第5話 お弁当のメインケチャップハンバーグ

 4時間目が日本史の授業のときは、クラスの大半が寝ている。


 今年60歳になるらしい日本史の海原かいばら先生の声は、低くて小さくて、ちょうど眠くなるリズムだ。ゆっくり丁寧に教えてくれているのだが、いかんせん眠い。どうしても目を閉じそうになる。


 眠気をなんとか堪えてノートをとっていると、先生が黒板に板書をする為に後ろを向いたタイミングでチャイムがなる。さっきまで机に伏せていた生徒達は、音と同時に顔を上げた。


 はい、じゃあここまで。という先生の声に日直が号令をかけると、すぐに前の席の女子が財布を持って教室を出ていった。食堂の席は早いもの勝ちだからだろうか。


 とりあえず一旦座って、机を片付けてから購買をのぞいてみるか。今日は焼きそばパンが残っていると良いな。


「コウ、今日も購買?」

「ああ、食堂混んでるだろうし」


 じゃあ俺も購買にしようかな、と後ろの席の笹倉ささくらがイスを引いた。笹倉は中学から一緒の友人だが、愛嬌があり、人に好かれるいい奴だ。無愛想だと言われ怖がられる俺とは反対の性格だが、なんだか馬が合い行動を共にすることが多い。


 鞄から財布を取り出し、先に教室の入口へ向かった笹倉を目で追うと、ドアの前で下を向いて誰かと話している。


 それにしてもかなり下を向いているな。そんなに身長の低い相手なのか?近付くと、笹倉の横から2つ結びの長い髪が顔を出した。


「先輩。どうしたんですか」

「お弁当」


 笹倉の横に、身長差20cmはあろうかという小さな金剛寺先輩が並ぶ。毎日顔を合わせているのに、学校で先輩に会うのは初めてで、なんだか不思議な感じがする。しかもわざわざ自分の教室に訪ねてくるとは。手には青い包み。今、お弁当と聞こえた気がする。


「朝、渡そうと思って忘れた」

「俺のですか?」


 そう、と背伸びして青い包みをこちらへ差し出す。

「ついでに作っただけ。良ければ」

「いただけるのならもちろん食べます。ありがとうございます」


 包みを受け取ると、一度頷いて先輩は教室から出ていく。


「おーい、財布落とすぞ?」

 笹倉の声で我に返った。

 一連の流れを見ていたクラスメイトが数人こちらをちらちらと見ている。


「詳しいことは後で聞くけど、ちょっと俺急いで購買行ってくるから」


 待ってて、と走って教室を出ていく笹倉の背中を見送りながら、手の中に収まった青い弁当の包みを見る。これ、先輩が俺の為に作ってくれたんだよな、たぶん。とりあえず開けてみよう。


 席に座り、包みを開ける。青い包みの中には、同じ色の風呂敷に包まれた長方形が収まっている。風呂敷を開けると、茶色の弁当箱。小学校の遠足ですらスーパーで買ったパンだったから、自分の為の弁当箱なんて初めて見たかもしれない。


 少し緊張しながら蓋を開ける。テレビで見たことがあったので入っているものだと思っていたが、白いごはんは入っていなかった。一面おかずだ。


 ほうれん草とコーンの炒め物、アスパラのベーコン巻き、ミニトマト、ちくわの穴にチーズを入れたもの、ハムに、ひじき。昨日の夕飯のイカフライも入っている。サイズが小さいから、弁当用によけておいてくれたのだろうか。


 数あるおかずの中でも、最も目を引くのは、ケチャップのかかったハンバーグだ。弁当箱の半分くらいのサイズのハンバーグが2つ横たわっている。


 小さいころ、母さんの休みの日にたまに連れて行ってもらったファミレスで、必ず頼むのがハンバーグだった。口の中に広がる肉汁と、鉄板の上でジュワっと音をたてるソースが新感覚で、初めて食べたとき、こんなに美味しい食べ物があったのか、と感動したことを未だに覚えている。それから、ハンバーグはたまにしか食べられない特別な日のご褒美という認識なのだが、普通に弁当に入っているものなのか。


 こんなにたくさんのおかずを、先輩は作って弁当箱に詰めて、わざわざ1年の教室まで持ってきてくれたのだと思うと、ありがたさで背筋が伸びる。


 しかし、おかずを見まわしていたら腹が鳴った。まだ笹倉は帰ってきていないが、少し食べても良いだろうか。味見くらいなら良いだろう。包みに入っていた箸箱をスライドさせると、中に入っていた箸も青色だった。箸を持ち、いただきます、と小さくつぶやく。


 まずはほうれん草とコーン。濃い緑色のほうれん草と、茶色く色のついたコーンを一緒に口に入れると、塩胡椒とほんのりバターの味がする。ほうれん草の食感が残っていて美味い。隣のアスパラベーコン巻きを箸でつまむと、真ん中に刺さったクマの楊枝と目が合う。クマをアスパラから抜いて食べると、こちらはブラックペッパーのちょっとパンチの効いた味がする。


 2つとも美味い。他のおかずもものすごく気になるが、やはり一番気になるのはハンバーグだ。好物は最後まで取っておくタイプだが、これはもう我慢できない。2つあるうちの1つを箸で取り、かぶりつく。


「うま…」


 ファミレスのハンバーグとはまた違う美味さ。温かくはないけど、大きめに切られた玉ねぎのみじん切りが食感を保っている。かじった断面を見ると、肉の中にオレンジ色の四角が見えるので、にんじんも入っているようだ。


 ハンバーグと言えばデミグラスソースだと思っていたが、ケチャップで食べるハンバーグってこんなに美味いのか。白いごはんがあれば、このハンバーグをのせて食べたい。


 噛むとしっかり肉汁がでてくる。流れ出るという程ではないが、じわっと中からうまみが出てきて、早く次の一口を、と必死で食べてしまう。


「お前、美味そうに食べるよなあホント」


 ちょっと待てって言ったのに、と財布とパンを持った笹倉が、前の席にペットボトルを置いた。手に持っていたもう1本をこちらの机に置くと、後ろ後ろ、と指さしている。ハンバーグを箸でつかんだまま後ろを向くと、さっき去っていったはずの金剛寺先輩が所在なさげにすぐ後ろに立っていた。


「階段で会ったから一緒に来た」


 笹倉が言うと、イスに座ったままの俺に近づいてきた先輩が両手を差し出す。


「これも渡すの忘れた…」


 手には俺のこぶし大はありそうなおにぎりが2つ。ごはん、あったのか。


「ごめん、じゃあ」

「あ、先輩、ちょっと」


 恥ずかしそうに踵を返す先輩の腕をとっさに掴んでしまった。先輩が目を見開いて固まっている。


「お弁当、本当に美味しいです。ありがとうございます」


 掴んでいた腕を離すと、先輩はうん、と大きく頷いたあと、小走りで教室を去っていく。背中の方から笹倉の、とりあえずさ、という声が聞こえた。


「よくわからんけど、これから毎日弁当ってこと?いいな」


 先輩に聞いたわけでもないのに、期待している自分に気付いた。


 


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