第102話「酒を飲むなら…」

酒を飲むなら、大いに飲んで愉快に歌うがよろしい。この人生、どれだけ生きられるというのか。だが、それはそれとして、ぼくはまたもや、いらいらしはじめたのである。こんなことではいけないと思いながら、どうにもおさまらないのだ。

(いったいいつになったら……)

と、ぼくは思う。

(いつになったら、ぼくは、ぼく自身の過去を探りあてることができるのだろう?)

その夜、ぼくたちは、それぞれ自分の部屋へ引きあげて行った。そしてぼくは、例によって床に入ったものの、眠気はまったくなかった。むしろ神経が高ぶって、眠るどころではなかったのである。しかし、いくら眠れないとはいっても、ぼくには睡眠薬があった。これは、むろんあの小母さんからもらったものだ。この前の小母さんの話では、これを飲めばよく眠れるということだったが……。そこでぼくは、机の上においた水差しをとりあげた。コップに水を注ぎ入れてから、その水をぐっと飲みほした。……するとたちまちのうちにぼくは眠りこんでしまったらしい。

気がつくと朝だった。ぼくは起きあがってみたが、頭が重く、身体がだるかった。おまけに喉がひどく渇いていた。水を飲みおえると、気分がよくなった。ぼくは寝台の上に坐ったまま、しばらくぼんやりしていたが、やがて立ちあがり、身支度をした。食堂へ行く途中、ぼくは何とはなしに考えつづけた。昨夜ぼくは、やはり眠れなかったのだろうか? そうかもしれない。それにしても、今朝の寝覚めのよさといったらない。いつものように寝不足感もなく、頭痛もない。頭の働きもすっきりしているようだ。これが睡眠薬の効果というものなのだろうか。それとも、これこそ小母さんがいっていたように、酒の力なのか。……そんなことを考えているうちに、ぼくはふと、あることを思い出してハッとした。そうだ。あれは……あの夢! そうなのだ。ぼくは、あの夢を見たのではないのか? あれは、本当にあったことなのではないのか?……だが、ぼくはそのことについて考えたくなかった。何となく恐ろしかったからである。

食事のあと、ぼくたちは、めいめいの仕事に取りかかった。ぼくはまた例の原稿用紙に向かい、ノートに書きためた小説の断片をつぎつぎに並べなおしていたのだが、ふと気がつくと、いつの間にか小父さんがそばに来ていて、何か書きものをしているではないか。ぼくは声をかけた。

「何をなさっているんですか?」

「……ああ、ちょっとね。……まあ、大したことじゃないんだが…… 」

といいかけて、小父さんは急に口をつぐんでしまった。それから、しばらく黙っていたが、やがて低い声でこう言った。

「きみも知っているだろうが、わしはときどき散歩に出ることがあるんだよ。特に目的があるわけでもないし、誰かに誘われるとか誘われないとかいうことでもないんだがね。ただ、ぶらぶら歩きまわることが好きなんだ。それで、時々は村の連中に声をかけることもある。みんな喜んで迎えてくれるからね。今日は、たまたまそういう機会があって、出かけて来たというわけだよ。ところが、途中で妙なものを見つけてしまった。……道端に死体が転がっていたのさ。それがまたひどい殺され方なんだ。まるで人間業とは思えないような殺しかただった。……つまり、その男は殺されたんじゃなくて、首を切り落されたらしいんだな。それも斧のようなものじゃなくて、手刀のようなもので、ぱっくりとやられたらしい。……どうだい、驚いただろう。ところでだね。その首を切った犯人というのが、まだ捕まってないそうなんだ。……いや、びっくりしたよ。まったく。……まさかこんな小さな村の中で殺人が起きるなんて、思いもしなかったからねえ。……しかし考えてみれば、どんな事件だって起きるときは起きるものさ。だから、用心しないと駄目だと、改めて思ったところだ。……もっとも、きみは心配することはないと思うけどね。……何しろきみは、腕っぷしが強いじゃないか。……そうそう、この間の話だけど、今度、一緒に釣りにでも行かないかね。もちろん、わしのほうで車をだすよ。……ああ、そうそう、その前に、きみにひとつ頼みたいことがあったんだった。実は、うちの小母さんのことでね。……」

小父さんの話は、その後も延々とつづいたが、途中から全然頭に入ってこなくなった。あれ……?頭が……意識がぐらぐらとしてぼくは倒れた。

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