第11話 華の宮の秘密
目覚めて、周囲を見渡す。
見覚えのない部屋に寝かされていた。
かなり質素な造りで家財道具も必要最低限しか置いていない。
綾は自分の着ている衣を見て思い出した。中務卿と待ち合わせしているときに不審な男と女に会った。それで、どうしたんだっけ。
「宮中からの手紙はまだか!」
男の声がした。
綾は起き上がり、そっと部屋の入り口付近まで行き外の様子を確認した。
「ただいま、確認してまいります」
その声がして足音が遠ざかる。
先程の言葉で気がついていたが後宮の外だと分かった。それも、都でもない。屏の先に見えたのは山だ。あの稜線からして吉野山だろうか。また、遠くまできたものだとため息をついた。どうやって逃げ出そうかと考えていた時、男が目の前に立っていた。
「目が覚めたか。ちょうどよかった。こちらへこい」
そう言って強引に手を引かれて連れていかれた。
さっき自分が寝ていた部屋から少し離れた部屋はこの屋敷の主の部屋と思われるようだ。だた、目の前にいる男の部屋ではないのが一目でわかる。男の服装や立ち振る舞いと部屋の趣がまるで違っていた。
その部屋には赤子を抱いた下女らしい女がいて泣いている赤子を必死にあやしていた。傍には見覚えのある籠があった。
「泣き止まんのだ。なんとかしろ」
この男と赤子の関係が読めないが今は状況確認しないとどうにもならないと大人しく従うことにした。下女から赤子を受け取る。
「先ほど、着替えと湯あみはさせました。あと、食事も少し」
下女が囁くように綾に告げる。
「ありがとう。後で白湯を持ってきてくれますか」
綾はそう告げて、赤子を抱き上げた。
昔、実家で働いていた侍女が子を産んで見せに来てくれたことがあった。その時のことを思い出す。
下女が持ってきた白湯を少し飲ませ、綾は昔、母様が歌ってくれた子守唄を歌うと赤子は暫くして泣き止みすやすやと眠りについた。
眠った赤子を籠に戻し先程の男を見る。
「手慣れているな。お前、どこの者だ」
男の風貌と態度を見て、高貴な身分ではなさそうだ。貴族の使用人のようにも見える。
男の問いかけに答えないでいるとしびれを切らした男は声を荒げた。
「どこの者だと聞いているだろう。さっさと答えろ!」
「承香殿の侍女、高子と申します」
綾は偽りの名を告げると相手は満足した様子で突然笑い出した。
「宮中から逃げ出した罪は分かっているよな。お前はもう戻れない。しかし、私がお前を雇ってやる」
「宮中から追っ手が来ます」
「その心配はない。兵衛督様が私たちを逃がす手筈を整えてくれているからな」
「私たち?」
「そう、私たちだ。私とこの赤子と赤子の母だ」
得意げに話す男は満面の笑みだ。宮中にあんなにも堂々と忍び込むにはそれなりの協力者がいるはずだが、あまりにも稚拙すぎる。
先ほどから宮中からの手紙を待っている様子だが、それもこの男の動きが何処でバレてもおかしくない。それに・・・。
「赤子の母は誰ですか?」
「華子様だ。赤子は私と華子様の御子だ」
華子様とは藤壺女御様のことだろう。それなら目の前の男は誰だ?綾は眉間を寄せた。
「ははは、信じてはいないだろう。だが、あの御子は私と華子様の御子だ。それを知った中納言様が私たちのことを憂いて兵衛督様を説得してくださったのだよ」
綾は籠のほうを見る。先ほどの赤子は一歳くらいだろうか。それと後宮で女が持っていた籠とここにある籠は同じだと考えると、赤子は藤壺女御の産んだ直貞親王に違いない。それがどうしてこの男との子になるのか。
「どうして華子様と知り合ったのか知りたいか」
別に知りたくもないが男は話したくて仕方がない様子だ。綾が何も言わないうちから話し始めた。
「私は元安芸介で兵衛督家に仕えていた源常茂だ。そこで華子様と恋仲になったのだが兵衛督様は帝に言われて仕方なく華子様を入内させたのだ」
使用人と主家の姫様、出会いがそれなら納得も出来るが、どうしたらあの赤子がこの男と藤壺女御の子になるのだろうか。
一瞬、男の話を信じそうになったが、綾は兄からみっちりと教え込まれた内容を思い出す。
確か、安芸介は三年ほど前に着任していて二か月ほど前に突然辞めたと聞いている。それ以前は別の宮家に仕えていた者でその宮家が御取り潰しになった際に何人かの使用人が兵衛督邸に引き取られたと言っていた。その内の一人か。
藤壺様は確か二年ほど前に入内しているはず。それにあの赤子はどう見ても一歳くらいだ。後宮に入ってから関係を結んだのか?
ふと、冬香が言っていた噂を思い出した。
『女御様が密通している』
あれって、藤壺女御のことだったの?
それにしても中納言はどうしてそのことを知ったのか。本当に兵衛督はこのことを知っているのか。疑問がどんどんわいてくる。そして、この常茂の言葉だけでは信じることが出来ない。
気がつくと、常茂は下女に酒を持ってこさせていた。
「ほれ」
盃を差し出されて、酒を注げと言われているようだ。
内心、こんな男に酒を注がないといけないのかとまたしても怒りがこみあげてくるが、ここで酔わせておけば逃げられるのではないかという考えがよぎった。
綾は無言で酒を盃に注ぐ。
煽るように飲み干すのを見て、すぐに空になった盃に酒をなみなみ注いだ。
「もうすぐ、宮中から知らせが来る。そしたら、華子様と落ち合う。お前を乳母にしてやるからありがたく思えよ」
ありがたくもない言葉を聞きながら常茂に無言で酒を注ぎ、下女に酒をどんどん持ってくるように伝える。その隙に部屋の様子を窺いながら、逃げ出す方法を考えていた。
気分がよくなったのか、常茂は下男に逃走用の馬車の準備をするように伝えている。
藤壺様は本当に来るのだろうか。
常茂は来ると信じ切っている。
どうやって後宮から出るのだろうか。女御はよほどのことがない限り後宮から出ることは出来ない。
「本当に華子様は来られるのですか」
ふと口をついて出てしまった。
「あぁ。疑っているのか?ほれ、これを見てみろ」
常茂は懐から文を差し出した。
そこには吾子と共に一緒に暮らそうと書かれている。署名は華子とある。
藤壺様からの文?
「後宮から出る方法が知りたいのか」
「はい。女御様ほどのご身分ですと、そう簡単に後宮を出ることは許されません」
「さすが、承香殿の侍女だな。華子様はこの日の為に心身ともの病んでいると周りに思わせているのだ。兵衛督様は御里さがりを申し出て、華子様は病で亡くなったと皆に思わせて私と都を離れて暮らす予定だ。落ち着く場所もすでに兵部卿が用意してくださっている」
そんなに簡単にいく話だろうか。疑問はぬぐえないが逃げ出すためにも常茂の気をよくしてひたすら酒を飲ませた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます