第十四話 僕は友達がいないことに気付く

 僕は途方に暮れてしまった。ユリアンナは完全に取り付く島もない対応だった。塵化、溺死、餓死を逃れたのに、次は懲役刑か、あるいは最悪処刑の危機である。何とか今回も状況を打開するしかない。少し頭を整理しよう。そう思い、部屋の中を簡単に一瞥いちべつした。そこで、あることに気付く。ある筈のものがない。それは、どんな汚いやつでも温かく迎え入れてくれる懐の深い方、時には友達のいない人間とお昼の弁当を一緒に食べてくれる無口だけれど、やさしい友達。そう、トイレである。

「おおおーーーいいいーーー!」

 絶叫して、鉄格子を力の限り叩く僕。しばらくして、ユリアンナがやってきた。

「なんだ、騒々しい。自害するから、失敗したときに完全に息の根を止めてくれてと私に頼みたいのか。」

「違う! そもそも、自害するつもりなんて毛頭ない! なんでここに便所がないんだ! 牢屋にしたって最低限の品質というものがあるだろう!」

「全く、お前の目は節穴のようだな。部屋の隅をよく見てみろ。」

 馬鹿の相手は疲れると顔に書いてありそうなユリアンナが指示した。

 そう言われて、部屋の角に目を向けた。木製のバケツが目に入った。僕は嫌な予感がした。

「あそこに立派な便所があるではないか。本当はお前如きに使わせたくないんだが、部屋を汚物で汚される訳にもいかない。最大限の感謝の意を示して、丁重に使用しろ。」

 もし今、バケツに汚物がたまっていたら、この女の顔面にかけていただろう。いくら懐の深い友達だとしても、自身の汚物を後生大事に抱えている便所もどきにすらならないバケツと同棲するのは無理がある。

「器の形をしていれば、何でもいいのか。それならば、いっそのことこの屋敷の高級な壺にでも変更すれば良いのではないかな。その方がよほど気分よく、犯罪者が牢屋に滞在してくれるというものだよ。」

 呆れてものも言えないなか、どうにかして皮肉の一つを絞り出す。

「それでお前が言葉一つ発することなく、自害するというのならば、検討してやらないこともない。」

 皮肉すら通じない。二の句が継げなくなっていると、彼女は言葉を続けた。

「もちろん、冗談だ。お前に使わせる壺などこの屋敷のどこにもない。もしあったら、お嬢様の教育上よろしくないから、私が処分している。もちろん、お前も教育上よろしくないから、本心では今すぐ処分したい。」

 冗談はこのバケツがトイレだという事実の方だろう。加えて、教育上よろしくないのはむしろあんたの方だよ。僕は女湯に入れないが、あんたは入れるんだから論を待たない。こちらの思いなど知ろうともせず、僕を尻目に再度去っていくユリアンナ。


 とりあえず、気を静めよう。そして、今度こそ頭を整理しよう。そう思い、部屋の中をまた一瞥した。そこで、あることに気付く。またもや、ある筈のものがない。それは、常に便所と共にあり、彼を半歩後ろから支える貞淑なお方。肌色は様々なれど、例外なく排泄後の汚い口を拭ってくれる母性の塊。そう、トイレットペーパーである。

「おおおーーーいいいーーー!」

 絶叫して、再び鉄格子を叩く僕。しばらく経っても、ユリアンナはやってこなかった。こちらを無視することに決めたようだ。そちらがその気ならば、もはや根競べである。延々と鉄格子を叩き続ける僕。やがて、ユリアンナがやってきた。明らかに顔に嫌気が差している。

「お前、いい加減にしろよ。今度はなんだ。壺への変更要求なら却下したはずだが。」

「百歩、いや百万歩譲って、便所の件は受け入れよう。しかし、便所と一心同体の紙がどこにもないのはどうしてなんだ? まさか、犯罪で手を汚したから、その汚れた手で拭けというのかい? すでに汚れているから、これ以上汚れても構わないということか?」

 ユリアンナは少し思案して、答えた。

「そうだな。それがいい。自分の手で拭いてくれ。お前、たまには殊勝な提案をするじゃないか。まあ、それで印象が良くなることは全くないが。」

 目を丸くして、絶句する僕。一体誰があの主張で墓穴を掘ってしまうことを予想できようか。まさかここまで取り付く島もないとは思わなかった。もう語るべきことなど何もないのかもしれない。というか、彼女もそう言っていたではないか。相手してくれるだけ、彼女としては譲歩しているということなのだろう。

 僕の沈黙を肯定と解釈したのか、捨て台詞を吐いて、帰っていくユリアンナ。

「自害するときは用を足す前にしろよ。糞みたいなお前の糞なんて見たくないからな。」

 自害したら筋肉が弛緩して、脱糞するのではないかと思ったが、何も言わなかった。

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