【新作完結&旧作なろう1000Pt達成記念】600年後の後日談~『紅い瞳の奴隷騎士は少女のために命を捧ぐ』『聖女転生物語』~

神崎右京

【おまけ】600年後の後日談

 ぽかぽかと温かな春の日差しが降り注ぐ王都――

 王立教会の見事な宗教画の前で首を垂れて祈りを捧げている、今週六歳の誕生日を迎えた少年少女たちを見て、イリッツァ・オームは微笑ましさに口元を微かに綻ばせた後、そっと礼拝堂を後にする。気配を消して足音を殺して歩く方法は、昔父親に習って自分では十分極めたと思っていたが、この歳になってはるかにその粋を凌駕する隣国の友人に教えを請うたことで、自分の世界はまだまだだったと考えを改めた。

 正直、今の生活を続ける以上、この能力を活かす先はあまりないのだが、もはや趣味の領域なので大目に見てほしい。――何故か、日々鍛錬を重ねて最強の名を恣にしていく美少女を、婚約者はいつも苦虫を嚙み潰したような顔で眺めて諫めてくるのだが。

(『見極めの儀』がある日は、いっつも、密かにドキドキするんだよな……聖女か聖人が出たらどうしよう、って)

 その昔、建国者である初代王が初めて神の声を聴き、人類で初めて光魔法の力に目覚めたという年齢が六歳だったという伝説にちなみ、この国では、六歳になった子供に己の魔法属性を明らかにする『見極めの儀』が義務付けられている。

 光魔法の中でもかなり難しい部類に入る高等魔法の一つ――”他者の魔力制御”を利用して、聖具である水鏡に張られた聖水に向かって、街に一人は必ずいる光魔法の権威たる教会の司祭が子供たちの魔力を半強制的に発動させる。

 僅かな魔力でも、聖水に触れれば水面に属性が顕現する。火であれば炎が、水であれば水柱が――光であれば、眩い光球が。

 男でも女でも関係なく、儀式が行われる個室の中で、司祭の前で全員素っ裸で儀式を受ける。

 身体のどこかに光る”聖印”が浮かぶ聖女――あるいは聖人――としての資格を持っていないかを確認するためだ。

(そういや、昔は、光魔法しか判別できない儀式だと思われてたんだっけ?……最初に他の属性の発見も出来るんだって気付いた人はすげぇな。誰だっけ……えっと、ファムーラの建国者?光魔法の発展の歴史は、近年は殆ど王国の功績だけど、確か昔は、ファムーラの方が圧倒的に光魔法の研究が進んでたんだよなぁ。今の光魔法の基礎は全部ファムーラの研究成果だって言うし。帰ったら、そのあたり、ヴィーにでも聞いてみようかな)

 昔から、神学以外の座学は苦手だった。数十年前に学校の歴史の授業で習った遠い記憶を思い返しながら、当時から大して勉強をしている姿など見たことがないくせに座学の成績は断トツ一番だった親友兼婚約者の顔を思い浮かべ、イリッツァはするりと音もなく教会の外へと踊り出る。

 子供たちが祈りを捧げ終えたら、出てきた彼らに籠の中に用意された菓子を配り、”聖女”の仮面で見送るためだ。判明した魔法属性を磨いて社会の役に立つようにと励ます役割を担っている。

 ――国民を救い、導く、『聖女』の”お仕事”。

(それにしても、今日はあったかいな……ちょっと眩しい……)

 目を細めて太陽の日差しを遮るように手をかざす。

 次第に、子供たちを迎えるためだろう。親たちが教会の前に集まってきた。

 慌てて聖女の仮面をかぶり、”完璧な”微笑みを湛えると、親たちは恐縮したように慌てて、聖印を切って首を垂れる。

(うーん……まぁ、仕方ないけど、やっぱまだ王都の大人たちとは距離があるよな……)

 完璧な微笑の裏側でぼやいていると、ギィィ……と後ろで重たい扉が開く音がした。

「あっ、聖女様!」

「ヨーク。きちんとお祈りは済ませてきましたか?」

「うん!……じゃなかった!はい!」

 最近名前を覚えたばかりの無邪気な王都の少年に笑顔を向けると、ヨークは反射的に答えた後に慌てて言い直す。親に、イリッツァには敬語を使えと口酸っぱく言われているのだろう。

