第7話 元気を出したいときのお絵描きオムハヤシ

「まあ、そうなるかなと思ってたけどね」


 俺と先輩にとってはあまり良い結果ではなかったお好み焼きパーティーの一連の流れを説明すると、撫子さんは全く意外そうではなかった。金剛寺先輩は夕飯の買い物に出ていてここにはいない。さっきまで大きなホットプレートが置いてあった机はすっかり片づけられ、いつも通りテレビのリモコンが載っているだけになっている。


「もしかしたら久々に会えるかなと思って早めに帰ってきたけど、やっぱりそう簡単にはいかないよね」


 特にユリは、と呟いてコーヒーをすする。花菖蒲先輩も石蕗先輩も、よく金剛寺家にくるのだろうか。そういえば、石蕗先輩も撫子さん、と口にしていた気がする。


「なんだか申し訳ないです。俺のせいで」

「でた~いいんだってそういうの」

「しかし、先輩の大切なお友達を…」

「いやユリだけでしょどうせ。あの子すみれのことかわいがってくれてるから」


 確かに、石蕗先輩はどちらかというと友好的だったかもしれない。


「そもそもさ、一緒に住んでるからってどんな奴か会わせろなんて、お前は父親かっての~!」


 撫子さんが思い切り笑い出した。豪快な笑い方に母さんの姿が重なる。友達って似てくるものなのだろうか。


 会わせろ、ということは、お好み焼きパーティーの場に部外者である俺が招かれたのは、花菖蒲先輩(たぶん)が、急に金剛寺先輩と一緒に住みだした男がどんな人物か確かめておきたかったからということになる。おそらくだが。金剛寺先輩は、俺を紹介することに抵抗はなかったのだろうか。なにか至らないところがあって紹介したくなかったのだろうか。


 花菖蒲先輩と、石蕗先輩と菊さんが帰ったあとの、元気のない先輩を思い出すと、自分の不甲斐なさが突き刺さる。


「また武士みたいな顔してる」

「それ、花菖蒲先輩にも言われました」

「ねえ、コウ君がうちに住むことになったこと、すみれは喜んでるんだよ」

「え?」


 言うなって言われたんだけどね、と撫子さんが続ける。


「むかーしね、すみれとコウ君、会ったことあるの」

「…いつですか」

「すみれが5歳くらいの時かなあ」


 俺が先輩と?会ったことがある?正直全く記憶にない。というか、母さんも何も言ってなかったよな?同じ学校に通ってる女の子いるらしいよ、としか…。


「その頃私元旦那と離婚したばっかりで、すみれを一人で育てていかなきゃって仕事にかかりっきりになっててね、今より家にいなかったの」

「はい」

「ほら、すみれってあんな感じでしょ?さみしいとかなんにも言ってくれなくてさ」


 玄関で、小さい先輩が撫子さんを見送る様子を想像してみる。


 知っているさみしさだった。さみしいけど、一人は怖いけど、自分の為に頑張っている母の邪魔をしちゃだめだ、と我慢する。両手をぎゅっと握って、耐える。しばらく誰もいなくなった玄関に立ち尽くす、あの気持ち。


「一度、私が家に仕事で使う手帳忘れて、すみれがそれを届けようって追いかけてきちゃったことがあったの。もうパニックよ、だって夜家に帰ったら玄関のカギ開いてるし、すみれはいないし」


 もう泣きながらすっごい探したの、と撫子さんが笑う。


「そのとき、泥だらけのすみれの手を引いて連れてきてくれたのがコウ君」

「俺ですか」

「そう。バスケの練習の帰りにね。猫かと思ったって言ってたわ」

「それは幼少の俺が失礼を…」

「なんで謝るのよ!すみれ道わかんないからすごい時間かかったろうにさ」


 そういえばそんなこともあったようななかったような…小さいころから実家にいると母さんが絶えず問題を持ってくるから、毎日毎日酔っぱらいの介抱やらケンカの仲裁やらで忙しくて正直記憶が曖昧だが…。


「名前聞いたことあるなって思ったらさくらの息子でびっくりしたよ」

「母さん何も…」

「どうせ酔っぱらって覚えてないんでしょ」


 ありえる。大いにありえる。


「すみれ、いつかコウ君に恩返しするってずっと言ってたんだから」

「ずっと…」

「面白いでしょ?だからコウ君うちにくるって決まったときからはりきってんのよ」


 撫子さんが大笑いし始めたとき、リビングのドアが開く音がした。


「なっちゃんまた余計なこと…」

「あ、すみれおかえり」


 ドアの前にはいつもの金剛寺先輩。またあの不機嫌顔で立っている。


 先輩と昔あったことがあるなんて、さっき聞いたばかりだがまだ信じられない。いくら昔のことだからといって、顔くらい覚えていないものだろうか。じっと見つめていると、先輩が手に荷物を下げているのに気付いた。


「今日夕飯何?」

「オムハヤシ」


 やったーと喜ぶ撫子さんを無視して、先輩がキッチンへ歩いていく。何か手伝おうと後ろをついていくと、冷凍庫からチャック式の保存袋に入れられた茶色い塊が出てきた。


「ハヤシライス余ったから」

「ああ、一昨日先輩が間違えて炊き出しみたいな量作ってた」


 うるさい、とこちらを睨まれた。相変わらず全然怖くない。昔近所のおばさんが飼っていた、2本足で立って威嚇するプレーリードッグのようだ。


 先輩は、フライパンをコンロにのせると、一度背を向けて炊飯器からボウルにごはんをよそう。炊飯器を開けたとき湯気が大量にあがり、後ずさりする先輩をみて撫子さんが笑う声が聞こえる。


 フライパンに温かいごはんを入れると、塩胡椒とバターを入れて火をつけ、木のへらで炒める。なんちゃってバターライス、と先輩が言っていたが、正直本物のバターライスというものの作り方を知らなかった。


 皿に炒め終わったバターライスを丸く盛ると、今度は手早く玉子をかき混ぜ、オムレツのようなものを作る。フライパンから玉子を皿に移すとき、フライパンを持ち上げた手がプルプル震えて怖かったので、その作業だけ俺が手伝わせてもらう。


 解凍したハヤシライスソースを玉子の半分にかけると、見た目にはデミグラスソースがかかったオムライスのようだった。一昨日食べたハヤシライスの味が口の中にフィードバックして、腹が鳴る。


 3人分をテーブルへ運ぶと、先輩が俺のオムレツにケチャップで何かを描きだした。あまりに一生懸命で、こちらも息をとめて見つめてしまう。


「できた」

「…犬ですか?」

「ねこ」


 先輩が誇らしげにオムレツを見つめる。まあ、猫と言われれば猫か。たぶん。正直なところ潰れた大福かなにかかと思ったが、犬と言っておいてよかった。


「いただきます」


 手を合わせて、オムレツとごはんとハヤシソースがスプーンに一緒にのるように大きめにすくう。口に入れると、まずバター玉子の味がして、バターとハヤシソースの味が追いかけてくる。普通のハヤシライスが特別になったような感じだ。冷凍された玉ねぎも食感が残っていて美味い。


「先輩、今日も美味しいです」


 オムレツのようにふんわりと安心したように笑った先輩の顔を見て、記憶の隅のほうにいたであろう、俺が忘れてしまった小さいころの先輩がよみがえったような気がした。


 先輩をこれ以上悲しませないように、しっかりしなくては。



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