第2話 出汁香る水菜の味噌汁

 昨日はあれから、結局金剛寺先輩の家に居候することになって、とりあえず夜も遅いし細かいことは明日の朝話そう、ということになった。


 玉子焼きをごちそうになってから、よろしくお願いしますなんて言っておいて、やはり年頃の男女がひとつ屋根の下に暮らすのは…と一人慌てたが、しばらくして帰ってきた母の友人、つまり金剛寺先輩のお母さんに話をすると、だってあんたここ以外どこいくのよ、と背中をバシバシ叩かれながら大笑いされた。確かに行くところはないので、当初の予定通り金剛寺家にご厄介になることにしたのだった。


 与えられた部屋は金剛寺家の2階右奥。離婚したクソ元旦那が使ってた部屋だから、好きに使ってね、と笑顔で言ってくれたのは金剛寺先輩のお母さん、撫子なでしこさん。先輩とは反対によく喋り、よく笑う人だった。


 部屋につくとそのまま寝てしまったらしく、目を覚ますと時刻は朝7時。部活の朝練はもう少し学校に慣れてから、と部長が言っていたから、今日はまだ普通の時間に登校すれば良いはずだ。ベットから降りると、制服に着替えて階段を下りる。


 少し緊張しながらリビングのドアを開けると、忙しそうに動き回る撫子さんと、キッチンに立つ先輩。先輩は、撫子さんの言葉に声を出さず静かに頷いている。こころなしかまだ眠そうに見えた。


「おはようございます」

「お、コウ君おはよう!よく眠れた?」

「はい。ありがとうございます」


 あんたもおはようでしょすみれ~と撫子さんが先輩へ声をかけると、おはよう、とキッチンから小さく声が返ってきた。


「先輩もおはようございます」

「そうそうこの子ね、先輩って呼ばれるの嬉しいんだって」

「なっちゃん、言わなくていい」


 先輩が持っていたフライパンから顔を上げて撫子さんを睨む。睨む、というよりは少し不機嫌そうな顔になった程度だが。なっちゃん、とは撫子さんのことだろうか。


「すみれ人見知りなのに、良い出だしだわコウ君!」


 撫子さんがケラケラと笑いながらキッチンのイスに座る。先輩と対照的に明るい撫子さんは、どこかうちの母さんと似たところを感じさせる。明るい茶髪と、先輩と同じ大きい目が、昨日撫子さんから聞いた実年齢より若く見せていた。


「今日も部活あるの?」

 コーヒーを飲みながら撫子さんがこちらを見る。

「はい。今日はそんなに遅くならないと思います」


 昨日の帰宅時間はわざと遅くしたのだから、普通に部活が終わってすぐ帰ればそんなには遅くならない。自転車を押して近所をぐるぐる周っていた昨日の自分を思い返し、少し恥ずかしくなって撫子さんから逃げるようにキッチンへ向かう。


「じゃあ今日は歓迎会しようか」


 ね、と撫子さんがキッチンの方を向くと、先輩が大きく頷いた。


「今日私も仕事早く終わると思うからさ、コウ君も早めに帰ってきてよ」

「そんな、歓迎会だなんて申し訳ないです」


 完全に我が家の問題で住まわせてもらっているのに、歓迎会など恐れ多い。むしろこちらから何か手土産でも持ってくるべきだった。そうだな。何故そこに思い足らなかったのだ、居候の話を断るつもりでいたにしても失礼すぎる。気がつかなかった自分に腹が立つ。


「そんな、不覚…!みたいな顔しなくても、私達がやりたいだけだから」

「そう、なっちゃんはお酒飲みたいだけ」

「ばれた?」


 先輩が洗い物をしながら頷く。撫子さんはコーヒーを飲み終え、机の上のスマホや手帳を鞄にしまっていた。


「だから、コウくんはおとなしく歓迎されとけばいいの」

「しかし…」


 御厄介になっておいて、歓迎して頂くというのは申し訳ない気持ちになる。目線を下げると、左隣に立つ先輩と目があった。洗い物をしている手が泡だらけだ。まくっている制服の長袖シャツの袖がずり下がり、今にも泡が付きそうだった。


「先輩、袖が」

 失礼します、と声をかけて袖を上へまくる。先輩の白くて細い腕があらわれて、少しぎょっとする。少し細すぎではないだろうか、女子の腕とはこんなものなのか?


「はい、じゃあ決まり~」


 ガタッと音を立ててイスが引かれ、撫子さんがコートを羽織る。


「二人とも早めに帰るように!行ってきます」


 じゃね、と言って小走りで玄関へ向かっていく撫子さんを見送り、いってらっしゃい、と先輩が小さく声をかけているのを聞きながら、まあ、せっかくのご厚意だしあまり断るのも、と諦める。


「食べよ」

「はい。ありがとうございます」


 先に食卓についていた先輩を追ってイスに座ると、テーブルにはきれいなピンク色の鮭と、白いごはん、味噌汁が準備されていた。テレビで見る旅館の朝ごはんだ、と一瞬固まる。実家ではいつも適当に食パンをかじっていたから、こんな豪華な朝ごはんが本当に存在するなんて信じられない。


「パンが良かった?」

 先輩が食べる手を止めてこちらを見ている。

 

「いえ、毎日こんな豪華な朝食を?すごく美味しそうですね」

「今日は時間があったから」


 いつもはパンだよ。と、先輩が味噌汁をすする。先輩に倣って味噌汁をすすると、ふわっとかつおの香りがする。具は水菜と油揚げだった。味噌汁に水菜って初めて食べたけど、シャキシャキしておいしい。油揚げと一緒に食べると味噌の味が濃くなり箸が進む。


「美味しいです。お味噌汁」

「今日は出汁とったから」

「出汁ってそんなに簡単にとれるものなんですか」

「こんぶとかつおぶしを煮て、かつおぶしをふきんでぎゅってしぼるだけ」


 それは簡単なのだろうか。タイミングとか難しいのでは、と考えていると、先輩が昨日と同じようにじっとこちらを見ている。


「出汁って、透明ですごくきれいなの」


 いろんなものに使えて、おいしい。と言うと、小さい両手でお椀をぐっと上へ上げて味噌汁を飲み干す。


 先輩が早朝の静かなキッチンで真剣に出汁をとっている姿を想像すると、なんだか穏やかな気持ちになる。かつおぶしの入った鍋をじっと見つめて、鮭を焼いて。そんな先輩を想像しながら、味噌汁を口に運ぶ。胃がほわっと温かくなる感じがした。


 白い皿に寝かされた鮭の身を箸で割ると、表面より鮮やかなピンク色があらわれた。食べるとちょうど良い塩味がして、ご飯に手が伸びる。


「鮭もごはんもすごく美味しいです。ありがとうございます」


 先輩は控えめに頷くと、ちまちまと鮭を少しづつ口へ運ぶ。


 昨日初めて会ったばかりだが、先輩のつくる料理は俺に安心をもたらしてくれる。食べるとふっ、と力が抜けてリラックスできるのだ。なにより、実家にいたときは料理なんてしなかったし、自分の為に誰かが料理を作ってくれるという事実が嬉しいのだ、と気づく。


「今日の歓迎会、楽しみです」


 先輩はまた、うん、と小さく頷いた。


 

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