第2話

 先輩が俺のことを知っているはずはないから、俺は先輩のことを知っているとは言わない。

 ただのお隣さんとして挨拶に対応する。


「今日から隣に住む松藤れなです。せっかくお隣になりましたし、歳も近いみたいだから仲良くしましょ。」

「はい・・・まあ俺はあんまり家にいないと思いますけど、お隣さんとは仲良くできたらいいなとは思ってますんで。あと、もし何かあったら言ってください。一応一年ここに住んでいるんで。」

「ありがとうございます。荷ほどきとかあるんで今日はこのくらいで失礼します。これからよろしくね幸村くん!」

「こちらこそよろしく松藤さん。」


 とりあえず最初の挨拶は何事もなく穏便に済ませられた。

 あいかわらずかわいかったけど、最後の幸村くんってのは特にかわいかったなぁ。

 あと私服もおしゃれだったな。

 ふと時計が目に入り、バイトの時間が迫ってきていることに気づいた。


「やべっ、急がねえと間に合わない。」


 バイト先まで全力疾走し、なんとか間に合った。



 ♢



 バイトが終わりスーパーに買い物に行く。

 スーパーに入り、食材を見ていると後ろから声をかけられる。


「こんにちは、幸村くん。」

「えっあ、こんにちは松藤さん。松藤さんも買い出しに?」

「うん。一人暮らし始めるから自炊しようと思ってね。幸村くんも自炊?」

「はい。俺の場合は節約のためですけど。」

「ふーん。ねえ、せっかくだから今日一緒に晩御飯食べようよ。」

「えっ!」


 俺は先輩からの突然の提案にてんぱってしまった。


「急にそんな、それにあんまり知らない男の人といきなり二人きりで食事というのはどうなのかと。」

「大丈夫だよ、幸村くんのことは信用してるし、それに料理教えて欲しいし。」

「なんで俺のことを信用しているんですか?まだ一度しか話したことないと思うんですけど。」

「だって、高校一緒だったし。それに妹から幸村くんのこと聞いてたし。」

「先輩妹いたんですか?」

「えっ、一年も同じクラスだったのに気づいてなかったの。」


 先輩は若干引いていた。


「とっ、とにかく今日料理教えますから。話は家に帰ってからで。」

「ふふっ、そうだね。じゃあ、買い物一緒にしよっか!」


 先輩と二人で夕食の相談をしながらの買い物。

 新婚の夫婦みたいで緊張してしまった。


 アパートに帰ってくると、先輩は一度自分の部屋に荷物を置いてから俺の部屋に来た。

 まさか、家に入れる二人目が先輩だとは。(ちなみに、一人目は悠翔。)