「ヨークの属性は何だったのですか?」

「俺、風だった!騎士団長と同じ火がよかったのに……地味なやつだ……」

 むっと口をとがらせる少年は、どうやら鬼神と呼ばれた救国の英雄に憧れているらしい。

 ついこの間まで住んでいた故郷でも、彼はこうして子供たちに人気だったな、と思い出しながらクスリ、と思わず笑みが漏れる。――最近、あの質の悪い悪童みたいな婚約者が、鬼神と呼ばれていたころとは打って変わってイリッツァを外でも堂々と溺愛するせいで、大人たちの間でまことしやかに幼女趣味疑惑が囁かれているとは、少年には伝えないでおこう。

「そう言わずに。騎士団長の右腕である副団長は、見事な風の魔法使いですよ。先の戦争でも大活躍だったと聞いています。……属性が何か、で優劣が決まるわけではないのです。手にした力を、どういう風に役立てていけるか考え、努力し、周囲の人への思いやりを持って、救いを求める人々と手を取り合う――司祭様に、そう言われたでしょう?」

「ぅ……はぁい」

 少し憮然とした顔で頷いた少年に微笑んで、籠の中から菓子を一つ差し出す。ちょうどヨークの親が迎えに来たようで、見覚えのある中年女性がこちらへやってくるのが見えた。

 よしよし、と頭を撫でてやると、嬉しそうに顔をほころばせた少年は、「そういえば」と声を上げる。

「ねぇ、聖女様。――聖女様の家って、”騎士様の家”なの?」

「は――?」

「こっ――こら、ヨー!余計なことを言うんじゃありません!」

 ベシッ

 無垢な顔で疑問を口に出した少年の後ろ頭を、慌てたように母親が音が出るほどにどつく。

「す、すすすすみません、うちの子ったら、本当に、ほほほほ」

「は、はぁ……?」

 明らかに顔を引きつらせる母親は、どう考えても焦っている。

(もしかして、ファムーラの慣用句か何かか?きっと、ヨークが家で大人たちが噂してるのを聞いて無邪気に口にしたんだろうけど……)

 ヨークは、北のファムーラ共和国から家族で移住してきた移民だ。

 この国は、敬虔なエルム教徒に対する門戸は非常に緩い。信徒であれば移民も歓迎すると国は明言しているから、特に友好国のファムーラからの移住者は、さほど珍しくもなかった。

(まぁ、移住してまでエルム教を信仰したいと思うくらいの家族だから、悪意があっての言葉じゃないと思うけど、帰ったらヴィーに聞いてみようか)

 大陸最北端にある、非常に厳しい自然と共存しながら生きる国に片方のルーツを持つ婚約者の顔を浮かべて、蒼い顔をしている母親への追及は特にせずニコニコと聞かなかったふりで手を振ってやった。

 ぺこぺこと何度も頭を下げながら子供の手を引き、足早に去っていく親子を見ながら、イリッツァはもう一度眩しい日差しに手をかざす。

 ここは、大陸一の宗教国家クルサール王国。

 神の声が聴ける”救世主”が、悪逆非道の暴君を倒して建国した国。

 もうすぐ建国六百年の声を聞こうか、というタイミングで、建国以来ずっといがみ合い続けてきた、隣の軍国主義国家”イラグエナム帝国”との初めての国交樹立に向けて進んでいる国だ。


 ◆◆◆


「……ってことがあったんだけど。”騎士様の家”って、なんだ?」

 昨年の誕生日にもらったネグリジェを身に纏って、風呂上がりの美しい銀の髪を、ベッドの縁に座って風魔法が込められた手持ち乾燥機で乾かしながら、今日も遅い帰りだったワーカホリックな親友兼婚約者にのんびりと尋ねる。

 正直、こんなに長くて鬱陶しく、乾かすのにやたらと時間のかかる髪など、問答無用でばっさり切ってしまいたいのだが、それだけは絶対に許さんとこの騎士団長様に厳命されているので、しぶしぶ伸ばしたままにしている。……剣を振る時も邪魔だから、早く切りたい。また今度、忘れたころに言ってみよう。

「お前は騎士団長だから、まぁ間違っちゃいないとは思うけど、どうにもそういう意味で言ったんじゃなさそうで」

 尋ねるイリッツァの、魔法で生み出された風に遊んでいる銀髪の束を一つ、するりと取って指に絡め、絹のようなその手触りを堪能しながら、英雄――ここ一年くらいは一部の界隈で幼女趣味疑惑がもたれている――カルヴァン・タイターは記憶を辿るように虚空に視線を投げた。

「あぁ……あれだろ。王国で言うところの――なんて言ったらいいんだ。かかあ天下?いわゆる、女房の方がしっかりしてるというか、男が尻に敷かれているというか……そういうニュアンスだな」

「え゛。何、お前、いつの間に幼女趣味に追加して恐妻家の称号まで手に入れたんだ」

「失礼な奴だな」

 ドン引きしているイリッツァに、カルヴァンは半眼で呻く。根底にある親友としての空気感は、こんな風に妻の風呂上がりの髪を夫が弄ぶような甘いシチュエーションでも、全く色っぽい雰囲気にならないから不思議だ。

 カルヴァンは嘆息しながら口を開く。

「恐妻家、っていうのとはちょっとニュアンスが違う。ファムーラ特有の表現で――難しいな。こっちの言葉でぴったりの表現がない」

「どういうことだ?」

「そうだな……そもそも語源は、ファムーラの建国者の逸話だからな。……知ってるか?大陸最初の女君主と呼ばれた初代元首の話」

「あー、あれだろ?『旧帝国の良心』って言われたくらいの人格者なお姫様だったから、エルム様が特別に許してあげて、初代クルサール王も国外追放っていう形に収めたっていう――」

「お前の知識は本当に神学に偏ってるな……」

 随分と偏った形での歴史を騙られ、クルサール王国において唯一ではないかと思われる無神論者であるカルヴァンは、左耳を掻きながら呆れた声で呻く。

 何が神様だ、くだらない――そう思いながらも、この問答をしたところで着地点は見えないので、とりあえず放置する。

 そして、良く回転する頭で、イリッツァが興味を持ちそうな話題のとっかかりを探し、別の角度から説明を開始した。

「お前、歴史上最強の男って誰だと思う」

「えっ!?」

 急にイリッツァのアイスブルーの瞳が活き活きと輝く。

「な、なんだそれ、めっちゃ難しい問題だな……!え、どの観点で!?剣!?魔法!?戦略!?」

「単純な一個人の戦闘能力、っていう観点だ。最強の魔法使いでありながら、最強の剣士でもあった男」

「えぇえええ……めっちゃ悩む……!う、うーん……いや、身内びいきってわけじゃないけど、マジで親父は結構いい線行ってると思うんだよな。いやでも、個人の戦闘能力、って言うなら、ディーを殺るのはホント難しいだろうから、ディーも……うぅー、決めらんねぇ!」

(……いや、近年だけで区切るなら、間違いなく大陸最強はリツィード・ガエルだろ)

 わくわくウキウキと目を輝かせて、何やら嬉しそうに悩んでいる美少女とそっくりの顔をした、かつて『アルク平原の死神』と呼ばれた赤銅色の髪をした少年剣士を思い浮かべて、胸中でツッコミを入れる。

 ……いつも思うが、どうして本人は、こんなにも自分の能力の非凡さに気付いていないのか。

「まぁ、個人の見解は色々あるところだとは思うが――伝説の存在とかを置いておいて、現存する公式の記録の中で『最強』の名を冠するに相応しい男が一人いた」

「誰!?誰、誰!?」

 かつて、『戦うために生まれてきた』と称されたのも頷けるほど興味津々で、イリッツァは齧り付くようにカルヴァンに詰め寄る。今を生きる人物なら、すぐさま一戦を申し込みかねない勢いだ。

「それが、ファムーラの初代元首、ミレニア・ドゥ・ファムーラの夫だ」

「へっ……?」

 ぱちくり、とイリッツァはアイスブルーの瞳を驚いたように瞬く。

「ど、どういうことだよ……さっきお前、”騎士様の家”っていうのは、その初代元首の逸話がもとで、女が強い家をさすって――」

「俺は何も間違っちゃいない」

 混乱しているらしい少女に軽く嘆息して、手触りの良い絹の髪をもうひと房手に取り、堪能する。

「夫の名前は、ルロシーク・ドゥ・ファムーラ。ミレニアが、生涯自分の”騎士”だと言って傍に置き続けた男だ」

「えぇぇ……??待って、よくわかんねぇ」

「王国から出たことないお前にはピンと来ないかもしれないが――ファムーラってのは、男とか女とかあまり関係ない。まぁ、初代元首が女っていうくらいだからな」

「いや、待って、騎士ってどういうことだよ。お姫様はエルム教を信じてないから国外追放されたって俺は習ったぞ」

「そうだな。ファムーラでは、光魔法はクルサール王国と違って、宗教と完全に切り離された技術として日常生活に取り込まれている。”医療”っていう研究が進んでいて、人々を治癒するのは光魔法を駆使する”医師”っていう職業だ」

「???」

「光魔法が迫害されてる帝国には”薬師”の文化があるだろ。その上位互換、みたいなもので、相当高度な治癒に特化した技術って聞く」

「へぇ……?」

 全くピンと来ていない顔の少女に嘆息して話を戻す。

「まぁ、だから、俺たちの国で言うところの騎士――神に仕える戦士、という意味での騎士じゃない。もっと前の、太古の時代にあった伝説上の身分の”騎士”として、ミレニアはその男を侍らせていた。……そもそも、俺たちの国の騎士も、語源はその太古の身分だったと習ったぞ」

 左耳を掻きながら、十五年位前に騎士団の入団試験を受けたときのクソみたいな教本の内容を思い出す。

「なんだったか……報酬や見返りを求めることなく、己の高潔な信念のもとに唯一無二の主を決めて、誇りを胸に生きるだとかなんだとか――そこらへんは、お前の方が詳しいだろ」

「あぁ、うん。その、唯一無二の主をエルム様と据える戦士が騎士団で――だから騎士は、国家のために戦わない。”神の戦力”だ」

「つくづく俺は、なんでこんな仕事をしてるんだろうな……」

 げんなりと、自分の半生が信じられなくなって不機嫌につぶやく。もう三十年以上この国に住んでいるが、何年たってもエルム様とやらの教えには染まれない。百歩譲って、”国の戦力”たる兵団に属していたころの方が気楽だった。

「当時は、まだ光魔法っていうのが未知の属性だった。大陸中にうじゃうじゃいる魔物にも、地水火風の魔法と剣で対抗するしかなかったわけだ。そんな中で、人間同士でも領地をめぐって国同士の争いが起きる、恐ろしい世界だった。今よりずっと優秀な軍師も、指揮官も沢山いた。旧帝国には、剣闘奴隷なんていう、戦いを生業にしている奴隷までいた」

 ごくり、とイリッツァはつばを飲み込んで真剣にカルヴァンの話に聞き入る。

「ルロシークは、その剣闘奴隷の中で伝説と謳われた奴だった」

「伝説……どんな?」

「記録によると、魔封石がびっしり嵌められた枷を両手にかけられた状態でも、普通に炎が出せたらしいぞ」

「は――はぁっ!!?」

 イリッツァは、思わず声を裏返らせてカルヴァンを二度見する。

「長い旧帝国の歴史の中でも、七人にしか手に入れられなかった最強ランクの称号を手に入れていて、剣闘場では無敗の男だったらしい。……当時の記述を見る限り、武器も自由に選べない、防具もつけることは許されない、負ければ死ぬこともありうる、そんな娯楽だったらしいからな。無手でも武器を手に取っても、なんでも器用にこなして、何なら時には枷を嵌めたままで戦って、最強の名を恣にしていた」

「ちょっ……待て待て待て、いや、そりゃ凄いけど、さっきの話、流せないだろ!!魔封石を付けて火を――って、ば、化け物かよ!?」

「記録が正しいなら、化け物だろうな。当時、一時的に旧帝国の魔物討伐隊に組み込まれて働くことがあった、っていう記録があるんだが、その時の指揮官――後に、今のイラグエナム帝国を建国する初代皇帝ゴーティスに、枷がない状態で本気で魔法を使ったらどれくらいのことが出来るのか、と問われて、『帝都を軽く半分程度は焼き尽くせる』と答えたらしい」

「帝都――……って、今の、王都のこと、だよな……?」

「あぁ。当時の帝都と今の王都は、大して面積は変わっていない。――言っただろ。”歴史上最強の男”だって」

 あまりに現実味がなさすぎる話に、茫然とした顔でカルヴァンを見つめる。

 カルヴァンは、いつものように左耳を掻きながら続けた。

「で、だ。そんな、どう考えても人類史上における最強の名を恣にする男が、だ。――唯一絶対の主として、ファムーラ初代元首を頂き、忠誠を誓っていた」

「……な……なんで……?」

「さぁ?最初は、奴隷の身分から買い上げてもらったところから二人の交流は始まったらしいから、そういう契約だったのかもしれないが――まぁ、当時荒れてた帝国の国防のために軍属になれとどれほど魅力的な条件を出されても決して首を縦に振らず、一族の中で冷遇され続けていたミレニアに最後まで付き従っていたというから、単純な契約のためってわけでもないんだろ。当時から恋仲だったのかどうかまでは、さすがに公式記録に残ってはいないが、ファムーラには二人をモチーフにした恋愛創作物が腐るほどある。ミレニアもルロシークも、どちらも絶世の美貌を持っていたらしいから、創作者にとっては想像を掻き立てられるものなんじゃないか?」

「へ、へぇ……」

「そんな、世界最強の男を、ミレニアは『お前』と呼んで、生涯ずっと己に傅かせたらしい。本人は、元首としての能力は申し分なく――大陸史上に残る賢王の名前を上げろ、と言われたら間違いなくトップスリーに君臨するような女傑だったと聞くが、身体能力に関しては人並み以下だったらしい」

「えぇ……?」

「もともと研究だの調査だの、書斎に籠ることが好きなのか、光魔法を飛躍的に発展させた人でもあるがな。……光魔法が戦闘に向かないのは、お前がよく知っているだろう」

「う、うーん……じゃあ、”騎士様の家”っていうのは――客観的に見たら圧倒的に夫の方が強そうに見えるのに、夫が自分の意思で、自分よりも弱い妻に従順に従っている家、ってことか?」

「そういう言い方をすると語弊があるが……恐妻家、よりはニュアンスが近いな」

 苦笑して認めたカルヴァンに、イリッツァはむっと唇を尖らせる。

「……俺、お前よりも弱くねぇし」

「いや今そういう話はしていない」

 戦うために生まれてきた根っからの戦士気質は、どうやら幼馴染の方が強いと世間に思われていることが不服らしい。

 致し方ないだろう。大陸最強の剣士と謳われた昔ならいざ知らず――少なくとも今は、年端もいかぬ美少女の外見をした、国の宝たる”聖女”様なのだから。

「まぁでも、お前が言った通り、悪意はないだろ。――初代元首の夫婦は、滅茶苦茶夫婦仲が良かったことで有名だからな。”騎士様の家”っていう表現は、夫婦仲睦まじくて羨ましい、っていうようなニュアンスも含まれる」

「へ!?……そうなのか!?」

「あぁ。イメージは創作物がもとになってることが殆どだから、史実かどうかは知らんが――元奴隷だったからなのか、主従の関係だったからなのかは知らんが、ミレニアの方から求婚したのに、夫の方がずっと、自分は相手にふさわしくないと言ってミレニアの好意を受け入れなかったっていうのは有名な話だ」

「えぇ!?」

「それを、女の方からぐいぐい行って何とか結婚までたどり着き、ハッピーエンド――っていうのが、出回ってる小説の大半のストーリーだな」

 その昔、母親が創作小説を基にした絵本を読み聞かせてくれたことを思い出す。

 クルサールに国を追放された後、『自由の国を作ろう』と声を上げたミレニアが、仲間を一人一人味方にして、北の大地を目指す冒険譚のような絵本。

 一人一人、癖があるが重要な役割を担う者たちを、彼女の魅力で仲間にしていくのだが――国を出る最初から、ずっと、影のように寄り添う、最強の”騎士”がいた。

 途中、様々な困難に見舞われるが――どんな時も”騎士”が少女を支え、絶対の安心感を与える。

 冒険中は明るく気丈な素振りの少女が、影で悩み、苦しむときは、いつだってそっと静かに寄り添う”騎士”の言葉で前を向いて、再び毅然と歩き出す。

 物語のクライマックスは、ファムーラ共和国の建国。

 どれほど褒めても、説得しても、自分は日陰の人間だ、と言って影のようにどんな時も後ろに控える男に『これからは私の伴侶として、私の隣を歩きなさい』と少女は女帝さながらに命令する。

 そうして建国記念日が、そのまま少女らの結婚記念日となった――そんな、内容の絵本だった。

「実際、王都から今のファムーラまで行軍しようと思うと、かなりの日数がかかる。建国するまで、となると年単位で時間がかかっただろうが――ミレニアは、その間ずっとルロシークを口説いていたらしいぞ」

「へぇ……」

「まぁ、結婚してからも、そのぐいぐい具合は変わらなかったらしいが――何だかんだ沢山の子宝にも恵まれて、家族仲はとても良好だったと聞く。大陸史上に残るような女傑が、その男の前では少女のように恋をして、人目も憚らず惚気たってのは有名な話だな。子供たちが巣立った後も、ミレニアはいつも夫を傍に控えさせて、生涯ずっと離さなかったらしいぞ。――もともと旧帝国出身で、一夫多妻制が当たり前の世界に生きていたはずのミレニアが、ファムーラを一夫一妻制にしたのは、夫が他の女を愛すことが我慢ならなかったからだ、とまことしやかに言われているくらいだからな」

「そんなラブラブだったのか……」

 呆れるイリッツァに、ふっとカルヴァンは笑う。

「そうか。――お前、行ったことないのか。ファムーラに」

「あぁ、うん。昔、お前に初めて聞いたときから、ずっと行ってみたいって思ってたんだけど――聖人だの聖女だのって身分じゃ、暢気に旅行なんて出来るわけないしな」

 少し困った顔で笑うイリッツァの手を取り、軽く引き寄せる。

 ぽすっ……と小柄な身体が、鍛えられた騎士団長の身体に抵抗することなく寄りかかった。

「じゃあ、今度、一緒に行くか」

「へっ!?」

「首都のど真ん中には、ミレニアとルロシークの銅像が立ってるぞ」

「銅像!?」

 少女の細い肩を抱き寄せながら、彼女にとってはまだ見ぬ空想上の国の話を、カルヴァンはくっくっと喉の奥で笑いをかみ殺しながら話す。

 いつか、幼いころ、何度もそうして、狭い世界で生きていた天使のような少年相手に話をしたように。

「二人が互いの瞳の色の宝石を贈りあった、ってのは有名な話だ。宝石がよく取れるファムーラだからこそだとは思うが――”結婚の証”に宝石を入れる文化を造り出したのは、その二人が最初だったって聞く」

「へぇ……!最近流行ってるよな!こないだ結婚式した夫婦も、石付の指輪してた」

 清貧を愛すエルム教徒が多い王国では長らく根付かなかった文化だが、少しずつ移民も増えてきたせいか、近年では、控えめでごく小さな宝石が埋め込まれた指輪を結婚の証として贈りあう夫婦が増えてきたと聞く。

「銅像には、ミレニアの瞳の部分には翡翠が、ルロシークの瞳には紅玉が埋め込まれてて――首飾りと、指輪には、それぞれ相手の瞳と同じ宝石が埋まってる。……あの二人は、あの国では一番有名な理想の夫婦像だぞ」

「へぇ……まぁ、悪い意味で言われたんじゃなくてよかった」

 ほっと安堵の息を吐くイリッツァに、くっと喉の奥でカルヴァンが笑う。

 その面に浮かぶのは、片頬を歪めた悪童のような人を食った笑み。

「市民の期待に応えるためにも、より一層仲睦まじく子沢山だった"騎士様の家"にあやかって――」

「はいはいさっさと寝るぞ!明日早いんだろ!」

 肩を抱き寄せていた手がススス……と怪しい動きをし始めたところで、さっさと慣れた手つきであしらってシーツに潜り込む。

「お前を抱けるなら、俺は徹夜したってかまわない」

「三十路越えのおっさんは徹夜してる場合じゃねーの。若くねぇんだからさっさと寝ろ、馬鹿」

 全く取り合う姿勢を微塵も感じさせない華奢な背中に苦笑して、笑いながら部屋の灯りに視線をやって炎を消す。

「おやすみ、ヴィー」

「あぁ。……おやすみ、ツィー」

 今日も、いつも通りの挨拶をして。

 聖女と英雄は、ゆっくりと眠りに就いたのだった。

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