雪乃

 帰っていく佳央がお店を出るのを見届けてから、わたしは残った紅茶をスプーンでくるくると混ぜた。渦を巻いている中にミルクを投入すると、マーブル柄をつくりながらやさしい色あいへと変わっていった。


 カップの中の紅茶を眺めながら、佳央との会話を思い出していた。


 わたしは今日、初めて佳央に嘘をついた。ごまかしや隠しごとではない、自分の意志でついた嘘だった。


 少しわざとらしかっただろうか、とも思ったけれど佳央は少しも気づいていないようだった。


 それもそうか。

 偶然を装って会いにきたなどと思うはずもないだろう。そんなことをする理由だって本来ない。


 わざわざ会いに来たことは知られたくなかった。連絡先を交換することなく、きれいにすべてを終わらせたかった。


 こんなにうまくいくとは思っていなかったけれど。



   *   *   *



 佳央との出会いは、中学生まで遡る。入学式の日、わたしは途方に暮れていた。


 転校なんてしたくなかった。仲のよい友だちと一緒に、同じ中学校に進みたかった。だけど父親の転勤を前に、子どものわたしには親の決めたことに従うほか選択肢はなかった。


 それでも少しは期待もしていた。関係のリセットされる中学校ならば友だちもつくりやすいだろうし、すごく仲のよい子ができるかもしれない。


 先生から入学してくる子のほとんどが二つの小学校から半数ずつと聞いたときにはショックだったし、実際に教室に入ってみると絶望に近かった。


 みんなそれぞれに知り合いがいて、仲良さそうにおしゃべりをしていた。とても会話に入っていくことはできなかったし、一人でいる子にも声をかける勇気はなかった。


 人見知りのわたしはただじっとしていることしかできなくて、自己紹介だってクラスメイトの気をひけることなんて少しも言えなかった。


 自分にも周りにもがっかりしたまま初日を終え、ひとり帰ろうとしたときだった。声をかけられたのは。


 振り返ると、前の席にいた野々村さんがわたしを見ていた。長い髪をポニーテールにしていたけど、少年みたいな子だと思った。


 中性的な顔立ちをしていて、成長期前の男の子たちよりも背が高かった。凛とした雰囲気が、とても好ましく思えた。


「そのチャーム、かわいいね」


 わたしのバッグについた雪の結晶を指さして微笑んだ。不器用そうな笑顔がますます少年ぽくて、少女漫画の男の子みたいだなと思った。


 佳央はきっと知らないだろう。あのとき、ひとりぼっちの心細さを、佳央にどれだけ救われたかを。


 あまり豊かな表情を見せるようなタイプではなかったけれど、だからこそ佳央の感情には嘘がないように思えた。


 あの日、佳央が声をかけてくれたこと。それから友だちになったこと。とても嬉しかった。わたしは佳央が大好きで、信頼していた。


 わたしは佳央といろいろな話をした。あまり口数が多いほうではない佳央はいつも、わたしの話を楽しそうに聞いてくれた。


 そういうときの佳央はいつもよりも表情が豊かで、驚いたり、目をきらきらさせていた。そうやって話を聞いてくれるから、わたしは嬉しくてなんでも話した。



 わたしが嘘つきだ、と陰口を言われていると気づいたのは、いつ頃だっただろうか。


 わたしが幽霊や妖精の類が見えると言っている、というようなことだったらしい。そんな非現実的なものが見えると言うのは、人の気をひきたい嘘つきだ、というのが主旨だったと思われる。


 どうしてそんなことになったのか、なんでそんなことをいわれるのか、まったく意味がわからなかった。


 直接いじめられたり、悪口を言われることはなかった。むしろ、あまりかかわらないほうがよい、という空気が感じられた。


 佳央はそのことについて触れたりしなかった。ただいつも通りに、あるいはいつも以上に傍にいてくれた。それは佳央の優しさだったのだろう。


 佳央の態度が変わらないことにはほっとしていた。だけどそれ以上に、とても困惑していた。


 噂になったような話を、わたしは佳央にしかしていなかったのに。どうしてみんなに伝わったのだろう。


 もしかしたら佳央と話しているのが、たまたま聞こえたのかもしれない。佳央のことを信じたかったから、可能性を考えたりもした。


 でもそれならどうして佳央は、そのことに少しも触れないのだろう。勘違いだ、と。噂は違うとみんなに発言することは難しくても、勘違いしていると慰めてくれたら、と思わずにはいられなかった。


「絵本作家か童話作家になりたいんだ」


 まだ誰にも言えていないことも、佳央には打ち明けていた。物語を紡ぐ人になりたい、とわたしが夢を打ち明けたとき、佳央は驚きながらもわたしの夢を応援してくれた。


 わたしの夢も、空想の中で生まれた物語も、たわいもなくて稚拙なものだった。でも佳央は少しも馬鹿にすることなく、目を輝かせて話を聞いてくれた。


 空想の中の物語は、いつもどこか不思議で、少し切ない。


「ねえ、もっとお話聞かせて?」


 佳央は目をきらきらさせて、物語を聞きたがった。まだ文章にもなっていないし推敲もしていない生まれたままの物語たちだったけど、佳央は間違いなく、わたしの作品の最初の読者だった。

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