第2話 消失

 阿里にはわからなかった。

門は柱こそおかしな素材であるものの、中に何があるわけでもなく、手を入れても向こう側に突き抜けるだけだった。遺跡というくらいだから、何かの建造物に付随していたのだろうと思うものの、それ以上は想像の域を出なかった。

その頃になると、村人の言うことも、或る程度まとまってきていた。その中でも皆が口を揃えていうのはこういうことだった。曰く、消えてしまった者たちは、門の向こうに景色が見えたという。


「適性が必要ってことか?だとしたら、条件は?」

式水はここ数日、おなじ疑問で堂々巡りしている。

「距離は関係ないのかしら?いなくなった方のお家の地図はあるの?」

聞くのは阿里の妻、香苗だ。聞き上手なうえ、ときに阿里には思いもつかないような案を出してくれる。

「門から同心円、というわけでもない」

「てんでばらばらだ、年齢が関係しているとも思えない」

「だってあなた達調べたんでしょう?」


「「調べたさ、2人で何度もな!」」


「そういうことだけ息ぴったりなんだから」

呆れ笑いで香苗が続ける。

「いいからちゃんと調べなさいな、薬者さんがた」

後ろで娘の小絵がきゃっきゃと笑った。阿里も釣られて頬が緩んだ。そうだ、頑張ろう。この笑顔を守るためなら、どんなことでもしよう。そう思った。



その香苗と小絵が消えて、半年がたった。



 不思議と、絶望は感じなかった。麻痺していたのかもしれないが、それ以上に湧き上がる衝動があった。理由がわからなくても解き明かさなければならない。この村の薬者は自分だけだ。阿里には使命感に似た、強い気持ちがあった。何としてでもこの謎を解明するのだ。村の存亡がかかっているのだ、自分にしかできないのだ。そうだろう?努力しろ、頑張れ、頑張れ。

「どうすればいい、式水」

無精髭の伸びたまま、顔をなおざりに水で洗って目を覚ます。床に散らばった本をそのままに、阿里は式水に尋ねた。

このところ、式水は分厚い本を取り寄せていた。なんでも、各地に存在する遺跡について書かれた本だそうだ。類似するものがあるかどうかはわからないが、とにかく調べるしかなかった。

「なあ、阿里。俺たちは仮にも天院で学んだ身だ。先生たちは何を言ってた?自然には必ず法則がある。そのカギとなるのは、観察と、」

「再現性だ。それはわかっているさ。」

もう何度も繰り返した問答だ。合言葉のようなものだった。

式水は天文、気象が専門だ。気温や雨の降った量、星の位置、それらの観点から、門と関係のありそうな要素を調べていた。阿里は川と地面をもとに、地層や水の流れを観察していた。観察すること、仮定を置いて検証すること。門がこの世に出現しているものである以上、どこかに必ずこの世界の法則に則った制約があるはずだ。見当外れでも構わない。その場合はその手法が間違っていたとわかるのだから、前進には違いない。

「式水、おまえの村の人たちには被害はないんだよな」

「ああ、俺がここに殆ど居ついてしまっているから、みんなここまで来てくれるけど、変わりはないみたいだ」

少なくとも、門の効果範囲はこの村に収まるということだ。場所を変えても再現はされなかったというのはありがたい反面、ほかの土地のことは参考にならないということでもあった。



門が出現してから、一年がたった。



「わしゃもう行くよ。」

村に残っていた最後の老人が、出て行った。早くに夫に先立たれて、独りで暮らしていた女性だった。

人は加速度的に減った。なんせもう原因はわかっている。消えた者を追っていく者、純粋に興味本位で門を覗く者。彼女のように、村を離れて別の土地に移る者。

それなのに、果たして門の停止手段は全くわからなかった。そしてなにより、阿里と式水には門は何の変哲もないアーチにしか見えないのだ。


「とうとう、俺たちだけか。」

式水が、わざとらしく頭を掻きながら言い、夕餉のための火をおこしに行った。

食料こそ、式水の村の者たちに頼んでもらってはいるものの、男二人の、それもどちらも寝食を削って別の問題に取り組んでいるような薬者たちの食事が華やかなはずもない。雑炊の葉っぱ増しならまだマシで、米を入れ忘れて葉物の水煮ということも珍しくはなかった。

「式水の飯って相変わらずまずいな。」

「お前が作るのも大して変わらないだろ!」

「え、そんなことないだろ。」

「ある。このレベルの素材と調理で味に差が出てたまるかよ。誰だって自分が作るとおいしくなったような気がすんだよ。嫌だったら毎日お前が作れ。」

「君と一緒にするな。だいたいなんだよあの変な料理のレシピ!」 

「あれはあれでうまいだろ。栄養たっぷりだし。それよりお前、門についてちょっとでもわかったのかよ。」 

「くっ、まあでもどうせ研究も捗っちゃいないんだろ、お互い様だ。」

「いや、それがそうでもなくて、

「そうだろう、そう……えっ?今なんて言った?」

「いや、それがそうでもないんだ。」

最近調べていた本にどうやら似たような遺跡の存在が書かれていたのだ、と式水は言った。

「おい、そういうことはな、早く言ってくれよ!」

興奮のあまり立ち上がりかけた阿里にまあまあ、と式水は言った。

「今日になって、ようやく確証が持てたんだ。それに、どうも実際に見たほうが早そうでよ。明日、門のところで話すから、な?」

阿里はしぶしぶ頷いた。それに今さら、今日も明日もないだろ。そう続けた式水の声は聞かなかったことにした。あいつの冗談は笑えないものが多い。


その夜、阿里と式水は久しぶりに長話をした。阿里が寡黙だということもあるが、式水も案外自分のことは口にしない男だった。無駄話や軽口はよくするのに、突っ込んだ話をすると話をそらしてしまうのだ。これだけ長く付き合っていても、相手のことで知らないことは多かった。しかし食事の場でこそ淡々としていたが、さすがに浮かれているのか式水はいつになく饒舌だった。何を知ったのかは知らないが、よほどのことなのだろう。 

「なあ、阿里。」

「なんだよ」

「昔、お前さあ、今のままでいいのかとか言ってたじゃんか。まだあのクソッタレの門が開く前。」

「ああ、そうだったね。」

「うん、でも今の俺たちってよ、」

言葉を切って式水は続ける。

「あのころに比べたらずっと大変で、言っちゃあなんだけど、目標がはっきりあって、がむしゃらに毎日を過ごしてるわけだ。笑っちまうよな。」

「それは──。」

そう、かもしれない。いや、だが。

「式水、そんなことは言っちゃいけないだろ。」

自分がまるで努力しているかのような。何もできていないのに、自分を認めるようなことはできない。それに、

「お前は自分の家族や村の人たちを失ってないからそんなこと言えるんだ。」

冗談じゃない。しかしその後の答えは阿里の予想外のものだった。

「いやすまんすまん、お前はそうだよな。でも俺はもう、とっくに家族を失っちまってたからさ。」

「えっ」

「流行りの病でな。俺が天院に行っている間に村ごと無くなっていた。ひどい話だろ。」

「……ごめん、式水、昔からの付き合いなのに。僕は、知らなくて。」

「そりゃあ言ってねえんだから知らなくて当然さ。構わねえよ、昔の話だ。でもよ、人がいなくなるなんて、ありえない話じゃねえんだ。最悪、ほかの土地で新しく人生をやればいい。俺にとっては、そんなもんだ。」

「じゃあ、どうして式水は僕に付き合ってくれるんだ?」

「それはお前、お前があの門のことを必死に調べようとするからよ。そんで、」

俺は、お前の友達だからだ、そんなことを式水は言った。

「式水、おまえ……。」

「うるせえな、好きでやってるだけだよ。」

手をひらひらと振って、式水は胡坐を組みなおした。

「なあ、俺は時折考えるんだけどよ。もし、いなくなった奴らが全員、今よりもっといい場所で楽しくやってたとしたら、どうする?戻って来いよー、なんて言えるか?」

「どうだろう、言えないかもしれないな。」

「そうだよ、なあ……。」

「どうしたんだ?」

「いや、あくまで例えばの話だよ。それでもお前は門のことを調べて、なんとかする方法を調べようとするんだろうよ。つまるところ、俺もお前も薬者だってことだ。さらにいや、もしかしたら、お前は学者に向いていたのかもな。」

「僕は、ただ僕がやらなきゃいけないことをやろうとしているだけだよ。」

阿里はこの村の薬者だから、その務めを果たさねば。それだけだと、阿里が答えると、式水は奇妙な顔をした。

「そうかもしれねえけど、そうじゃねえだろ。ちげえんだ、ほんとによ、そんな話がしたいんじゃなくてよ……お前は──、ああもういいや、明日早いんだから早く寝ちまおうぜ。」


式水は首を振って口を閉ざした。それ以上話すことは無く、横になると、どちらともなく寝てしまった。

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