢で見た不思議な光景を三年前にラノベっぽく仕立てて、改変したのは以前にお伝えした通りだけど、そもそも日本神話や神社が好きだったのは、旅好きであるのも大きいと思う。
ふらっと立ち寄った街で良さげな神社を発見すると、参拝する。
この旅が良くなりますように、帰宅した後もいいことありますように。
素直に神前で頭を下げて境内をブラブラ歩く間は心が無になる。
心のゴミ箱の余計な情報を落とすようであり、その後パソコンのパフォーマンスが上がるように、静謐で凛とした空気に触れることで、日常の中の非日常という空間に酔いしれ、冴えわたるような気がする。
それは普段の執筆の取っ掛かりにも似ている。
ある情報を違う角度から「こういうのって面白くなりそうだな」と考えを膨らませていき、それが作品の着想となる。
だから、神社に参拝して賽銭を入れるというのは、きっちり対価を支払い得る物を頂くありがたい行為なのかもしれない。
神社に詣でる理由のもうひとつに、厭世的な感情を拭うというものもある。
世間は困ったニュースが多い。
街で出会う困った人も多い。
そんな時に拝殿の前に立ち、素直な自分をさらけ出すことで、改めて自分の内面と向き合い、それがまた次の道を選ぶ強さにもなるし、心の弱さを実感し神様に癒しを得ることで平静を得ることもできる。
非常に合理的で日本人特有なリセット感覚とでも言うべきだろうか。
個人的には神道に傾倒しているが、神教徒という訳では無い。
我が家も墓が菩提寺にある、典型的な仏教徒だ。
だけど、私が神道や巫女の話を書くのは、そもそも神道の成り立ちが八百万の自然霊を敬うという土着信仰を元にしているもので、日本人の心やDNAの奥底に刻み込まれている価値観や美徳を表現しやすかったというのもある。
過去作「太陽が2個あってもいいじゃない!」は神様をテーマにしつつも、コメディ寄りの作品にしたが、今作はもっと神様や祈る側の人の気持ちに肉薄していた。
それはたいてい、私のメンタルが神様に寄り添わねばならない状態だったからだ。
たぶん当時の仕事や職場もそうだし、亡くなった母の往時の病状もそうだろう。
もしかしたら世間の困ったニュースに辟易としていたのかもしれない。
だから、私は処女作で神様の話を書いた。
それは対比として、主人公や神様と比較して、そもそも大衆は愚昧なものだと自分に腑落ちさせるためだったのだろう。
その憤りの向かう先が今の潮流であれば、すぐに「異世界でスローライフする作品書こう」なんでしょうけどね。
私は現実には失望していますが、自分の環境にはそこまで失望していないので。
かしこみ、かしこみ。
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