第2話
それは私達が十八歳の真冬のことだった。
私達はミッション系の女子高に通っており、ユウビはすでに音大への進学が決まっていた。
私はというと著名な国立大学への受験が予定されており、それは父の指示によるもので私の意志ではなかった。
志望校を決める時、私は他の大学を希望していたが、いくらそれが最高学府であろうと名門であろうと父は私が自宅から遠く離れることを許さなかった。
もちろんそれは不満以外のなにものでもない命令だったが、最終的に私を自宅から通える範囲内で、尚且つ父を満足させるだけの名の知れた大学に受験することを納得させたのは他ならぬユウビだった。
私達は子供の頃から部屋を別々にされており、同じ部屋で寝るだとか勉強するだとかはしたことがなかった。けれど私達は父が寝てしまうとどちらかの部屋に行き色々な話しをするのが常だった。あたかも引き離された恋人の逢瀬のように。
その時もユウビは私の受験について、K大受験は賛成だと言った。
「賛成っていうより、そうしてほしい」
とも。
「なんでよ」
私がじろりと睨むと、ユウビはまったく同じ顔、同じ瞳をこちらに向けて、
「だって冗談じゃないわよ。ここに私だけ残されるなんて。そんなの裏切りじゃない」
と、膨れっ面になった。
ユウビは私より感情的で子供っぽい。すぐ拗ねるし、ワガママだ。でもそれは父が彼女をそのように育てたからだ。
「そんなこと言ってもいずれはユウビだって出て行くでしょう」
「行かないわよ」
「だって将来的には留学とかするんじゃないの」
「分かってないわね。そんな才能あるわけないでしょ」
ユウビはそう言うと長い髪を一束細い指に巻き取って弄んだ。
「まったく呑気よね。お父さんも、ソウメイも。身贔屓なんてもんじゃないわ。そんなの単なるカン違いよ」
私は黙って窓辺に近づき、そっと暗い庭を見下ろした。
定期的に造園業者が来ては松や楓を剪定し、ツツジや山茶花、椿といった花木の害虫駆除を行っていくので庭は実に行き届いていて、枯れ枝一本、虫食いひとつない。それはまるでこの世界が完璧であるという証明のようだった。
中でも父が大切にしているのが巨大な桜で、高さといい枝ぶりといい、花の色もそれは見事なものだった。
毎春、父は桜の開花が近づくと決まって縁側に腰掛け、靴脱ぎ石の上で機嫌よく庭下駄をかたんことんと鳴らしながら、蕾が膨らみ、最初の一輪が咲くのを待っている。その情熱は父が年をとるほど痛々しい。衰えていく父と、咲き誇る桜と、育っていく私達。私は無意識のうちにこの世界が実はもう飽和状態にあるのを感じていたのかもしれない。
満開ともなると父は桜の下に毛氈を敷き、花見の宴を催す。花見の為のご馳走を用意するのはもちろん岡田さんだ。そして私達双子は酒宴の余興にピアノとヴァイオリンを弾かされるのが常だった。
今、眼下に見える桜は暗闇の中にそびえている。この桜は幾度も春が来るたびに咲き、散っていく。それだけを繰り返しながら、そこにいる。
この桜はすべてを見ているのだ。私はそう思うとやるせない気持ちになった。なぜだろう。桜の木が私とユウビのそれぞれを知っているような気がする。それと同時に、早くに亡くなった母のことも。
この古くて暗い家に出入りする者はなく、いるのは父と私達双子と使用人の老婆だけ。誰も、何も私達に触れもしなければ干渉もされず、ただ静かにこの家と庭という閉じられた世界で生きているのだ。他にはなにも、ない。
ユウビは床に座って足を投げ出した格好で、いつまでも黙っている私を不審に思ったのか腕を伸ばして手を掴んだ。まるで小さな子供が不安に喘ぐように切実な力で。そして言った。
「ソウメイ、どこにも行かないでよ」
私はユウビに手を取られたまま彼女の眼前にしゃがみこむと、その手を握り返した。
「それじゃあユウビもどこにも行かないでよ」
私達は顔を見合わせて声を殺してくすくすと笑った。
私は、私達が同性でよかったと思った。もしも異なった性であったなら私達は必ず近親相姦に耽っただろう。近すぎる存在ゆえに。自然すぎるほど自然な成り行きで。互いの存在だけが確かであり、縋るべきものでもあるから。
握り締めたユウビの指は細く長く、長年のピアノの稽古のおかげで力強かった。私は内心、その力を呪縛のようにも感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます