第3話 歓迎のビーフカレー

 部活が終わって午後6時、川沿いの道を自転車で走る。昨日も通った道だが、少し明るいうちに通るとまた違って見えた。


 高校へは自転車で通っている。金剛寺家に居候する前からそうだった。実家は高校から遠く、片道40分程かかったが、トレーニングにもなるので特に苦だと思ったことはない。金剛寺家は実家に比べると高校に近いが、それでも自転車で20分程かかる。今朝見たところによると、金剛寺先輩はバスで通学しているようだった。確かに、颯爽と自転車に乗っている先輩は想像できない。


 住宅街へ入る入り口にある大きな杉の木を右に曲がってしばらくいくと、金剛寺家の前で大きな荷物を持ってふらふらと歩いている見覚えのある小さな制服姿が見えた。自転車を降りて近づくと、やはり金剛寺先輩だった。


「先輩、荷物持ちますよ」


 後ろから声をかけると、一瞬ビクッと背中が跳ねたかと思うと、こちらを振り向いて固まってしまった。しまった、驚かせてしまっただろうか。失礼だが、昔遠足で行った動物園で見たプレーリードッグに似ているなと思った。


「驚かせてすみません。大きな荷物ですね」


 固まる先輩から花柄のエコバッグを受け取ると、ずしっとした重さが片手にくる。昨日周辺を見た感じ一番近いスーパーは歩いて10分くらいの距離にあるから、ここまでこれを抱えてきたのならだいぶ大変だっただろう。この時間にまだ制服なのを見るに、一度帰宅してからスーパーへ行ったのだろうか。


「なにか買い忘れでもあったんですか?」

 先輩がカギを開けて家の中に入り、続いて自分も中に入る。撫子さんはまだ帰宅していないようだ。

「じゃがいもとにんじんとたまねぎとカレールー」

「なるほど」

 それはほとんど全部では、と思ったが口に出すのは止めた。


 荷物を部屋へ置き手を洗ってキッチンへ行くと、先輩はすでに薄紫のエプロンを着て青い鍋と向き合っている。調理台の上にはさっき買った野菜の他に、一口大の四角に切られた牛肉が置いてあった。牛肉の塊というだけでもうすでにうまそうに見えるのは、部活で腹が減っているからだろうか。


「今日は特別な日だからビーフカレー」

 先輩が昨日と同じ誇らしげな顔をする。


「すみません、俺なんかの為に」


 首を左右に何度か振ると、先輩は制服のシャツの袖をまくる。まくったそばからまたずり落ちそうで、手を出してしまう。


「先輩、袖口を反対に折ると落ちにくくなりますよ」

 先輩は答えずにまな板の上で玉ねぎを切っている。


 涙を袖で拭きながら玉ねぎを切る先輩の横で、ピーラーを使いじゃがいもの皮をむいていると、中学の時の調理実習を思い出した。後にも先にも、料理らしことをしたのはあの一回だけだったかもしれない。


 にんじんの皮むきに取り掛かったころ、先輩は鍋に油を引き、肉を炒めていた。ジューと良い音が鳴る。もう美味そうだ。


「先輩、にんじん皮むけました」


 うん、と頷くと、にんじんを受け取り大きめに切って他の野菜と一緒にごとごとと鍋に入れた。


 しばらく炒めると、水を入れて煮る。じっと鍋を見ていると、斜め下から視線を感じて先輩の方を見た。またこちらをじっと見ている。昨日から何度か同じことがあってわかったが、たぶん、先輩は何か言いたいことがあるとこちらを見つめるのだ。


「うちのカレー、特別なことしないから」

「はい」

「できるまでにお風呂入ってきて」


 ぐい、と風呂場の方へ体を押される。先輩が両手で背中を押していることはわかるが、体格差がありすぎて俺の体はまったく動かない。一生懸命な先輩のことをもう少し見ていたい気もしたが、手伝えることもないのでおとなしく風呂に入ることにした。



「コウ君お疲れ~」

「おかえりなさい。お先にお風呂いただきました」


 風呂から上がると、撫子さんがビールの缶を片手にキッチンのテーブルに座っている。先輩は調理を終え、サラダをテーブルへ運んでいた。リビング中に広がるカレーの匂いが食欲をものすごくそそる。


「さ、二人とも座って!食べよ食べよ」


 先輩が席につくのを見て、俺も対面に座る。


 目の前には木の皿に盛られたカレーと、ミニトマトが添えられた緑の野菜のサラダ。カレーの皿の端には、オレンジ色の福神漬けがのっている。


「いただきます」


 撫子さんに続いて、俺もいただきます、と言い終えると、先輩がサラダを無視してカレーに手を伸ばしていた。俺も待ちきれずカレーをスプーンで掬う。スプーンの上にはさっきキッチンで見た肉の塊。まずはこれを食べたかったのだ。


 ぐっと噛みしめると、牛肉が歯を押し返す。ビーフシチューの肉とは違う弾力に、口を何度か動かして味わうと、ちょっと辛めのカレーと牛肉が合わさってうまい。食べ終わるころにはまたルーが欲しくなって、スプーンを動かしていた。


 考えたこともなかったが、店のカレーと家で作るカレーは味が全然違うらしい。小学生の時、家のカレー食べたいと話していた同級生を不思議に思っていた自分に教えてやりたい。


 煮込んで角が丸くなった大きめの野菜、野菜が溶け出してどろっとしたルー、全てがスプーンの上で米と合わさって、これしかない、という味がする。


「すごく美味しいです。先輩」


 先輩がカレーを口に入れたまま、また誇らしげな顔をした。


「うちね、特別な日にしかカレーに牛肉入れないの」


 作り方は同じだし箱の裏に書いてある通りなんだけど、いつもは鶏肉なの。と撫子さんがサラダをつつきながら言った。


「だから、これは歓迎のカレー。すみれが言い出したんだけどね」

「先輩が」


 先輩はカレーに夢中で今の会話を聞いていなかったらしく、目が合うと、何?というように首を傾げた。


「うちは私が仕事で帰り遅いから男手が増えるのは大歓迎だし、コウ君も気なんか使わなくて良いんだからね」

 というか、と撫子さんが続ける。


「この子、料理以外はちょっと抜けてるの。コウ君しっかりしてるから安心だわ」


 笑いながら先輩の頭を撫でると、先輩がまたあの不機嫌な睨み顔で撫子さんを見る。抜けている、のかはわからないが、先輩はなんというか、料理をしているとき以外ではゆっくりしたところはあるかもしれない。


「今日なんか、美味しいお肉食べてもらうんだって肉だけ買って帰って、野菜買うの忘れたんでしょ?」

「なっちゃん」


 ごめんごめん、と笑う撫子さんを先輩がまた睨む。


 だから肉だけ先に家にあったのか。


「だから、ここを我が家だと思ってね。コウ君」


 ありがとうございます、という言葉は、食費は毎月コウ君のお母さんからもらうことになってるしね、と笑う撫子さんの声に隠れたが、対面に座る先輩が、こちらを見て頷いている。


 少なくとも母さんが新婚旅行から帰ってくるまでは、俺はこの家の一員として過ごして良いのだ。このカレーにそう言われているような気がした。前に座る金剛寺親子に向けて、深く頭を下げる。


「よろしくお願いします」

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