第2話

 そこは綺麗な外観の建物だった。外に立っているガードマンにトーマス・ウィリスの名を告げると本当にあっさり通される。

 リノリウムの床が続く廊下をガードマンに着いて歩いていく。いくつか階段を上り、ガードマンはある部屋の前で立ち止まった。

 彼がノックをすると中から入室の許可を出す声がする。それは間違いなくあの電話の声だった。

 開かれた扉の向こうには1人の男性がいた。表情が少しきつめでスーツを綺麗に着た、同い年くらいの人。


「急にお呼び立てして申し訳ない。どうぞお入りください」


 招かれて私はそっと部屋に入った。1つ大きな机とそれを挟んだ2脚の椅子。机の上にはたくさんの資料が置いてある。


「改めて自己紹介を。トーマス・ウィリス、異能力犯罪捜査班の班長を務めています」


 異能力犯罪捜査班。聞いたことのないものだ。

 というかなんだか良く分からない肩書きの方に呼ばれるなんて大丈夫かしら!?私何もしてないわよ!……頭の中が混乱でぐちゃぐちゃだ。


「ここへ呼んだ理由をお話します。お掛けください」

「あ、ありがとうございます……」


 恐々椅子へ腰かけると正面にウィリスさんが座った。オリーブ色の瞳が私を見据えている。


「さて、ミス キャメロン。貴女は異能力についてご存知ですか」

「ええ勿論」

「よろしい。では異能力者が精神や身体に酷い疾患を負うことは?」


 そんな話は聞いたことがなかった。不思議な能力を持つ彼らのことは本当に少ししか情報が入ってこないのだ。


「いいえ、知りません」


 私がゆっくり首を振りながら言うとウィリスさんはふむ、と呟きながら顎に手を当てる。なんとなく、彼は教師のようだとそう思った。ウィリスさんが口を開く。


「これから話すのはある異能力者の話です」


 曰く、その人はもともと共感覚を持っており、あるきっかけで異能力に目覚めた。

 曰く、その能力は共感覚に上乗せして現在の事だけでなく過去の出来事までもを色で視ることができる。

 曰く、ウィリスさん率いる異能力犯罪捜査班は異能力者の力を借りて迷宮入りになりそうな事件を捜査しているのだが、その人は班の中で一番の好成績を残している。

 曰く、その人の疾患は対人恐怖症と感覚過敏の物凄く重度なものである。

 話を聞き終わってから私は心が痛くて痛くて仕方がなかった。知る方法が限られているとはいえ、私はそんなこと知らないまま生きていたのだ。

 能力を持っている人は良いなぁと思ったことは何度もある。楽な人生なんだろうなぁと。

 そう思っていた自分を恥じた。


「異能力者の人たちが苦しんでいることはよく分かりました。でもどうして私にそのお話を?」


 そう。それが謎だった。どうして私が、ピンポイントでこんな話を聞くことができているのだろうか?

 ウィリスさんは1度迷うように視線を揺らしてから諦めた表情をして私に告げた。


「先程の異能力者の名前」

「え?」


「レイモンド・エリントンと言うのです」


 ヒュッと喉に空気が詰まったのが分かった。目を見開いた私がウィリスさんの瞳に映っているような気がする。

 ああだって、そんな。


「本当に……?」

「はい。だから貴女なのですよ、ミス キャメロン」


 確かに。だから私なのだ。でも、私で良いならメアリーだって良いはずだ。条件は同じはず。


「それでも分かりません。私じゃなくてメアリー、メアリー・スミスでも良いと思います」

「駄目なんです。彼奴あいつは貴女を指名してきた。貴女じゃなければ仕事をしないとまで言って来やがった」


 そのときの苛立ちを思い出したのかウィリスさんの口調が乱れた。私の心中も酷く乱れている。


「1度だけで良いので、会ってみてくれませんか」


 今日メアリーと話したことが、絶対に叶わないと思っていたことが実現しようとしている。


「……はい、分かりました」


 レイモンド・エリントンは二十年も会っていない私の幼馴染みで、私の好きな人だ。







 ▽





 次の日、私は会社から直接昨日ウィリスさんに会った建物まで来ていた。

 仕事中も心ここにあらずという状態だった私はメアリーに体調を何度も心配され、挙げ句の果てには早退させられそうになった。

 メアリーにはレイモンドに会うことを言わなかった。守秘義務があるとウィリスさんから言われた訳ではなかったが、なんとなく時期が来たら言おうと思って。


「待たせてしまってすまない、ミス キャメロン」

「大丈夫ですよ」


 ウィリスさんはやはり少し乱暴な言葉遣いをする方のようで、昨日は慣れない畏まった話し方をしていたらしい。私は何も気にしないので普通に話してください、と伝えたら安心した表情で感謝された。

 ウィリスさんの運転する車に乗り込む。ちょうど雨が降り始めてきた。雨はどんどん強くなってフロントガラスを叩く。これからレイモンドが1人で住んでいるという家に向かうというのに、先行きが怪しすぎる。


「ウィリスさん。あの……エリントンさんは今対人恐怖症なんですよね?」


 二十年も口にしていなかった名前を言うのはなんだか不思議な感じで、口が上手に動いてくれなかった。


「ああ」

「私、会っても大丈夫なんですか?もしエリントンさんに何かあったらどうしましょう」

「問題ないです。彼奴エリントンの方から会いたいと言っているので。むしろ貴女の方が心配だ」

「え?」


 ウィリスさんはフロントガラスの向こうを見つめたまま首を横に振った。


「着きました。俺はここで待っているので帰りたいときは昨日教えた番号に電話をかけてください。それからこれを」


 彼から手渡されたものは多分レイモンドの家の鍵と、キャンプで使ったりしそうな簡易的なランプだった。スイッチを入れると柔らかな小さい明かりが灯る。


「彼奴は強すぎる光が駄目なんだ。それくらいの明かりなら大丈夫らしいから、心許ないだろうが持っていってください」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 車から出て大きな一軒家のポーチに佇む。心臓があり得ないくらい早鐘を打っていた。



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