④
私はどう返したらよいのかわからなかった。
異世界転生して、聖女。あまりに壮大で、あまりにありふれたフィクションだ。そもそも今、目の前に雪乃がいる以上、転生ではなく夢を見ていたということではないか。
十五年という年月を経ても、雪乃はこんなにも現実味のない嘘をつくのか。彼女は何も変わっていないのだろうか。
「えっと、聖女って何するの?」
それって夢を見たってこと?
なんて訊くことはできなかった。代わりにそんなことを訊いてしまう。すでに、雪乃の嘘の続きが気になりだしていた。
「祈りを捧げるの。それが務めなんだって」
まるで、明日の天気は晴れだって、とでも言うような言い方だ。それから、いちごを口の中に運んだ。
「祈りを捧げる…」
「聖女の祈りで世界を浄化するんだって」
私の戸惑いを察したように、雪乃はいたずらっぽく笑って補足してくれる。心から信じて話しているのか、からかっているのか、どちらともとれる笑みだった。
「浄化、できたの?」
「うーん。ねぇ佳央ちゃん、聞いてくれる?」
ねぇ佳央ちゃん、聞いてくれる?
雪乃はあの頃も、よくそう言って話し始めた。中学生の雪乃が、一瞬ダブって見えた。大人になっても、あの頃の少女みたいだ。
「うん、聞かせて」
魔女の甘い魔法にかけられて、頷いていた。
「手術の麻酔で眠った後、目が覚めると灰色のところに立っていたの。色がない白黒の世界みたいでね。
周りには宮殿というかだだっ広い建物があって、わたしが立っているところは芝生のある庭のようなところだった。もちろん、芝生も灰色だったんだけど、裸足でいるわたしの肌にはちゃんと色があった。
不思議に思って自分を見下ろすと、わたしは真っ白なワンピースを着ていて、髪も見慣れた茶色がかった色で、視界の中で自分だけが色彩を持っていたの。
ここはどこなんだろう。建物の中にはだれかいるのだろうか。不安になりながら一歩踏み出すと、足が芝生がちくちくした。
建物の中央には屋根だけしかない、エントランスみたいなところがあって、左側と右側にそれぞれ大きな扉があって。
わたしは迷ったけれど右側の扉に向かったの。なんとなく、そっちの扉のほうが質素なふうに見えたから。
扉は思っていたよりは重くはなかったけど、両手で引いて体をすべりこませるように入って、『すみません、誰かいませんか』て声をかけたの。中はまっすぐな廊下が長く続いていて、左右にそれぞれ入口と同じような装飾のドアがいくつもあった。
ドアをあける勇気はなくて、時折『すみません』て声をかけながら、おそるおそる進んでいったの。
進んでも誰もいなくて、とうとうつきあたりまできてしまって。つきあたりにはまた同じような両開きの扉があったの。
わたしはまた、おそるおそるドアを押し開けながら中に向かって声をかけた。中に入ってびっくりした。ようやく人がいたんだもん。
でもね、そこにいた人たちも、周りの景色と同じで白黒の世界だった。
わたしが驚いた以上に、相手は驚いたらしくて、十数人いた中の人たちは、みんなわたしを見たまま固まってたの。
『勝手に入ってしまってごめんなさい』と、とりあえず謝った。わたしの声に我に返ったのか、奥にいたおじいさんが立ち上がって何か呟いたの。
わたしは聞き取れなくて『え?』って聞き返したら、『聖女様…』って今度は耳に届いた。
聖女様、と言った?
おじいさんはゆっくりと近づいてきて、わたしの前で深く頭を下げた。
『聖女様、ずっとお待ち申しておりました』
『……わたし、ですか?』
『色彩をお持ちであることが何よりの証拠。どうか我々を、この国を救ってください』
聖女様とか、救うとか、話が大きすぎて理解できなくて。わたしはまばたきすることしかできなかった。
そしたらおじいさんも頭を下げたままだし、周りの人も頭を下げちゃって。みんなに頭さげられたことなんてないからどうしたらいいかわからなくて。
『そんなこと言われても困ります。頭を上げてください』
『どうかどうかお救いください!』
わたしが頷くまで、顔をあげない気らしかった。ますます深く頭を下げるばかりで、わたしはますます困っちゃって。
『救うって、いったい何をすればいいんですか?』
国を救うなんてわたしにできるとは思えなかったけど、とりあえず訊いてみた。そうしたら、ようやくおじいさんは顔をあげたの。
『祈りを捧げるのです。聖女様が天に祈りを捧げると、この世界には色が戻ると、世界が救われると予言の書に記されているのです。どうかお願いです。助けてください』
おじいさんは両手でわたしの手を包み込むように握って。その手が少し震えていて胸が詰まったの。
だから、やってみます、て言ってしまったの。
『できるかどうかはわからないけど、やってみます』
だって、祈りを捧げる、なんてよくわからないでしょう? でも、力になりたかった。
そしたらおじいさんは手に力を込めて、体を震わせて、何度もありがとうございますって。ほかの人たちも一緒にすごく喜んでて。
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