③
クラスで担任が雪乃の転校を告げたのは、終業式の三日ほど前だった。
淡白な担任は事実だけを伝え、寄せ書きをしようとか写真を撮ろうとか、一切思い出の強要をしなかった。
教室では少しざわめいたものの、思い出を残そうと言い出す人はやはりいなかった。
ざわめきは静かに消えていった。
そうして何も変わらず、終業式を迎えた。
休みが始まる高揚感と、またクラス替えになるという寂寥感の混ざった空気の中でクラスメイトたちは解散していった。
私と雪乃は、また明日からも同じ日々が続いていくかのように、いつもと変わらない終わりを迎えようとしていた。
自転車に乗って、バイバイと手を振って、別々の方向に帰っていく。それで終わりだ。
「佳央ちゃんと一緒に過ごせて楽しかった。最初に声かけてもらったとき、すごく嬉しくて。短い間だったけど、ありがとう」
「私も、雪乃ちゃんといれてすごく楽しかった」
私たちは寂しいも悲しいも言わなかった。お互いに確認しあうみたいに見つめあって、それだけだった。
名残惜しむように言葉もなく見つめあっていたけど、やがてお互いにこくんと頷いた。
「じゃあね、バイバイ」
「バイバイ」
手を振って別れた。まるで明日があるみたいに。雪乃は一度も振り返らなかった。私は雪乃が見えなくなってから、自転車をこぎ始めた。
そうして私の毎日から、雪乃は消えた。
あの頃の私は、携帯電話を持たせてもらっていなかった。当時はたぶん、クラスの半分くらいしか持っていなかったと思う。雪乃も、持っていなかった。
雪乃の新しい住所は聞いていたけど、手紙は結局出せなかった。手紙に何を書けばよいのかわからなかった。
最初の年には送りあった年賀状は、その次の年は喪中はがきが返ってきただけだった。そのまま、雪乃からの年賀状は来なくなって、それきりだった。
雪乃という友だちがいたということは淡い初恋にも似た懐かしさの中に、ずっとしまいこんでいたような気がする。
再会することなど、夢にも思っていなかった。
* * *
ランチタイムの終わり近くだった。
いなくなった席のテーブルを拭いていると、食後のコーヒーの出ていない人を見つけた。
「すみません、ただいまコーヒーお持ちします」
声をかけると、一人で座っていた彼女は顔を上げてお願いしますと微笑んだ。やわらかな笑顔に、何か懐かしい気持ちがこみあげた。理由はわからなかった。
彼女の前にあった食器をさげていると、視線を感じた。たまにスタッフの動きを凝視する人もいるので、なるべく気にしないように作業を続けた。
「あの……、佳央ちゃん、じゃない、ですか?」
「え?」
名前を呼ばれて彼女を見ると、その姿にはどこか面影があった。先ほどの懐かしい気持ちの意味に、ようやく気づいた。
「雪乃ちゃん……?」
やわらかい雰囲気はそのまま、かわいらしいに綺麗が加わって女性らしくなっていた。
こんなふうに再会するなんて、そんな偶然が本当にあるだろうか。
「え? 本当に? すごい! 久しぶりだね」
雪乃ははしゃいだように笑顔を私に向けてくる。再会への喜びや懐かしさよりも、驚きや戸惑いが勝りすぎて言葉にならない。
「佳央ちゃん?」
「……あ、ごめん。なんかびっくりしすぎて言葉がでてこない」
「そうだよね、こんなことってあるんだね」
私の反応のなさに雪乃は不安になったらしいけど、私の言葉にほっとしたように微笑んだ。
「ねぇ、佳央ちゃん? わたし、今日たまたまこっちに来てて、夜には帰らなくちゃいけなくて。少しだけでいいから、お茶とかできないかな?」
雪乃は捨てられた子犬のような瞳で、まっすぐに私を見つめた。
そして今、私は雪乃と向かいあって座っている。
仕事中だからと断ったものの、話を聞いていたオーナーがせっかくだからと送り出してくれた。片付けはやっておくから、いつもの時間に戻って来てくれればいいから、と。
お店を使ってもいいとも言ってくれたけど、申し訳ないし、なんとなく恥ずかしくて、近くのチェーン店のカフェに移動した。
「本当ごめんね。わがまま言って」
「ううん。声かけてくれて嬉しかった」
申し訳なさそうに頭をさげる雪乃に、首を横に振って否定した。
気づいてくれたことも、声をかけてくれたことも嬉しい。けれど、どんな距離感で話したらいいのか戸惑っていた。
最後に会ってから約十五年。その後の年賀状だって当たり障りのない言葉を送りあっただし、それも途絶えていた。
「佳央ちゃんはあそこのお店長いの?」
先に話を振ってくれたのは、雪乃だった。
「うん、もともと大学のときにバイトで入ったんだけど、今もそのままってかんじで」
就活もうまくいかなかったこともあり進路に迷っていたときに、オーナーがこのまま働いてくれないかと声をかけてくれたのだった。
「雪乃は? 今何してるの?」
「実は仕事やめちゃって、今はリフレッシュ期間ってかんじかなあ」
「そうなんだ。何かやりたいことがあるとか?」
仕事がなくても慌てたりしないのだろうか。仕事が見つかっていない状態でリフレッシュなんて、私にはきっとできない。雪乃のおっとりした性格がうらやましい。
「ううん、そういうわけじゃないの。ちょっと病気しちゃって、会社やめたんだよね」
「そう、なんだ…。今は体調大丈夫なの?」
私は途端に反省した。きっと雪乃には休む時間が必要で、やめざるを得なかったのかもしれない。そういう方向にもっていこうとする会社もあると聞く。
「うん、全然大丈夫。ありがとう。それでね、わたし去年ちょっと大きな手術をしたんだけどね、そのときに異世界に転生して、聖女になってたんだ」
ケーキに乗ったいちごにフォークを刺しながら、雪乃は昔と変わらない、おっとりした口調で話した。
ふふと笑う雪乃には少しも邪気がない。無邪気なのにどこか甘やかで、魅惑的な砂糖菓子みたいだ。
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