第26話 愚者を捕える~一人も逃がさない~




「――さて、何故今『娘』の前に現れた?」

 アザレアは箱を大臣に渡し、下がらせた。

 女は悲壮な顔を「作り」話し始めた。


「――私は昔夫を事故で亡くした後、夫の両親に無理やり息子と産まれたばかりの娘を奪われ、傷心でいた時、フリューゲル伯爵に見初められ、妻として迎えていただきました。勿論我が子達の事を忘れたことなどありません。アザレア陛下のご婚姻の相手の名を見て、一目で娘と分かり、一度会いたいと思いやってまいりました。息子の方はどうやら事故で亡くなっている……ならばせめて娘だけにでもと――」

 大げさな演技をする女に、アザレアは無表情のままだが、心の中で侮蔑と怒りを煮えたぎらせて静かに見つめていた。

「娘――我が妻と汝はどうしたいのだ?」

「できれば近くにいたいのです、今まで傍に入れなかった分――」

「ふむ、そうか。ならば……」

 アザレアは相手にあえて期待を持たせるような雰囲気を見せた。


 案の定、それに反応し女は隠した顔の下に欲深い笑みを浮かべていた。


 アザレアは嗤う。

「汝の『息子』の意見も聞かねばなぁ?」

「?!」

 女は驚愕の顔をして顔を上げた。

「入ってくるがよい」

 アザレアがそう言うと、配下が仮面をつけた男を謁見の間へと連れてきた。

 仮面を男は――アカシアは外した。

「久しぶりですね『母上』?」

 アカシアは蔑んだ視線を女に向け、冷たい声で女に言った。

 女は顔を真っ青にしている。

「――さて、先ほど、汝――貴様は『息子は事故で亡くなった』と言っていたな? だがどうだ? 我が妻の兄は、貴様の息子は、生きているぞ?」

「本当嘘つきですね『母上』私の事を殺して、祖母も殺そうと依頼をしたのに」

 アザレアの言葉に続けて、アカシアは言い放つ。

 その言葉に、ストレリチアが少しばかり不安定になるが、アザレアは彼女の手をそっと撫でた。


 アザレアの方を見たストレリチアに優しく微笑む。

 それで落ち着き、安心したのか、ストレリチアは先ほどの表情に戻った。


「さて、我が義兄アカシア。其方の父君は事故死か?」

「いいえ、陛下。私の父は体を大量に刃物らしきもので刺されて殺されていた状態で発見されました。ですが、調査は中断し『事故死』と片付けられました」

「ふむ。続けて問おう。其方と我妻は『親』と引き離されたのか?」

「いいえ、陛下。私と妹、ストレリチアは『母上』に『要らぬ』と捨てられ――その女は私達を捨てて、貴族――フリューゲル伯爵の妻になり、私達は父方の祖父母に引き取られました」

 女の顔色が青ざめていく。

「う、嘘よ!! あ、あれは間違いなく事故だったし、私は――」


「黙れ」


 アザレアは殺意を込めた視線を女に向け、冷たく切り捨てるように言葉を放つ。

「貴様が、我が妻ストレリチアに取り入る為に、真実を知っている妻の兄であるアカシアと、祖母であるエビネを殺そうと暗殺者を向けた事など既に知っている。暗殺者達は操り、偽造証拠を渡すようにさせた。貴様らの情報は全て筒抜けだ愚か者め」

 蒼白になっている女を睨みながらアザレアは続ける。

「貴様が余の最愛の妻と妻の兄を捨てた事を聞いた時はどう処刑してやろうと考えたが、もし妻と妻の兄や祖母、妻が愛した隣人達に関わらないのであれば、多少は貴様にも罪悪感、良心があると判断し見逃してやろうと思った、だが――」

 赤紫の目に、怒りの炎を静かに宿したままアザレアは続ける。

「貴様は愚行を起こした。貴様たちは許しがたい行いをした。さて、どうなるか」


「分かっているであろうな? カルミア・フリューゲルス」


 女はひぃと悲鳴を上げて尻もちをついた。

 救いの目をストレリチアに向けていた。





 私と兄を捨てた女が私に救いを求めるような視線を向けている。

 嘘をついたまでなら、多少は許せた。

 だけども兄やお祖母ちゃんを殺そうとしたこの女を許すことは私はしない。

「……『お母さん』いえ、フリューゲルス伯爵夫人」

 私は女をそう呼んだ。


――この女は私の母じゃない、産んだだけの、女だ――


 微笑んで、女に言う。

「私は貴方を許しません。私の父ベルフロウ・アウイナイトを裏切った貴方を。私の兄と祖母を殺そうとしたことを許すわけにはいきません」

「ではストレリチア、其方は何を望む?」

「――まずは真実を、私の父の死の全てを明らかにしていただきたいのです」

「罰はその後、か」

「はい、陛下がお許しになられるなら……」

「許すも何も、余も望むことだ――その女を尋問室へと送れ!!」

 アザレア様の言葉に、待機していたらしい執行官の方達が姿を現し、女を連れて行った。


 女の喚き声が五月蠅くて、不愉快だった。


 女がいなくなり、静かになった謁見の間に、兄のため息が聞こえた。

「どうしたの、兄さん?」

「……実の母親があんなのだというのは、本当に精神的にこう……」

「……あまり記憶はないけれども、そうね。父さん、どうしてあんな女と結婚したのかしら……」

「俺の記憶が確かなら、お前が産まれて後までは普通の母親……だったんだよ、産まれた後えーっとなんだっけ……」

「義兄よ、心当たりがあるのか?」

 アザレア様の問いかけに、兄は額をおさえながら思い出そうとしているようだった。

「……そう、リチアが乳離れしてから食堂働きだして……その後何かあって……そのフリューゲルス伯爵の所でメイドとして雇われた後から……急に俺達に冷たくなって……父さんは『慣れない仕事で疲れてるんじゃないか』とか言ってましたが……」

「実際はそうではなかった、と」

「そう、ですね……」

 兄は疲れた顔をしている。

「兄さん、大丈夫?」

「大丈夫だ……それよりもお前の方が心配だよ。悪いな、色々と隠してて」

「リチア、其方の兄を責めないでくれ。余がそのように頼んだのだ、責められるべきは余だ」

 アザレア様の言葉と兄の言葉に、私は小さく首を横に振る。

「いいえ、アザレア様も、兄さんも、私の事を気遣ってくれていたのが分かります。だから責めることなどできません」

 責めることなどできない。


 もし、私がもっと早くそれを知っていたら、私は私を許せなくなって何をするか分からない状況に陥っていただろうから。


 あの男に見切りをつけた今だから、私はちゃんと落ち着いて聞くことができる。

「……ねえ、兄さん」

「ん? どうしたリチア」

「……お父さんって、どんな人だったの? 私、どうしてかうまく思い出せないの……」

「ん――……婆さんと爺さん足して二で割ったような感じ。おっとりとしてて優しいけど、仕事は真面目で体が丈夫。俺やお前の子育てにも積極的だったよ。だからあの女が冷たくなった時はより俺達の事を大事にしてくれた」

「……」

 兄の言葉に、私はしばし考え込む。



『リチア。いいこだねぇ』

『お母さんがいなくて寂しいのかい? よしよし、お父さんがその分一緒にいてあげるからね』



「――」

 思い出がぶわりと蘇った。


 黒い髪に、青い目の、兄に似ていて祖母の様な優しい雰囲気の男の人が私に微笑みかけてくれていた。

 抱っこをしてくれた。

 幼い頃の兄と小さい私を愛して慈しんでくれた男の人の姿が、声がはっきりと蘇った。


『リチア、私の可愛いストレリチア。何て可愛い女の子なの』


 悲しいことに、まだ愚者に成り果てる前のあの女の事も思い出してしまった。


「っ……」

 ぼろぼろと涙が零れてきた。

「り、リチア?!」

 兄が駆け寄ってくるよりも早く、アザレア様が私に近づき、私の涙をぬぐいながら、何処か悲しげな表情をしつつ、私の頬を撫でてくれました。

「そうか、其方は『優しかった頃の実母』と関係する記憶を今まで封じていたのだな、だから父の事も思い出せなかったのか」

 アザレア様の言う通りだ。


 私は今まで、父の事を聞くことはしなかった。

 父と「母」は亡くなった、それ以上知ろうとしなかった。


 理由は今にしてしまえば簡単だ、幸せだった時を愛された時を、壊され、裏切られ、捨てられたという事実を私は無意識に思い出すのを、避けていたのだ。


 最低な輩だと思い込みたかったのだろう。


 幸せな記憶がある程、裏切られた事実は心を、締め付け苦しめるものだから。


 あの男の時と、同じだ。


――でも、泣いて暮らすだけの私はもう止めた――


 唇ときゅっと噛む。

 涙が零れるのが止まると、私は静かに言った。

「――アザレア様」

「どうしたリチア、良い許す。其方の望みを言うがいい」

「私の父を殺した者達に、関係者に罰を与えて欲しいのです。私の兄と祖母を殺そうとした輩に罰を与えて欲しいのです」

 大切な家族を傷つけて殺した連中、殺そうとした連中を野放しにしておくほど今の私は慈悲深くはない。





 許さない。

 お父さんを殺した事を。

 兄さんとお祖母ちゃんを殺そうとした事を。

 それを企んだ、あの女を。

 許すものか――






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