作品で『死』を扱うということ

 私の作品は登場キャラクターが死なない。


 いや、設定として『死んだ』キャラは登場する。

 主人公の両親や祖父母、作品を描く上で既に死んでいたキャラ、もしくは死を迎えることを描くことで、主人公たちの心情を明らかにしていこうという人物はいる。

 拙作「あの娘に『すき』と言えないワケで」がそうだ。

 幼少の頃に亡くなったご先祖様で、座敷童の女の子『ふみ』を登場させた。


 でもこれまでも、明らかなデスゲームの話や、描写の過程として倒れて敵に屠られて死にゆくキャラは書かないし、出さなかった。


 それの価値観が変わったのは、前作。長いので略して「あのすき」からだ。


 執筆時の二年前、ちょうどご時世はコロナ真っ盛り。

 オマケに私は会社でゴタゴタあって、転職をした(厳密に言うと、転職前の就活期間であった)。

 テレビから流れるニュースは不安な世相を煽るばかりのもの。

 生きるも死ぬも紙一重。

 将来の展望も無い中で、自分が生きている意味、生かされている意味を模索した。


 そういう暗く長い時間で、自分が生まれてきた理由と、生かされた経験、これから繋いでいく時間を考え続けた。

 そんな時に生まれたのが「あのすき」だ。

 ひとつは、さらに一年前の母の死。

 そして『ふみ』のモデル、祖父のすぐ下の妹の存在だ。


 残念ながらその方は、生まれてすぐに亡くなったようだ。

 お名前も分からない。命日も誕生日も詳細は分からない。

 ただ事実として、祖父には妹が居たがすぐに亡くなったということだけだった。

 しかも気の毒な事に、時間と共に父親や叔母達もその存在を忘れていた。

 私は幼少の頃に、祖父と一緒に風呂に入ったり食事をしたり、折に触れてその存在を聞いていた。だから忘れることも無く、すぐにふみちゃんを描こうと思った。

 後日、祖父が残した家系図が出てきて、父も叔母も皆がその存在を思い出してくれたのはありがたい話だった。


 そんな出会った事も無い大叔母である祖父の妹さんに、そして亡くなった母に。

 こうして繋がれた命に感謝し、想いを込めながら「あのすき」を執筆した。

 残念ながら電撃大賞さんで四次選考落ちになってしまったが、我ながら大健闘だと思う。

 大叔母さんにはいい供養になった。



 なので、今思いつくプロットは『生と死』に関するものばかりだ。

 いくつかの自主企画にお邪魔して、短編で生死を扱ったのも理由の一端。

 自問自答して、それを作品に落とし込んでいくしかない。


 単なるデスゲームやざまぁ復讐系ならいいのだろうが、センシティブな内容だけに カクヨム的にはさらに人気から遠ざかる訳だし、公募の選考に通りにくくなるかもしれないが、もうこれは仕方ない。

 今この世にあるもの全てをつぶさに観察しながら、世間への違和感や疑問など素直な自分の想いや願いを文字にしたい。


 加えて、上記の理由から例えモブでも死にゆくキャラクターには一定の敬意を表している。

 だからこそ、闇雲にキャラクターが死なないし、死なせたくない。

 例え世紀末のヒャッハーな世界で、肉片になる敵役でも。

 異星人がやってきて最初に出会った戦闘能力5の農夫でも。

 それを『創作』で片づけてしまうのは、生まれてきたキャラクター達があまりにも無体だと思うからなのは、私が神経質で繊細過ぎるからなのだろう。

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