第3話 憬慕の宮殿

 門の確認作業は常に2人で行っていた。1人が目を離しているうちにもう一方が消えてしまうようなことが無いようにだ。しかし実際のところ、その心配は杞憂と言えた。なにせ阿里にせよ、式水にせよ、門の先など見えないのだ。書物を紐解き始めてからは現地へ訪れる頻度こそ減ったが、それでも毎週のように門に手を突っ込んでは何もないことを確認していた。


「それで、なんて書いてあったんだよ。」

朝早く、門の前で阿里は急かすように式水に問いかけた。

「ああ、でもその前に確かめたいことがあるんだ。」

式水はいつも軽口をたたくかのような調子で、

「ちょっと、一瞬でいいから後ろ向いてくれないか?」

「なんだよ、それは危険だからやめようって君が言ったんだろう。」

「いいからいいから」

式水の頼みに阿里は後ろを振り返る。何もない。当然だ。

前に戻って、どうしたんだよ、と口を開きかけて阿里は止まった。式水の顔は、真剣そのものだった。

「式水?」

「やっぱり、」

おまえだったんだな、と言って、式水は阿里に背を向けた。

「え?」

「阿里、後ろを向いてくれ。門に背を向けて。」

「何言ってるんだよ式水!」

「大丈夫だ、阿里。」

「おい式水!」

「阿里」

いつになく強い口調で式水は口を開こうとする阿里を制止した。

「俺が見つけた遺跡の記述とこれまでの俺の調査結果を紐づけたものを、寝床の裏にまとめてある。家に戻ったらそいつを見て、あとは好きにしろ。」

「どういうことだよ。」

「俺は行くよ。お前は俺から視線を外してくれ。それが”答え”だ。」

よくわからないまま、おろおろと、阿里は後ろを向いた。少し離れた背中越しに、式水が大きく息をつくのが聞こえた。

「ありがとよ。」

「説明、してくれるんだよな。」

「さっき言った資料を見りゃあ、だいたいのことは見当がつくはずだ。」

「……わかった」

「最後にもう一つだけ、いいか?お前は、門のことを解明しようとしているんだよな?」

式水は尋ねた。

「何言ってるんだよ式水。当たり前だろ。僕が、やらなきゃいけないんだ」

「お前のやらなきゃならないことって、なんだ?」

「どういうことだ?」

「わかんねえか。いや、いい。俺が言っても仕方ねえんだ。」

ただよ、と式水は続けた。

「お前は頑張ってると思うぜ、阿里。お前は、それでいいんだ。」

それが、阿里の聞いた最後の言葉だった。


「式水!」

振り返ったとき、門の前には誰もいなかった。

式水は消えた。いなくなった。

阿里にはわけがわからなかった。さんざん調査していたときに、一度もそんなこと言わなかったじゃないか。

「式水、式水!!!」

手を伸ばしても、門の向こうには変わらぬ景色が広がっている。まだ昇り始めの朝日が眩しくて、どこかで鳥が鳴いている。

「式水、おいっ!どこだよ、どこ行ったんだよ式水!ふざけるのはよせよ!どこかに隠れてるんだろ?なあ!」

答える声はもうどこにもなかった。


気になるのは、式水の残した言葉だった。

資料をまとめてある、だと?転げるように家に戻って、式水の寝床を調べる。言われた通り、そこには本があった。


 ”憬慕の宮殿けいぼのきゅうでん"

類似する遺跡をリストアップしたと思われるメモが先頭にあり、その言葉に大きく丸がついている。雑多に引用された文献、式水自身の考察が紙切れに並べられた資料は一見乱雑に見えるが、その実非常によくまとめられていた。

もとよりある程度情報は共有しあっていた仲だ。阿里にとってはそれを読み解くのは難しいことではなかった。


”宮殿”と呼ばれる遺跡は複数存在する。いずれも門と建物はセットで、どこかに出現する。式水の所持していた遺跡の書物によると、ここより南の地にある、建造物型の遺跡は、門のない宮殿だったと記載されている。


”宮殿”はその様式がどれも似通っていることから、遺跡としての識別は容易に行われる。それは最初の宮殿内部に秘匿されていた目録により、場所と名前、大まかな機能が推測できるからだ。最初の宮殿とは、人類が初めて見つけた知識の宝庫。

そう、今では天院と呼ばれている、巨大な空中建造物のことだ。


憬慕の宮殿、その機能とは。

曰く、

其の門は見る者が実現可能な限りで理想の世界を提示する。


つまり、門の向こう側には楽園が広がっている、ということらしい。約束された楽園への扉。


面白いのは、観測者が単一でない限り作用しないという点だった。観測者自身が誰かに認識されている状態では、門の映す景色自体も霧散してしまうのではないか、式水が朱で書き込みを行っている個所に、そのような推測が記されている。

観察している限り、発見できないその事象に、どうやら式水は偶然気づいたらしい。たまたま近くにいたカエルが見ないうちに消えていたこと、それから数回の試行の結果、カエルは"見ていない"と消えることにたどり着いていた。

例えば、望むところへと瞬間移動するような台座のような遺跡は、2人で使用することはできないという前例がある。


阿里と式水はお互いを監視するようにして門への調査を行っていたがゆえに、そのことにずっと気が付くことができなかった、というわけだ。


「わかったよ、式水」

ひととおり読み終えるのには3日ほどかかった。

「わかったけどさ、じゃあなんで」

そのうえで、大きな問題は残ったままだった。

「じゃあなんで、僕にはその、理想の世界ってやつが見えないんだ。」


そう。

阿里はひとりになったのに、門の先に何も見ることはなかったのだ。

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