 俺の部屋はそこまで汚いわけではないので、待ってもらったりせずそのまま入ってもらう。


「へえー。けっこうきれいだね。男子の一人暮らしにしては珍しい。」

「まあ、物が少ないですから。それに、週末に掃除してますしね。」

「私も見習わなきゃ。」


 先輩はそれから部屋の中を一通り見て回った。


「お風呂もトイレもベランダもきれいだったね。あっ、そういえばベランダに干してあったパンツ見ちゃった。ごめんね。」

「取り込むの忘れてた。ありがとうございます。けど、俺のパンツ見たんだから、今度先輩のパンツも見せてくださいね。」


 一瞬間があって、先輩の返事が返ってくる。


「それは・・・だめかなぁー。その代わり、料理上手になったら手料理食べさせてあげるよ。」


 俺は洗濯を取り込みながら答える。


「言質取りましたからね。」


 この時、先輩は顔を赤くして照れていた。

 しかし、洗濯を取り込んでいた俺はそのことを知らない。


「それじゃあ、晩御飯を作りますか。」

「よろしくお願いします。」


 初めて見る先輩のエプロン姿は、それはもう尊かった。

 それに、俺が好きな髪結びバージョン。


 はい、最高。


 心の中でそう叫んでいた。


「ねえ、なんで何も言ってくれないの。私のエプロン姿どう?かわい?」


 先輩がとんでもないことを聞いてきた。

 かわいいに決まってる。

 だけど、口に出すのが恥ずかしい。

 心の中では、もう何度も「最高」と叫んでいるけど、現実ではそう簡単にはいかない。

 俺が恥ずかしさと葛藤していると、先輩は追い打ちをかけてくる。


「ねえ、どうなの?もしかしてかわいくないから何も言ってくれないの?」

「違います。かわいいけど、口に出して言うのが恥ずかしくて。ほんとに最高なんですけど。」


 先輩が急に顔を赤くして逸らしたのを見て、自分が何を言ったのか気づき、俺まで顔が赤くなってしまった。

 ちらっと先輩の方を見ると、必死で赤くなった顔を隠そうとしていた。

 その姿がかわいすぎて、俺の視線は釘付けになった。

 先輩を見るのに夢中になっていた俺は、いつの間にか顔は赤くなくなっていた。


「それじゃあ、今度こそ晩御飯作りましょう。」

「うん。」


 二人とも落ち着いてから、今度こそ料理を始める。

 作るのはハンバーグだ。

 中学の調理実習なんかで作られる、いわゆる簡単な料理だ。

 料理を教えてと言われても、先輩がどれくらい料理が出来るのかわからないことには教えられないから、まずは、先輩に一人でハンバーグを作ってもらう。

 もう最初からだめだめだった。

 もう少し、もう少しと見ていたが、さすがにこれ以上放っておくと失敗するという段階でストップをかける。


「先輩、最初から一緒にやりましょう。」

「うー。わかった。」


 俺の言うことを聞いてくれた先輩と一から一緒にハンバーグを作っていく。

 一緒に買い物をした時みたいに、新婚の夫婦みたいに感じられて少し照れくさかった。


 二人で一緒に作ったハンバーグ、先輩が炊いた白米、俺が作った味噌汁、先輩が作った(切った)野菜サラダ。

 これが、今日の俺と先輩の晩御飯。

 机が小さいから机いっぱいに料理が並び、見た目は豪華な感じになった。


「ねえ、妹に送りたいからこれ写真撮ってもいい?」

「いいですよ。」


 食べる前に先輩が写真を撮っているのを見て、先輩との初共同作業作を記録に残さねばと思った俺も慌てて写真を撮る。

 そして、二人ともが写真を撮り終わり、食事に手を付ける。


「「いただきます。」」


 二人で作ったハンバーグは、見た目は変な形になっていたが、味はおいしくできていた。

 これには先輩も同意なようだ。

 とてもいい顔をしてハンバーグを食べてくれている。

 おいしそうに食べてもらえてとても嬉しい。

 それに、久しぶりに人と手料理を一緒に食べたからか、この時間がすごく幸せだった。

 ここ二年感じられなかった幸せを感じられたからなのか、俺の目からは涙がこぼれていた。


「どうしたの幸村くん。だいじょうぶ?」

「えっ、何がですか?」

「だって、幸村くん泣いてるから。」


 先輩の言葉で気づいた。

 俺はご飯を食べながら泣いていた。


「あれ、なんでだろう。ご飯はめちゃくちゃおいしいのに、涙が止まらないや。」


 すっと急に立ち上がった先輩が俺のそばに来る。

 そして、横から俺を抱きしめてくれた。


「幸村くんが何で泣いてるのかは聞かない。だから、今は涙が止まるまで泣くといいよ。誰かと一緒じゃないと、つらさは吐き出せないからね。」


 先輩の言葉が俺の心にゆっくりと入ってくる。

 先輩が俺の頭を撫でてくれているスピードで。

 けっして早くなく、遅くない、ちょうどいいスピードで。


 俺は家族が殺されたと聞いた時も、家族の遺体を見た時も、涙が出ることはなかった。

 それに、ここ二年はほとんど一人で、忙しい日々だった。

 誰かと一緒にいるなんてことはほとんどなかった。

 だから、先輩の言った「誰かと一緒じゃないと、つらさは吐き出せない」という言葉は俺の心に深く刺さった。

 俺は数時間ではあるが、先輩と濃い時間を過ごしたから、人と一緒にいるという感覚を取り戻せたのかもしれない。

 だから、溜まっていた涙が出てくれたのかもしれない。


 涙が流れ出て止まるまで約十分。

 優しく抱きしめてくれている先輩の腕の中で家族のことを、この二年のことを思い返してた。

 落ち着いた心で思い返せたから、自分の中で心の整理がついた。


「落ち着いてきた?」


 俺の涙が止まってきたころ、先輩が優しい声で聞いてきた。


「はい、先輩のおかげで落ち着きました。」

「そっか、それはよかった。」

「あの・・・もう大丈夫です。その・・抱きしめてもらうのも、頭を撫でてもらうのも。」


 先輩は「あっ。」と言って少し恥ずかしそうに手を引っ込めた。


 それから、ご飯の残りを食べ、一緒に後片付けをしてから先輩は自分の部屋に帰っていった。


「もう大丈夫そうだから帰るね。また何かあったら言ってね。あと、明日も料理教えてよ。今日みたいに。じゃ、おやすみ。」


 俺に言いたいことを言って、ウインクしてから。


 先輩がいなくなった部屋は、いつもとなんら変わりないはずなのにとても寂しく感じた。

 そして、俺はまた先輩と一緒にいたいと強く思った。



 



 

 

 


 





 

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