第4話
車でミス キャメロンを彼女の自宅に送ってから携帯端末で電話をかける。ディスプレイに映る文字はクズ野郎ことRaymond Elington。
3回ほど無視されたが根気よく掛け続ける。留守電に変わる直前に電話が繋がったことを確認してからスピーカー機能に切り換えて端末を助手席に放り、そのまま車を発進させた。
「よう、エリントン。20年振りの逢瀬は楽しかったか?」
『20年じゃねぇ。19年7ヶ月18日だって言ってんだろ』
左折しながら適当に相づちを打つ。共感覚者は記憶力が良いと言うがこいつのこれは確実にそういう理由からではない。ミス キャメロンが数刻前に言ってきた話を思い、つい溜め息が出た。
「おい。お前ミス キャメロンに何を言った?」
『何ってただ昔話をして会えなかった分俺がどれだけ寂しかったかを伝えただけだけど』
「……ミス キャメロンが、明日もお前の家に行きたいと言ってきたんだが」
電話の向こうでエリントンがふっと笑いを溢す音が聞こえた。
『善良な一般市民からの願いだろ。ちゃんと聞き入れろよ?』
「俺が良いと言わなかったらお前が仕事をしなくなるだけなんだろ。分かってる。ただ何をしたのかだけ教えろ。洗脳なんてされたら堪ったもんじゃない」
それこそ善良な一般市民を守ることが出来なくなってしまう。エリントンにかかれば他人を洗脳することなんて、赤子の手をひねるようなものだ。
『別に、ただの心理学の基本だよ。Door in the face technique』
Door in the face techniqueとは最初に過剰に大きな物事を要求しておいてからだんだんそのハードルを下げ、最終的に自分が本当にしてもらいたい要求を飲ませるという心理テクニックだ。確かに心理学の基本ではあるけれど。
『ほんと、可愛いよなぁ。何も言わなくても俺が考えた通りに話が進むんだから。素直過ぎて心配だよ。誰か他の人間が汚ねぇ手で俺のアリスに触ったらどうしよ。やっぱ閉じ込めるかぁ』
「……おい」
『落ち着け、俺が閉じ込めんのは最終手段だから。理想はアリスから監禁してくれって言ってくることだけど……。まあ、時間はあるからゆっくり、な』
くすくすと仄暗い笑い声が車内に響いて気分が悪くなってくる。流石クズ野郎。
これ以上この話をするのは精神衛生上良くないと判断したので仕事の話に持っていく。
「それでエリントン。昨日回した仕事はどこまで終わった?」
『昨日?全部終わってるよ。あんたのタブレットにデータを転送してある』
ミス キャメロンに会う許可を出した途端これだ。その前まではあり得ないほど仕事をストップしていて迷惑極まりなかった。ミス キャメロンには責任を感じさせないために仕事をしなくなる寸前だ、とだけ言ったが実際あれは職務放棄に近かった。
再度始まりそうになったエリントンによるミス キャメロン語りを遮るようにして電話を切った。付き合ってられん。
▼
事態が動き出したのは2日前。
俺が班長を務める異能力犯罪捜査班には異能力者や一般人の班員は一定量のタスクをこなせば、自分の欲しいものを申請することができるシステムがある。勿論その内容を許可するかどうかは仕事のクオリティーによるが、とにかくペンでも食べ物でも車でも家でも時間でもなんでも申請できる。
だが、人間を申請した奴は
エリントンが班に加わって少しした頃、当時から優秀だった彼奴にそのシステムの話をした。何が欲しいのか訊いたら数秒もせずにミス キャメロンの名が告げられ、対人恐怖症の奴が何を言ってんだ、と俺は目を見開いたまま固まったのだ。
とりあえずミス キャメロンという女性がどういう人なのか尋ねたら引くほどの執着を見せられたので問答無用で却下。暴れるかと思ったが、予想に反してエリントンはなら家を寄越せと言ったのでそれは許可した。
その後も奴の欲しいものを訊く機会は何度もあり、その度にミス キャメロンの名を聞かされ、その度に却下していた。
だから、その日が最悪だっただけだ。
どうせまた同じ答えを聞くのだろうと思ったが一応何か欲しいものはないかと訊き、当然のように却下した。すると奴はこう言ったのだ。
『アリスに会えないならもう仕事は一切しねぇから』
この業務内でエリントンほど活躍をしている人間はいない。エリントンが仕事をストップさせるだけで通常の3倍以上仕事が遅れるのだ。それを分かった上で奴はそう言った。長い時間をかけて組織にとって自分が絶対に必要な存在になるまで待ってから、俺がエリントンをミス キャメロンに会わせない訳にはいかない状況に持っていったわけだ。腹立たしいことこの上ない。
仕方なく俺はエリントンのその狂った願いに初めて許可を出した。データベースにアクセスしてミス キャメロンの情報を探す。
「えーと、Alice……Cameron……。お、いた。アリス・キャメロン、26歳、商業系会社の総務課勤務。合ってるか?」
『何でお前がアリスのこと呼び捨てにしてんの?お前アリスの何?俺のアリスなんだけど』
「あーはいはい分かった分かった。で、このミス キャメロンに会いたいんだな?……へぇ、同い年なのか」
『アリスのこと調べんなよ俺のだぞ』
繋いだ電話の向こうでエリントンが騒がしい。こっちはお前の想い人のことなんか何にも知らないんだから仕方ないだろうが。
それにしてもなかなか綺麗な女性だ。長い睫毛に縁取られた垂れた目や細い眉が優しげな印象を与える。エリントンの話を聞く限り優しい
あと口元の
そのままつらつらと綴られているミス キャメロンの情報を眺めているとそのうちの一つに目が留まる。
「おい、エリントン」
『あ?』
「お前これ本当か?7歳の頃の――」
『本当だよ。それ俺のトラウマだから話すな』
苦々しい声で言うエリントン。いつも飄々としていて声に感情を乗せないこいつらしくないことで、それだけこの男の中で彼女の存在がとてつもなく大きいことを再確認した。
「……とりあえず、ミス キャメロンに連絡を取ってやる。お前に会うかどうかの最終決定は彼女がするからな。絶対に会えると保証はしない」
『ああ良いよ。多分アリスは俺に会いに来るさ。責任感の強い子だし、そもそも俺のだからな』
暗く嗤うエリントンに密かに溜め息をついてから電話を切った。
自分の選択が1人の女性の人生を狂わすかもしれないことに、ものすごい罪悪感を覚える。
ああ神よ。どうかミス キャメロンに幸せを。
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