佳央があまりに楽しく話を聞いてくれるのが嬉しくて、いろいろな物語を話した。わたしの身に起きた出来事ではなく、あくまで物語として。


 その稚拙でたわいもない物語は、わたしにとってはいとおしくて愛着があった。たとえそれが嘘という名前をつけられて、投げつけられたとしても。


 佳央はわたしが傷つかないように、わたしの耳に入らないように避けているようだった。わたしを心配する様子には少しも嘘はなかったから、わたしを守ろうとする一方でおとしめようとしているなんて信じられなかった。


 だからこわくて、佳央に訊くことができずにいた。噂を流したのは佳央なの、と。


 結局真相はわからなかったけれど、何年か経ってから、ひとつだけ思い至ったことがある。


 嘘つき、と呼ばれる少し前、わたしは同じ美術部の子と一緒に帰ったことがあった。


 部活中に少し話して仲良くなり、そのまま一緒に帰ることになった。佳央と違い、彼女は途中まで方向が一緒で、途中の信号でわかれるまで自転車を並べて帰った。


 彼女、太田のぞみは、自然にしていても口角があがっているような子だった。クラスの中心のグループにいるような子ではなかったけれど、そういう子たちとも自然と会話ができるタイプの子だった。


 次の日だったか、隣のクラスののぞみが休み時間にわたしのクラスに来た。


「ゆきのん、数学の教科書貸してくれる? 忘れちゃったよ」


 昨日まで檜原さんと言っていたのに、突然あだ名で呼ばれたことにかすかに戸惑ったが、教科書を渡すとありがとうと手を振って去っていった。


「誰?」


 佳央はわたし以上に戸惑った顔をしていた。


「同じ美術部の子なんだけどね、昨日話してたら仲良くなって、一緒に帰ったんだ」


 昨日の出来事を佳央に話しながら、わたしは少し浮かれていた。佳央以外にも友だちができたことが嬉しかったのだ。


「クラスでは佳央ちゃんと仲がいいって話したら、太田さんが今度三人で遊ぼうって言ってたよ」


 三人だったらどんな話をするのだろう。その「今度」が楽しみだった。だけど佳央の反応は薄かった。そうなんだ、と言うだけでなんとなく表情も固く見えた。


 結局、「今度」は来なかった。


 佳央は「三人」が嫌だったのではないか。もしくは、わたしが佳央以外の誰かと仲良くすることが怖かったのではないか。高校の頃にクラスの子が、三人組は嫌だと言っていたのを聞いて、佳央のことを思い出した。


 佳央がわたし以外の子と仲良くしている姿を見かけたことはなかったと思う。


 三人のときに一人になる疎外感や、自分よりも仲のよい子ができて置いてきぼりになる孤独感。そういうことに、もしかしたら怯えていたのかもしれない。


 もしそんな恐怖から佳央が噂を流したのだとしても、ゆるされることではないと思う。でもわたしはずっと、ゆるすとかゆるせないとか、そういうふうには考えられなかった。


 信じたい気持ちと疑っている自分の間でいつも揺れていた。佳央と離れた後も、ふと思い出すと整理できない感情がよみがえった。


 佳央は夏休みが終わったあたりから部活をさぼりがちになって、そのうちまったく行かなくなった。ちゃんと聞いたわけではないけれど、二年生とうまくいっていなかったのだと思う。


 もともと佳央は吹奏楽部に憧れていたらしく、希望通りトランペットの担当になったと喜んでいた。どの音まで出せるようになったとか、こんな曲の練習をしているとか、嬉しそうだった。


 たぶん佳央は三年生の先輩とはそれなりにうまくやっていたのだと思う。佳央の話には、三年生の先輩はときどき登場していたから。


 一方で同じ一年生や二年生の先輩とは、コミュニケーションがとれていなかったのかもしれない。クラスの吹奏楽部の子と話している様子もなかったし、部活を休みがちになったのも三年生の引退した後だったと思う。


 一度心配になって、部活に行かなくてよいのか訊ねたことがある。週一度の活動以外は参加が自由な美術部とは違って、吹奏楽部は基本的に毎日部活があったはずだから。


「いいのいいの。先輩たち引退したらなんか違う部活みたいで、もうやめようかなって。小学校からやってる子が多くてみんな上手でついていけないし」


 なんでもないことのように言っていたけど、顔はかすかに強張って、どこか悲しそうだった。


 わたしはそれ以上訊くことができなかった。佳央が話したくなさそうだったから。


 わたしが部活に行かない日は、いつも一緒に帰った。仲良くなった頃よりもずっと、佳央と過ごす時間は増えていた。


 わたしを一人にしたくないという気持ちの一方で、佳央自身もわたしを離したくなかったのではないか。佳央の知らないところで、わたしが誰かと仲良くなることを恐れていたのでないか。今になってそう思うことがある。


 そんな日々が終わることになったのは、父の転勤だった。また引っ越すと告げられたとき、わたしは「ああまたか」という感覚のほうが強かった。


 初めてではなかったからかもしれないし、一年分大人になったのかもしれない。あるいは、佳央と過ごす学校での時間に、限界を感じていたせいかもしれない。


 佳央と友だちをやめたかったわけではないし、あの時間をすべてなくしたいわけでもない。ただこの先も佳央とだけ仲良くしていくことは、行き止まりに向かって歩いていることのように感じていた。


 どうせクラスに佳央以外に仲のよい子がいるわけではない。先生には転校のことはギリギリまで黙っていてほしいとお願いしていた。


 佳央だけには、自分の口で言わなければ。そう思いながらも、なかなか伝えられずに一週間が経っていた。


「佳央ちゃん、あのね……、わたし、また、転校することになったの」


 ようやく伝えたとき、わたしは佳央の顔が見られなかった。佳央がどんな反応をするかわからなかったけれど、佳央の感情を受け入れる自信がなかった。


 わたしが三学期を終えたら引っ越しをすることを伝えると、佳央は小さく「そっか」と呟いた。


 その声は無機質に聞こえて、わたしは佳央の顔を見た。感情を押し殺しているようにも見えて、それがかえってつらかった。


 わたしの転校の話はそれきりになって、終業式までの間、わたしたちの日常はこれまでと変わることはなかった。




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