第5話 麗しの公達
昨夜の捕物帳はどうやら夜盗が忍び込んでいたらしいと朝から侍女たちが騒いでいた。その為、怯えていると勘違いされた綾は今日も弘徽殿に呼ばれた。
部屋に入ってすぐあることに気が付いたが会話の糸口が見当たらなく、いつもの笑みを絶やさないように弘徽殿女御の話に合わせていた。
「昨夜は物々しくて恐ろしかったのではなくて?」
「おかげさまで護衛の方もいらしたので怖くはなかったです」
「夜盗が忍び込んでいたらしいわ。こんな奥深くまで入り込むなんてどうなっているのかしら」
不安そうにため息をつく弘徽殿女御。
綾と一緒に来ている香奈も不安そうな顔を見せている。
今朝、香奈が目覚めたとき綾が香奈を連れて部屋に戻ったと言っておいた。
すべてを知らないことにするには無理があり、その為あの男たちは自分たちを置いて逃げたと伝えた。
香奈はどこまで信じたかは分からないが、恐怖のあまり思い出したくない様子で、それ以上詮索されることはなかった。それよりも夜に出かけたことを後悔していた。
綾は余計な詮索をされないだけマシだとそれ以上の会話は控えた。
「承香殿でも柾良親王の体調が思わしくないのにこんな騒ぎになって心細いのではないかしら」
「柾良親王はお体が悪いのですか?」
初めて聞く話に綾は気になった。
承香殿の皇子、柾良親王は長く弘徽殿女御の産んだ皇子、敦成親王と東宮の座を争っていたと聞いている。
東宮の座が定まった今、命が狙われるのは東宮のほうであって承香殿の皇子が体調を崩すとなると勢力争いに巻き込まれたとは考えにくい。
「そうなのよ。一年ほど前から体調を崩すようになったと聞いているわ。主上も心配されていて、先ほども中務卿が承香殿の皇子のことを知らせに来てくれたの」
綾の視線は弘徽殿女御を見据えた。
「中務卿がどうしてこちらに?」
「主上からのお言葉を伝えに来てくれたの。私も東宮妃も昨夜のことを心配しているのではないかと」
「そうでしたか。私にもお心を砕いてくださり嬉しい限りです」
綾は記憶を総動員していた。ヨリと呼ばれた男は微かに梅の香りがした。そして今日、この部屋に入ったときに梅の残り香がした。
中務卿は確か源高頼。香奈曰く、前の梅薫君だ。
中務卿は梅の香を好んでつけていると聞いたことがある。ヨリと呼ばれていた男は中務卿なのだ。どうりで、自分の顔も身分も知っていたはずだ。妙に納得する綾にさらなる疑問がわいてきた。
(時康ってだれだ?)
「…だからね、何も心配することはないのよ」
「お心遣いありがとうございます」
綾は弘徽殿女御が話しかけていることに気づき慌てて返事をする。
中務卿が昨夜若い男に聞いていたのは検非違使が追っている人物のことだった。中務卿と時康という男は夜盗が忍び込むのを知っていたのか?
私たちは巻き込まれただけなのか?それとも……。
次々と疑問がわいてくる。その後も弘徽殿女御の話に何とか合わせながら半時ほどを過ごし弘徽殿を退出した。
〇〇〇
「姫様?」
綾は部屋に戻っても、いつものように扇子も手放さず、衣も脱がないまま立ち尽くしていた。
私と香奈が昨夜、庭に出たのは偶然に過ぎないはずだ。それとも、庭に出ることを誰かに知られていたのだろうか。
綾は扇子を侍女に渡し、衣を脱いだ。香奈が小袿を持ってきてくれてそれに袖を通す。
いつものように脇息を移動させていると周囲にいた侍女たちみんな部屋を出ていく。
代わりに香奈がこれまたいつものようにお茶を持ってきてくれた。
「ねぇ、昨日の夜のこと誰かに話した?」
綾は小声で香奈に聞く。
「昨夜のことはこの殿舎を警護している方には話をしております。確か少し離れたところから警護すると仰っていましたが……見かけませんでしたよね」
「そうね」
脇息を抱えたまま綾は上の空で返事をした。
やはり、あの時警護はいなかった。もし、警護の者がいたら私たちは二人の男に連れ去られることはなかったはずだ。それは故意なのか。もしかして、自分は狙われているのかと気になった。
東宮に力をつけてもらっては困る勢力がいるということか。
中務卿はどちらの人間なのだろうか。昨夜の様子から東宮妃である自分に害をなす者ではないと思いたい。
東宮の御渡りがなくても綾は東宮妃だ。その綾に刃を向けることはどういうことか分かってやっているのか。
あっ!
綾は別のことを考えた。綾が懐妊していると勘違いしていたら?もっというと東宮に新しい妃をと考えた人物がいたとしたら。
私の存在は邪魔よね。これからは気を付けないといけない。
面倒ごとに巻き込まれたくないと思っていたのだがすでに面倒ごとに巻き込まれていたということか。
夜の散歩もよかったが、これは止めたほうがいい。せっかく外の空気を吸って気持ちがよかったのに仕方がない。
「姫様、大変です」
いつの間にか綾の傍を離れていた香奈が慌てて綾の前まで来る。
「どうしたの?」
脇息を抱えてまま返事をする。
「前梅薫君が、中務卿が来られると、今しがた先ぶれが」
香奈がソワソワしながら綾に告げる。御簾の先に視線を移すとこちらの殿舎に向かうための渡り廊下を歩く中務卿が見えた。
「急いで準備して」
綾はそういうと、脇息を脇におき居住まいを正した。
侍女たちが御簾をあげ、几帳を並べて中務卿の席を準備する。
中務卿は何を話に来るのだろうか。
綾は香奈に渡された扇を広げて顔を隠す。
昨夜はあのように顔を合わせたが、本来は親族以外の男性と会うのは御簾越し、几帳越しが当たり前だ。
扇を少しずらして中務卿が席に着くのを見る。やはり、昨夜の男の一人は目の前の男だ。
綾は香奈に目配せをする。香奈が代わりに話をしてくれるのを待つ。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
几帳の横に座る香奈が中務卿に伝える。
「あまり人に聞かれたくない話ですので」
中務卿の言葉に綾はもう一度、香奈に目配せをすると、部屋にいた侍女たちが一斉に部屋を出ていって、部屋に残ったのは綾と香奈、中務卿の三人になった。
「実は、東宮妃様にお願いがあって参りました」
中務卿は扇を口元に当て含みのある表情を見せた。
綾の眉間に皺が寄った。
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