第11話

「――セラスの制服姿、なんか変じゃないか?」


 ある日のこと。終業後に帰り支度をしていると、次期商会長様が目を細めながら失礼極まりないことを言ってきた。

 私が働き始めてしまったせいで宿題を見る時間が削られて、彼は学校から帰ると商会に入り浸るようになった。本人曰く、学校の宿題をしながら仕事の勉強もできて一石二鳥らしい。


「変って何よ。次期商会長だからって、職員にそんな酷いことを言っても許される訳?」

「だって、変なんだから仕方ないだろ! 他の職員と違う」

「同じのを着ているんだから、何も違わないわよ」


 商会の制服は地味な色形をしている。黄土色のオーバーブラウスに、同じ色のキュロットパンツ。夏はストッキング、冬はタイツ。靴はヒール3センチ以下の黒いパンプス。デザイン性よりも機能性重視の恰好だ。


「………………セラスだけ、変に太って見える」


 もごもごと言いにくそうに指摘してくる幼馴染に、私は口の端を引きつらせた。彼の言わんとしていることはよく分かっている。太って見えるなんてことは、誰よりも真っ先に私が気付いていたのだから。


 しかし、こればかりは仕方がない。胸が収まるサイズの服を選べば、どこもかしこも大きくなって布が余るに決まっている。同性から唯一羨ましがられるこの胸も、こうなるとデメリットでしかない。胸に布が引っ張られて形は崩れるし、胸の下に小玉スイカが入るくらいの空間が出来上がるため、腹まで膨れて見えるし――冬は冷えた空気が容赦なく入り込んでくるから寒い。


 だからと言って、オーダーメイドで布を切り詰めるのも嫌なのだ。わざわざ胸の大きさを強調するような恰好をして、同性に引かれるのも異性から不躾に見られるのも絶対に嫌だ。

 ――だから、体つきまで平々凡々が良かったのに。顔が普通で体だけご立派なんて、あまりにもアンバランスだ。嫌がらせの対象にしかならない。


「はあ……生まれてくる子は、どうか父さんに似ていますようにと祈るばかりだわ……」

「な、なんでだよ……セラスは飛び抜けて美人って訳じゃないけど、不美人でもないだろ。その……普通だ。普通だと美人よりずっと化粧映えするって、学校のヤツらが――」

「まあ~、慰めてくれているの? ありがたくって涙が出そうね。――でも、そうだわ。まだ15だからと思って遠慮していたけれど、もう社会に出たんだもの……思い切って化粧してみようかしら?」


 子供のうちから化粧しているとまだ早いとか遊んでいるとか、何かにつけて悪い方へ取られがちだ。でも私は子供らしい容貌からかけ離れているし、こうして商会で働くようにもなった。いつまでもスッピンでいると、それはそれで社会人の意識が、マナーがと苦言を呈されるだろう。


 一緒に働く事務員の先輩方からも、度々「セラスは化粧でけるわよ」なんて言われていた。それがお世辞だろうが本音だろうが構わない。先輩に薦められたという大義名分さえあれば、いくらか冒険しやすくなるのだから。


「化粧も良いけど、その制服をなんとかした方が良いと思う。セラスは受付の一員なんだから、商会の顔だろ?」

「ゴードンの商会は、随分と素朴で親しみやすい顔をしているのねえ」

「茶化すなよ。……なんか、もったいないと言うか――せっかく人から羨まれるようなものを持っているのに、コソコソ隠すのは変だ。悪い誤解はセラスにとって得にならないし」


 まだ子供なのに得とかもったいないとか……こういう考え方は、いかにも商人らしかった。次期商会長として順調に育っているという証明かも知れない。

 私は観念して頷いた。私1人の損得だけでなく、受付として雇う商会にとっての損得でもある。商会側の彼が変だと言うなら、正さなければ。


「商会長夫人に相談してみるわ。見た目が野暮ったいから、制服を切り詰めても良いかどうか」

「ああ、それが良いと思う。セラスは堂々としているのが似合うから、背中を丸めているのは見ていられない」


 嬉しそうに笑うゴードンを見て、なんだかかなわないと思った。

 優しいけれど、間違っていることはハッキリと教えてくれる。裏でコソコソと「気に入らない」なんて囁かないし、私に対する不平不満をひっそりとつのらせることもない。

 きっと彼はいつだって私の味方で、背中を押してくれる後援者なのだ。


 ――曲がりなりにもそんな人の下で『経理』になりたいと思うからには、陰に隠れていないで堂々とするしかない。それが似合うと言われたのだから、そうしていよう。


 私はゴードンと別れると、自宅へ戻る前に化粧品店に足を運んだ。

 いずれは化粧したいと考えていたから、商会の先輩方があれが良い、これが良いと話してくれた情報はしっかりと頭に入っているのだ。一通り道具を購入した後、試しにそのまま化粧室を借りることにした。


 化粧というのは、どんな顔になりたいのか詳細にイメージできていれば失敗しないものらしい。散々言って聞かされてきたせいか、私がイメージしたのは美人な女性ではなく父の顔だった。


 ぼんやりとした印象の奥二重は、黒いアイラインで引き締めた方が格好良く見える。やや下向きに真っ直ぐ伸びた睫毛は、長さ自体は悪くない。ただ、どうせならうわ向きにカールした方が良かった。


 眉毛は細くても太くても、瞳と並行だろうと山なりだろうと構わないけれど、形と長さくらいは整えた方が綺麗に見える。

 唇も輪郭がぼやけているよりは、ハッキリと見える色をのせた方が印象が良い。まだ若く荒れていない肌には、軽く粉をはたいておけば毛穴が隠れる。


 出来上がった自分の顔を見た時、私は鏡を見ながら思わず「なんだ、ちゃんと父さんの要素も持っていたのね」と呟いた。


 母に似たとばかり思っていたし、取り立てて美人でもない普通の顔だと思っていた。しかし、ほんの少し化粧をしただけで、見慣れた顔の印象はがらりと変わったのだ。

 ちょっとしたパーツの違い、濃淡や印象の違いだけで、人の顔はこんなにも変わってしまうのかと衝撃を受けた。


 思春期に入ってから、ずっと容姿に対するコンプレックスを抱えていたけれど――化粧という武器を手に入れただけで幼い頃の全能感が戻ってきたような気がする。

 背筋の伸びるような心地になって家に帰ると、意外なことに誰よりも母が喜んだ。


「まあ、セラス、お化粧をしたの? すごく綺麗だわ、そうしているとお父さんにそっくりね!」

「ありがとう」


 父は顔を含めて母のことが好きなので、私が化粧した顔を見ても別段喜びはしなかったけれど――ただ、その日は久しぶりに頭を撫でられた。母に目を細めて見つめられただけで、私の心はいとも簡単にうわ向いた。


「ずっとそうしていなさい。その顔なら、もう誰にも馬鹿にされないもの!」

「……ええ、そうね。分かったわ」


 けれど、上向いた心はすぐにしぼんだ。果たして馬鹿にされないのは私なのか――それとも、「どうして父親似に生んであげなかったの?」と揶揄される母の方か。

 正直複雑な思いはあった。それでも、『商会の顔』としてはこれが正解だと思えたから平気だった。

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