未だ門あれかし

かたなり

第1話 門

 それが開いてからもう何年経つのだろう。

「返してくれは、しまいか」

何千回も口にしたその言葉を、阿里はもう一度呟いた。



眼前には小さな門がある。石のような材質でできた身の丈ほどの門は、その実考えられるどのような手段を用いても破壊することはできなかった。村の力自慢を集めても、誰一人傾けることさえできない。鍬で思い切り打ったところで、かえって鍬が欠ける始末だった。こんなものは見たことがない、と、遠くの村までうわさは広がり、多くの者が見にやってきた。もう、随分と前の話だ。


 山亀と呼ばれるその土地は肥沃とは言い難かった。都からははるか東、その名の通り隆起した山地の斜面に築かれた村は、果樹を植えその実を売って生計を立てるものが多かったが、中には階段のように断続的な平地を切り拓き、水田をつくる者もいた。毎年秋のころ合いになると海のほうの村から人がやってきて、魚や塩を米と交換するのが習わしだった。そういった立地の為か、辺境のほうの村にしては住民も多く、阿里のような薬者(やくしゃ)にとっては住みよい場所だった。妻となる人と出会い、娘まで授かることができた。自分は本当に幸せ者だと、常々阿里は思う。


生まれはこの村だが、九つの時に天院(てんいん)に預けられた。天院は白燈山のふもとに位置し、学者、薬者の養育を行う機関だ。学者、薬者の卵は国のあらゆる地域から1人ずつ、2人選ばれて天院に送られる。学問は国の命であるとされ、たとえ役人の子であったとしても「天院の試し」で良い評価を得たものは、天院へと行かねばならなかった。「天院の試し」は全国で開催され、数えで12になるまで受けることができる。読み書きはもちろんであるが、その内容は単なる机上のものに限らず、星の観察や土の中の虫について問うもの、火のつけ方や牛の世話の仕方を説明させるものなど、多岐にわたった。必ずしも金のある地主の子息ばかりが選ばれるわけでもなく、阿里も子供の頃、地元で誰も期待していなかったような変わり者の子供が天院へ入学した話を誰かしらから聞いたものだ。


天院で学び、専門的な技能を身に着けたのち、学者は天院の維持、国の役人としてそのまま白橙山にとどまる。一方で薬者は地方へと派遣され、その村、地域の有識者として生涯を過ごすのが通例だった。


試しを通ったころは、まさか自分がこの年になって、こんな妙なものを調べているとは思わなかっただろうと、阿里は苦笑した。笑ったところで、いなくなったものが帰ってくるわけではないが。


 門が現れたのは突然の事だった。

はじめは何かの遺跡かという話だった。この国ではそういうことがよくある。しかしそれがまだ稼働しているらしいとわかったときから、にわかに阿里のまわりも忙しくなってきた。

「引き込まれた?」

それは初夏、汗ばむ季節が始まろうという頃だった。

「ああ、朔太のところの爺が帰ってこないらしい」

隣村の薬師である、式水が答えた。

門が現れて数週間後、壊れない材質の遺跡の話を聞いて、調査のためしばらく阿里の家に泊めることになっていた。天院での同期で、昔からの友達だった。人付き合いが得意とはいえない阿里にとって、誰とでも打ち解けて色々な話を仕入れてくる式水はありがたい存在だった。

「誰か見たのかい?その、門に入るところを」

「いや、だが最近しきりとあれを見に行っていたらしいぜ」

「それだけだと根拠に乏しくないか?あの人はああ見えて身体のほうは達者だから、山の方に散歩に行っただけかもしれない」

「3日も家族をおいてか?」

「それは、確かにおかしいな…」

阿里も首をかしげた。

「遺跡のなかには、出現からしばらくして、稼働を始めるものもあると聞く。とにかく調査が必要なことだから、性急に動くわけにもいかないだろう。」

「まあ、それもそうだな。阿里、お前さんは門について何も心当たりは無いんだよな?」

「あるわけないだろう。あったらもう少しましな嘘をついてる」

「ふーん、ま、お前はましだろうがそうじゃなかろうが、固すぎて嘘なんかつけるもんかよ」

「なんだって?」

「いや何でもないよ、阿里さんは立派な薬者さんだ」

式水は軽口をたたく。一方で阿里は複雑な表情をした。

「立派な薬者ねえ……、僕はそんなものになれてるんだろうか。」

「なんだ?悩みでもあるのか?」

「ああ、こうやって村の人に頼りにされてさ、先生と持ち上げられちゃあいるが、僕がやっていることなんて大したことじゃない。ちょっとした風邪薬を渡したり、治水の真似事はしているけども、こんなことでいいのかな。」

「そしたら何かい、お前は今以上に忙しく働きたいっていうのか?別に今でも十分うまくやっていると思うけどなあ。」

「そう言ってくれるのは式水だけだよ。いや、いるにはいるけれど、やっぱり同じ薬師に言ってもらえると、いくぶん気持ちが楽になる。」

「へっ、ならよかったよ。あんまり思い詰めるもんじゃないさ。しばらくは俺もいるんだ。」

「うん、そうだね。ありがとう。」

式水とはその後、お互いの仕事について話し合ったりした。一口に薬者と言っても地域が違えば持ち込まれる相談ごとも違う。対処の仕方も、それぞれの考え方によって異なることもある。阿里は細かいことを考えすぎるきらいがあったが、式水は楽観的を絵に描いたような思考で、面白いことに妙に馬が合うのだった。


でも、式水にはああ言ったものの、本当にこの生活でいいのだろうか、という想いは、ときおり阿里を悩ませていた。

こんなに平和に暮らしていいのだろうか。天院にいた頃はいくらでもやるべきことはあった。知識は無尽蔵に保管されていて、院を出る前にどれだけのことを自分は身に着けられるのか、また残せるのか、といったことに心を追われていたように感じる。

その結果に今の生活があるといわれるとその通りなのだが、なにか、ふとした拍子に心が宙に浮くような、何とも言えない物足りなさを感じるのだった。本当は、もっと自分が身を粉にして果たすべき何かがあるのではないだろうか。それが何かと聞かれると、答えられないのだが。


しかし式水の懸念は的中した。それから立て続けに人が消えた。


「1月に10人だ。数年もしないうちに村の人間がいなくなるぞ。」

明らかにあの門が原因だとわかっていた。しかしいったいどのような理屈で人が消えるのかわかっていなかった。

たくさんの人が阿里のもとへ詰めかけた。薬者は心の不調や悩み相談まで扱う、地元の何でも屋だ。式水と阿里は交代で不安を訴える村人の相手をしていた。門を閉鎖すべきだという声もあったが、誰もその瞬間を確かに確認した者はいなかった。

それでもふと気づくとまた一人、減っていった。

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