第59話 東宮妃の怒り
不正を暴いて東宮の力になればと必死になればなるほど、なかなか排除出来るだけの証拠は出てこなかった。喜んでいいのか悪いのか分からないが、あまり不正が多いのも考えものだ。
そうこうするうちに帝が部屋に籠って一か月が過ぎた。相変わらず、帝は部屋から出てくることもなく、時にはわざと毒を摂取し周囲を慌てさせた。
その目的は東宮に皇太后の罪を有耶無耶にさせようとしていることが何処からともなく聞こえてくる。皇太后の威を望むものたちが生き残りをかけて帝を誑かしているのだと別の者は言っている。
宮中は皇太后派と東宮派、中立派となっていた時は何とか留まっていたうっ憤が、少しずつ東宮が大事にしなければこんなことにならなかったと言い出す者が現れて中立を保っていた者たちが皇太后派と東宮派に分かれだしたときから東宮への弾圧が始まった。
それまで帝がいなくても重要な審議は東宮主体で行われていたのが、審議に不参加を表明する者が増えた。そして、東宮廃位論もささやかれ始めていた。
「どういうこと!」
あれほど心を配って後宮内の問題に取り組んでいた東宮を廃位に追いやろうとするなんて言語道断。怒りのあまり部屋を飛び出そうとした自分を紅葉と香奈が必死に止める。
「落ち着いてください」
東宮が信を置く女房ですら怒りを露わにしている。だが、そこは宮中の女房らしく行動を起こすことをしない。
「帝が東宮様を非難なさったそうです」
紅葉の報告を聞いて怒りがこみ上げてきて思わず立ち上がっていた。
隣の東宮の執務室には臣下が二人いたがその二人はオロオロしながらこちらの様子を窺っている。
「どうして帝が東宮様を非難するのかしら?」
怒りを抑えながらも納得がいかない。立ったまま足元に伏せる紅葉に問いかける。
「皇太后様を追いやったことへの非難です。年長の者を敬えないのかと」
「敬えるわけがないでしょう。あの方は今まで何をしたのかご理解いただけていないようですね」
立ったまま握りしめた拳が震えているのが自分でもわかる。怒りの向かう場所がないのだ。
いったいどこまで他人事のように振舞うのだろうか。もっと早くから皇太后を諫めていればこんなことにはならない。それを自分の息子に押し付けて自分は逃げ回っている。卑怯者の所業だ。
昨夜の東宮はいつもより早く仕事を切り上げて就寝した。結局、審議などは大臣たちがそろわなくて仕事にならなかったのが原因だった。
深夜、少し冷えると目が覚めた時、東宮に抱きしめられていた。
雪が降ってきたようで、東宮が女房に頼んで温石を用意してくれていた。抱きしめられながら温かくなった布団の中で東宮の視線が気になった。
「どうかされたのですか?」
「私のところに来なければ、そなたはこんな苦労をすることもなかっただろうな」
寂しく言う東宮の目はどこか遠くを見ているようだった。
「家を継いでも同じだったと思いますよ。見た目だけで中身の伴わない公達を婿に迎えていたかもしれないし、何人もの女人に通う公達だったかもしれません」
何が正しいのか分からないが、中身のない男も無責任に女人に通う男もはっきり言って邪魔なだけだ。もし、そんな公達に当たってしまった時の為に母様は私の色々教え込んだのだと後宮に来て悟った。
「私は肩書だけで中身の伴わない男だ」
「なにを仰いますか。これほど宮中のことを考えておられるのに」
「大臣たちが後見として名乗りを上げている」
「その見返りに姫を入内させると?」
「そうなれば何人もの女人に通うことになる。私はそなたが言う邪魔な存在だ」
「大臣たちの姫の入内は必要なことです。今までの帝もそのようにして宮中で力を操っておられたのでは?」
東宮は黙り込んでしまい、自分も眠ってしまったので答えを聞きそびれていた。
大臣たちが東宮に協力する代わりに自分たちの娘を入内させることは後宮ではいつの世もあることだ。当然、何人かの妃が入内することも想定済みで、そのことに断りを入れなくても大丈夫だと言いたかったが東宮の悩みはそこではないように思えた。
「紅葉殿。弘徽殿女御様は今、どうされていますか?」
「最近のご様子はお部屋に籠っておられて、限られた人のみお会いになっているようです」
騒ぎ立てることなく状況を読んでいるのだろうか。
「香奈。今すぐ、弘徽殿女御様のところへ伺う旨、先ぶれをだして」
「東宮妃様。先ぶれは私が。香奈殿は東宮妃様の衣の準備を」
香奈が動き出そうとして慌てて紅葉が止める。
「紅葉殿。ここからは私が勝手に動いたこと。東宮様の女房であるあなたは関りのないこと。いいですね」
そこまで言うと紅葉も香奈もそれ以上は何も言わなかった。
すぐに香奈は部屋を出ていく。代わりに別の女房が迎えに来て別室に入って衣を着替えた。
着替え終わって香奈だけを連れて部屋を出る。紅葉はこちらを気にしつつ部屋で書類に目を通している。東宮を守りたい気持ちと誰も巻き込みたくない思いが重なる。綾は足早に弘徽殿へ向かった。
弘徽殿につくと女御の傍には三葉の他に二人の女房がいた。
「このような時にお伺いしたことお許しください。どうしてもお願いしたきことがあります」
それを言うと弘徽殿女御は持っていた扇で音を立てて閉じる。それを合図に女房達が一斉に部屋から出ていった。
「香奈。貴方も外で待っていて」
「ですが……」
「大丈夫だから」
渋々、香奈が部屋を出ていくのを見届けて再度、弘徽殿女御を見る。
「どうか。太政大臣様から帝に譲位をお話いただくようお話してください」
深々と頭を下げて一気に話す。
頭を上げる勇気すらない。どんな答えが返ってくるか。謀反と捉えられればそれも仕方がないと考えての行動だ。藁にもすがる思いでここまで来たが、もし駄目だった時のことを考えると怖くて震えてくる。
「それが、東宮妃の覚悟ですね」
恐る恐る顔を上げた。
表情からは何も読み取れない。
「はい。私の出来ることで東宮様をお助けしたいと考えておりましたが、時間がありませんでした」
「時間がない?」
「皇太后様の悪事を暴くためいろいろ調べていますが、決定的な証拠が出てきません。皇太后様の罪がはっきりと示されれば帝もこれ以上庇うことは出来ないと思っていましたが、状況は東宮様の地位も危ぶまれています」
「そうね。皇太后様はとても狡猾で証拠を残さない方。ですが、必ずどこかに綻びがあるはずです」
長い間皇太后の所業を見続けてきた弘徽殿女御の言葉はとても重かった。証拠は残さないが、綻びはある。その綻びを自分は見つけることが出来るだろうか。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは弘徽殿女御だった。
「太政大臣への言付け、分かりました。私からも頼んでみましょう」
「ありがとうございます」
安堵と共にもう一度、頭を下げて礼をする。
部屋を退出するときに弘徽殿女御は偽文のことを聞いてきた。
「偽文を回収しようと考えていたのならそこに何か隠されているかもしれないわね」
何度もその言葉を考えながら麗景殿に戻った。
「東宮妃様。ご無事で」
紅葉が出迎えてくれた。
「何とかなりそうよ。それより、例の偽文はどうなったかしら?」
帰ってきてすぐの問いかけに何かを悟った紅葉は少し考えた。
「確か、東宮様がお持ちだと思います」
「それ、何とか手に入れられないかしら?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます