第10話
私は一拍置いて気持ちを落ち着かせてから、悪戯っぽく笑ってゴードンを見下ろした。
「そんな先のことなんて、まだ分からないわ。母さんがいつまで子育てに掛かりきりになるかも分からないし……私だって、商会の仕事にどっぷり嵌っちゃうかも知れないじゃない? まだまだ若いんだし」
「んー……それは、そうかも知れないけど――」
「ゴードンは赤ん坊の世話をしたことがないから、子育ての大変さが分からないのよ。商会のトップに立つなら、もっと働く女性の苦労に対する理解を深めなくちゃね。もちろん、子をもつ男性の悩みにも」
得意げに上から目線で話せば、彼は「随分漠然とした、中身のないアドバイスだな」と言って唇を尖らせた。
――詳細なアドバイスができるくらいなら、きっと私はこんな状況に立たされていない。働きながら子育てする母の大変さ、願いが分かっていれば。働きながら子の様子を見て、子育てに悩む妻の心のサポートまでさせられる父の苦悩を知っていれば。可愛げがないなんて、もっと甘えて欲しいなんて言われずに済んだはず。
私はいつの間にか両親だけでなく、誰が相手でも上手く甘えられない人間になっていたのだ。この優しい幼馴染も、私がこんな些細なことで悩んで揺れていることを知ったら幻滅するのではないだろうか。両親を失望させたと知れば、
そう思ったら、泣き言なんか漏らしていられなかった。両親に見限られたからには他で挽回するしかない。特に彼は私にとって最大であり、最後の砦でもあった。
それから私は、子守ではなく事務員として商会に入った。周りの職員は、なぜ母と入れ替わりで? なぜわざわざ辞めるのか? と疑問に思ったようだけれど、幸いにして商会長夫妻が「高齢出産のため、産後に多大な不安がある。大事をとって辞職する」と架空の訳を話してくれた。お陰で質問攻めにあったのは初日だけで済んだ。
実際、母は私を生んでから15年間妊娠を避けていた。今年で40歳――出産時の母体死亡率は、40歳未満と比べて倍以上にまで跳ね上がる。
以前それとなく妹か弟が欲しいと伝えた際に、両親は複雑な顔をしてできにくいと答えた。だから自分を出産した時に死ぬような思いをしたとか、大変な苦労があったのだろうとか思って、それ以来口にしないようにした。
本音はできにくいではなく、また可愛げのない子供が生まれたら母の心が耐えられなかっただけだろう。
15年も私のことで思い悩むくらいなら、もっと早くに話してくれれば良かったのだ。家族なのに、2人にとって私は家族ではなかったのだろうか。甘え下手なのがそんなにも悪いことなのだろうか。甘えにくい環境をつくったのは、誰だったか――。
家のことを考え始めると、つい自分のことを棚上げして両親ばかり責めてしまう。失敗を過度に恐れて頑なに甘えようとしなかったのは、他でもない私自身なのに。
「15も離れていたら、もう兄弟と言うより自分の子供じゃない? なんかこう……気まずいとか恥ずかしいとかないの? いい歳して頑張っちゃって~とかさ」
「ははは……いやいや、家族仲が悪いよりはマシですよ~」
「……確かに、言われてみればその通りね。セラスって本当に落ち着いているというか、なんというか――」
私と生まれてくる兄弟の年齢差がよほど気になるのか、商会の先輩職員たちはそんなことばかり聞いてきた。気まずいも恥ずかしいも、いい歳してどうのこうのも――そんなことを気にしている余裕なんてない。
家に帰れば毎日毎日、まるで針の
出産を間近に控えた妊婦なのだから、私に当たることでスッキリするなら耐えてやってくれと言われたこともある。父も母も憑りつかれたように「セラスは強い子だから平気」「お姉ちゃんになるんだから我慢して」と繰り返すのだ。
――とにもかくにも、母の代わりで働くことが決まったのだから一生懸命やるしかない。別に給料が親に奪われる訳でもないし、例え家に居場所がなくたって平気だ。私にはこの商会と、人との繋がりがあるのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます