徒然モノクローム⑧
1.分水嶺
これからが地獄。笑顔の言葉は正しかった。
まず笑顔達が去った後、即座に集団リンチが行われた。
これまでの鬱憤を晴らすかのように健は散々にボコられてしまう。
ボロボロになり帰宅した健は築き上げて来たものが全て失われた事実に絶望し……静かに涙した。
そして翌日。頭の中はぐちゃぐちゃで精神状態もまともじゃない。
それでも今、学校に行けばどうなるかぐらいは分かっていたからしばらくは休むことに決めた。
しかし、
『こーんにーちはー♪』
コンビニで食事を買った帰り道に囲まれてしまう。
そう、ずっと動向を見張られていたのだ。健は自分がどれだけ怨まれているかを軽視していた。
またしてもボコボコにされ有り金まで奪われてしまった。
ならば食事はデリバリーでと次の日は外に出なかったが窓ガラスを割られた。
修理しても家に居る限りはまた同じことが起きる。諦めて学校に行き、またボコられる。
『……良い気味だ』
そう呟いたのは教師だった。教師は健への暴行に見て見ぬ振りを決め込んだ。
かつてと同じだが今回に限っては教師だけを責めるのは酷だろう。
健の被害に遭っていたのは生徒だけではなく教師も同じ。
現状はツケを払っているだけとも言えるのだ。まあ教育者としてどうなのかと思わなくもないが教師も人間である。
かつてのように虐げられ、搾取され続ける環境は健の心をざりざりと削った。
親に言って別の場所に? ダメだ。弱みを見せたらアイツらも……魔法が解けてしまう。
そんな恐れが健に二の足を踏ませて動けなくなった。雁字搦めだ。
タイマンから四日。健はもうボロボロだった。
その日も朝から放課後まで嬲られ続けた健はふらふらと帰り道を歩いていた。
早く帰らねばまた暴行を受けるからと足早に家路についたのだが、逃がしてはくれないらしい。
同じ地区の他校生がニヤニヤと笑いながら待ち受けていたのだ。人数は五人。
普段ならば問題なく対処出来ただろうが連日の暴行で弱っている今の健にはどうにもならない相手だ。
悔しさと惨めさにグッと歯をかみ締め俯き、ただ時が過ぎることを待つ健だが救いの手は意外なところから現れた。
「せ、赤龍!? な、何でこんなとこに」
「あぁん? 俺がどこに居ようが勝手だろうが。お前に何か関係あんのかよ?」
ビニール傘を差してチョコドーナツを食べる南に五人はたじろぐ。
そして顔を見合わせ頷くと逃げるようにこの場から去ってしまった。
「チッ。恨みを晴らしてえってのは分かるが群れなきゃリベンジもかませねえのかよ」
情けねえと頭を振る南。
健からすれば結果的に救われた形となるが、ここで素直に感謝を示せるようならそもそもこんな事態には陥っていない。
健はキッ! と南を睨み付け言った。
「……テメェも仕返しに来たのかよ」
「仕返しって。そもそも俺とお前はそこまで関わりがあるわけじゃねえだろ」
結果的に東区をまとめて西区の侵攻に抗うことになったが、そもそも南は支配だのに興味はないのだ。
だから健達が攻め入って来た件についても怨んでいるわけではないしタイマンがお流れになったこともそう。
「お前が警察呼んだってのは……失望はしたが、そんだけだ。それを理由に何かしようなんて気はさらさらねえよ」
「……」
「それよりほら、食うか?」
未開封のチョコドーナツを差し出されるが健はその手を弾く。
「愛想のないやっちゃなあ。ニコは一見愛想がないように見えて案外、ノリ良いのに」
もしゃもしゃとドーナツを咀嚼する南に付き合っていられないと歩き出す健だったが、
「――――ボロボロだな、正に負け犬って感じだ」
「……!」
頭に血が上る。怒りも露に殴り掛かるが今の健の拳に当たるはずもなく南はあっさりと回避する。
「仕返ししてる連中のやり口は気に入らねえが、それはそれ。お前がそうなってんのは自業自得だ」
「……嫌味でも言いに来たのかよ? ええ!?」
「そう喧嘩腰になるなや。つかそこまで吼えられるなら……」
ぽりぽりと頬をかき、南は深々と溜息を吐いた。
「ニコが言ってたぜ」
「何っ」
そこで初めて健が攻撃的ではないリアクションをする。
花咲笑顔は健にとって支配を確立する上で排除すべき対象だった。
こうなってからは自分の弱みを暴露し現状を作り出した憎い相手でもあるが同時にその来歴にシンパシーを感じてもいた。
あの時の顔はよく覚えている。人形のような無表情で、こちらを見る目には僅かな熱も籠もっていなかった。
路傍の石ころ以下。もうとっくに終わったことだと自分の顔さえも忘れているかもしれない。
そんな男が何を? 健の反応を見て南は小さく笑い、答えた。
「今が梅津健って人間にとっての正念場だってな。捨て去りたかった忌々しい過去に逆戻り。
頼れる人間なんか一人も居やしねえ。自分一人で何とかしなきゃならんわけだ。
諦めて沈んじまうか。これまでと同じようなやり方を通そうと更に過激な手段に出て堕ちるか」
もしくは、
「――――這い上がってこれまでとは違う景色を見に行くのか」
今が分水嶺なのだと南は言う。
「ニコはああいう奴だからな。今はもう、お前なんざ眼中にもねえ。
アイツからすりゃあ梅津健なんて人間は自分に噛み付いて来た迷惑な負け犬程度のもんさ。
追い払ったら後はもうどうでも良い。微塵も興味はねえ。なあオイ、お前はどう思う?」
健は何も言わない。無言だ。
「この話を聞いてどうするかはお前の勝手だが一度はやり合った仲だし言わせてもらうぜ。
俺ぁ、これが最後のチャンスだと思うぜ。本当の意味で過去を乗り越えるためのよ」
それだけ言って南は去って行った。
残された健はその背を見つめ、
「……」
強く拳を握り締めていた。
2.解放
中間テストも終わり実に晴れやかな気分だ。
気合入れて勉強しただけあってトップ3は堅いと思う。
……うん、仮にも中身は大人なんだからここは一位確実! って言いたいさ俺も。でもやっぱ中学の勉強侮れねえわ。
それはさておき。俺は今、東区に来ている。何時も三人がこっちにってのもアレだし今回は俺がって感じだ。
やって来たのは東区自然公園。結構本格的なアスレチック遊具もあるかなり大きな公園だ。
「さて、タカミナはどこかな」
ちなみに今日はテツトモは居ない。テツは実家の手伝い、トモは親戚の葬儀で他県に行っている。
タカミナと二人きりというのは初めてで少しそわそわする。
「おーい! こっちだこっち!!」
声が聞こえた方を見やると園内の休憩スペースにタカミナは居た。
テーブルの上に乗っているレジ袋を見るに奴も準備は万端らしい。
俺も覚悟を決めてタカミナの下に向かった。
「……おーし、んじゃ早速始めようか」
「ああ
ドン! とタカミナがテーブルの上に大ジョッキを置いた。
「先手を譲るよ」
「そうか? なら遠慮なく。最初だしな。無難に無難に」
ジョッキにミニ缶コーラを注ぐ。
つまらん、つまらん男やよ。それでも男なん? 信じられへんわ。
だがまあ、初っ端からアクセル踏み過ぎるのもあれだし良かろうさ。
「じゃあ次は俺だ」
俺はここに来る途中で寄ったスーパーの袋からパック卵を取り出す。
そして二つ取り出し片手で殻を割ってジョッキに投入した。
「いきなし生卵!?」
「知らないの? 卵はカクテルとかにも使われるんだよ」
「そ、そうなんか? それならまあ……コーラもカクテルに使うし合う……合う?」
「タカミナ、次次」
「お、おう」
今度は……えー? サイダーて……サイダーて。
ちょっとチキン過ぎるわ。ここはやっぱり俺が攻めるっきゃないわ。
「ではこの豆板醤を」
「豆板醤?!」
「俺はタカミナと違うから。負けた時のことを考えてチキったりしないから」
「お? ゴキゲンだなぁ……ゴキゲンだよォニコ!! 俺はお前に気を遣って優しくしてただけだ……上等、上等だよぉ!! こっからはノーブレーキじゃ!!」
「へえ、青汁か。健康に良さそうじゃん」
完全に火がついた俺達はそれぞれ購入した調味料やら何やらをジョッキにぶち込んだ。
数分後、邪悪としか言いようがない特製ドリンクが完成した。
「……おーし、んじゃあ負けた奴がこれ一気な」
「良いよ。で、まずはどれから行く?」
「俺ぁ地元だからな。ここにも何度も来てる。だから先に選ばせてやらぁ」
そう、これは罰ゲーム用なのだ。
今日は二人で公園にあるアスレチックで勝負しようという話になったのだが、ただ勝負するだけじゃつまらない。
なので負けた方は罰ゲームという取り決めになったのだ。
「OK。ならまずは雲梯で勝負しよう」
「……」
「タカミナ?」
あらぬ方向を見つめたまま反応しないタカミナ。
どうしたと小首を傾げていると、タカミナは無言で顎を動かした。
何だと俺も視線を向けると、
「……アイツは」
入り口の方からこちらに向かって来ているのは負け犬だった。
「よォ、こないだぶりだな。そのツラ見るに――ケケ、そう睨むなや」
この口ぶり……どうやら俺の立てたフラグが成立したらしい。
やっぱり会いに行ったんだな。で、俺が話したことを伝えた。
「花咲ィ……俺とタイマン張れや」
眼帯してたり包帯巻いてたりとちょいボロボロだが気力には満ち満ちているって感じだな。
武器を隠し持っている様子もない。どうやらルートは確定したようだ。
「俺に受けなきゃいけない理由、ある?」
「……ッ」
ここで殴りかからないあたりやっぱ更正し始めてるらしい。
「お、おいニコ……」
「ただまあ、断っても延々付き纏われそうだし条件付で受けてあげるよ。どうする?」
「……良いだろう」
「まずは条件を聞いてからじゃない?」
「何でもしてやるっつってんだ!!」
安請け合いしたばかりに後悔しても知らんからな。
俺は小さく溜息を吐き、タカミナを見た。
「あっちの雑木林行こう。あっこはガキどももあんま来ねえからよ」
公園には子供達も居るのだ。彼らの前で喧嘩はしたくない。
俺達三人は雑木林の奥へと向かった。
「ルールは前と同じだ。良いな?」
「良いよ」
「……ああ」
負け犬――梅津は学ランを脱ぎ捨てロン毛を後ろに流しゴムで縛り上げた。
準備は万端ってか。俺は片手を突き出し、クイクイっと手招きをした。
「すぅ――……おらぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
雄叫びと共に殴り掛かって来た梅津にカウンターのハイキックを叩き込む。
前と同じぐらいの威力で放った蹴りだ。あの時はこれで終わったが、
「う、ぐ……ぉぉ……ま、まだまだァ!!!」
立ち上がった。足は震えているが、その目は死んでいない。
ぎゅっと拳を握り締め、再度俺に向かって来た。
「かは!?」
振るわれた拳を潜り抜けボディに一撃。膝を突く。それでも立ち上がった。
再度、拳を振るう。当たる。倒れる。それでも立ち上がった。
「ごほっ……どしたぁ、俺は……まだ、まだ、元気いっぱいだぜ……!!」
手は抜かない。抜いてはいけない。
別に痛め付けたいわけではない。借りはもう返したからな。
これは礼儀だ。覚悟を決めて戦う男に対する最低限の礼儀。
それから何度も何度も梅津は倒れ、その度に立ち上がった。
だが心は折れずとも肉体には限界がある。
十五度目のダウンで仰向けに倒れた梅津は立ち上がろうとして……立ち上がれなかった。
「まだ、やるかい?」
タカミナは静かに俺達を見守っている。
だから聞くのは俺の役目だ。俺の問いに梅津は、
「…………俺の、負けだよ畜生……」
毒混じりの敗北宣言。しかし、その顔は憑き物が取れたように晴れやかだった。
何を考えているのか、察せはするがそれは俺が言葉にするべきものではなかろう。
「……クッソ……空が蒼いぜ……」
腕で目元を覆い隠し、呟く。
流れ出る澄んだ雫を指摘するのは無粋か。
それからしばし無言の時間が流れるが十分ほどして梅津は立ち上がった。
「ほれ、ドーナツ食うか?」
最近ハマってるコンビニのチョコドーナツを差し出すタカミナ。
「……口ん中、血だらけなのにんなもん食えっか。馬鹿かよテメェは」
「ハッ、口が悪い野郎だぜ」
ふらふらとよろめきながらも脱ぎ捨てた学ランを拾い梅津は俺に言う。
「…………次は負けねえ」
背を向けこの場を去ろうとするが、
「ちょい待ち」
「あ?」
「忘れたの? タイマンを受けるなら条件付きって言ったじゃん」
「チッ……んだよ。何をすりゃ良いんだ?」
「そう難しいことじゃないよ。頼み事は二つ。一つは審判」
「審判だぁ~?」
今日はタカミナとアスレチックで勝負することを説明してやる。
二人でも良いけど、勝負するんなら第三者の判定があった方がやる気出るからね。
「めんどくせぇ……で、もう一つは?」
「味見」
「! ニコ、お前、まさか……」
ぎょっとするタカミナに俺は小さく頷き返す。
「罰ゲーム用のドリンク作ったんだけどさ。それの試飲をして欲しいんだ」
やっぱり味が分からんことにはね?
酷いのは間違いないがどれぐらい酷いのかある程度は知っておきたい。
かと言って俺達がやったら本番が盛り下がる。
第三者のリアクションを見てこれはやべえ!? ってなるのが理想だ。
「やってくれるよね?」
「…………分かったよ」
「ありがと。それじゃあ向こうに戻ろうか」
休憩スペースに戻った俺は梅津にジョッキを差し出す。
異臭がするそれにかなり引いていたが、ここで逃げたら男が廃るとか思ったのだろう。
覚悟を決めた顔で特製ドリンクを呷った梅津は、
「あ、泡吹いて倒れやがった……!?」
…………これは何が何でも負けられないな。
【Tips】
・警察(サツ、マッポなどと呼称される)
主にヒートアップした場を仕切り直す場面で使用される悲しき舞台装置。
現実の警察はもっとしっかりしているので馬鹿な真似は止めておこう。
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