第4話 犇めく戦慄Ⅰ
仕えていた――実感としては「使われていた」が正しいが――家が文字通り燃え落ちてから半年後。
商隊の馬車に揺られ、初めて訪れたハーヴェス王国は、活気と熱気に満ちた大都市だった。食材が山盛りになった籠を手に足早に歩く人間。喫茶店の軒先で小難しい議論を交わすエルフとタビット。大きな斧を背負った冒険者風のリカント。誰もが当たり前のように生き生きと暮らす光景が、ひどく新鮮に、ともすれば珍妙なものに見えた。
しかし、自分の目を釘付けにしたのは、
「それにしても、予想以上にすんなり認めてもらえましたね。支部一つとはいえ他国の冒険者ギルドですから、もっと警戒されると思いましたが……」
「あの若さで玉座につくだけある、というわけだ。あの度量、俺も見習わなくてはな」
「そろそろ戻りましょう、陛下。クラフトさんがお待ちですよ」
「そう
雑踏の中、連れの女性に楽しそうに笑いかける、一人のリルドラケンだった。
赤茶けた鱗の上に、少しばかり上等なだけの衣服を着た、どこにでもいそうな竜の末裔。しかし、その大きすぎる存在感に、全身の細胞が一斉に沸騰するような心地がした。あるいは、自分がティエンス――他者の内面に敏感な種族であったから、そう感じただけなのかもしれないが。
視線に気づいたのか、竜の男もこちらを見た。東の空に上がったばかりの太陽を思わせる黄色い瞳に、怪訝な色が滲んだのは数秒。明らかな興味と好奇心を浮かべた男は、従える女性の制止も聞かず、ずんずんと人込みをかき分けて近寄ってくる。
はたして、竜の男は言った。
「お前、俺の国に来る気はないか?」
これが、本国――アクルクス飛空帝国建国者にして現皇帝がハニーにかけた、初めての言葉だった。
***
ネサレットの留守を預かっていた折、先日のアイリスとの一件と合わせて、ウィリアムに出自を尋ねられたハニーは、
「その後、本国で数年の下積みをし、ここに派遣されてきた」
思い出話を締めくくり、カウンター席にかける仲間たちを見渡した。自分の話に、皆一様に目を丸くして、ぽかんと呆けていたが、店のドアベルが鳴る音で我に返る。
「あ、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
慌てて席を立つアリエッタの視線の先を追うように、ギルドの入り口を見やる。
「失礼。『
低くも聞き取りやすい、妙に耳に心地よい声で尋ねつつ、編み笠をかぶった青年が入ってきた。かすかに上げた笠の向こうから、黒い瞳がまっすぐに見つめてくる。鋭いというより力強い眼差しは、まるで真夏の太陽のようだ。
この辺りでは見ない服装だな、と思ったのも束の間。ぴん、と獣の耳を立てたイロハが大声を上げた。
「ギンジ! ギンジではござらぬか!」
「おう、イロハ! 久しぶりだなぁ、元気してたか!」
「うむ! どうしてここに?」
「色々あってな。あ、これ土産。キクばあさんの猪肉の塩漬け。お前好きだったろ?」
「これはッ……いただくでござる!」
互いに破顔し、拳を軽くぶつけ合って、親しげに言葉を交わす二人。服装その他から察するに、同郷の知り合いか何かだろうか(いま最も気になっているのは、イロハの独特の口調がコウゲツの里の方言ではなかった、ということだが)。
と、ここで自分たちが置いてきぼりを食らっていることに気づいたのだろう。ぶんぶん尻尾を振っていたイロハは、思い出したように振り返った。差し出された保存食を飲み込み、咳払いの後に微笑む。
「皆の者、紹介するでござる。こちらはギンジ。コウゲツの里の鍛冶師で、拙者の幼馴染でござる」
「初めまして、ギンジ・キラナグニです。イロハが世話になっているようで」
「いえいえ、こちらこそお世話になっております。あ、私はアリエッタと申します。こちらはハニーさんとウィリアムさん。四人でパーティを組ませてもらっております。立ち話もなんですし、どうぞこちらへ」
朗らかな笑顔と礼儀正しい挨拶で応じると、カウンターに近いテーブル席の椅子を引くアリエッタ。ハニーもミルクティーを淹れ始める。旅を終えたばかりの体には、甘いものが効くだろう。
「ご丁寧にありがとうございます。こいつと一緒に働くとか、色々と大変でしょう?」
「それはどういう意味でござるか?」
イロハは目を三角にしているが、本気で怒っているようには見えない。普段から軽口を言い合えるくらい気の置けない間柄なのだろう。こうして眺めていると、仲の良い兄妹のようにも見える。
観察しながらミルクティーを差し出す。会釈して受け取る彼に、ウィリアムが尋ねた。
「鍛冶師ってことは、ウチで冒険者になりたい、とかじゃないんだな?」
「ええ。イロハの手紙を読んで、決心ができたといいますか……」
ギンジいわく、彼はもともと都会暮らしに憧れていたらしい。イロハの手紙を読み、その生き生きした暮らしぶりを見て一念発起して、はるばるコウゲツの里からやって来たのだという。
ちなみに、手紙が届くのが早いことには驚かない。ブルライト地方の主要都市には、森羅魔法【ピジョンメール】を用いて書状を飛ばす専門家――通称「鳩」が数多く存在する。彼らの通信網があれば、イロハの足で二週間かかったというコウゲツの里にも、二日もあれば手紙を届けることが可能だろう。
「部屋が空いてるなら、そこを使わせてもらいながら、工房を開くのにいい物件を探そうと思いましてね」
「かしこまりました。ネサレットさん――ギルドマスターがもうすぐ帰ってくると思いますので、相談してみますね」
「なぁ~んだ、ギンジもノープランでここまで来たのでござるか」
「いや、少なくともお前よりはプランあると思うぞ。あと蓄えも」
「そうですね」
「そうだなぁ」
口を揃えて賛同するアリエッタとウィリアム。二人とも、この建物の前で行き倒れていたイロハとの初対面を思い出しているのだろう。どこか遠い目をしている。
突然(しかも揃って)断言され、きょとんとするイロハだったが、
「ただいま~……って、お客さん? いらっしゃい!」
二人に反応するより先に、高らかにドアベルを鳴らしてネサレットが帰ってきた。大きく膨れた買い物袋の中には、薬草や魔晶石が山のように詰め込まれているのだろう。
すかさず荷物を持とうと駆け寄るアリエッタの背後で、ギンジがイロハに囁いた。
「おいおいイロハ……このギルドってば女子のレベル高すぎねぇか、おい……!?」
「? 拙者も女子でござるが?」
「………………そうだなっ、可愛いと思うゼ?」
イロハの頭を撫でるギンジは、口調も表情もどこかぎこちなかった。
***
ギンジが居候することが決まってから、およそ二時間後。
昼食をとり終えた一同は、『十字星の導き』の応接室にいた。店の奥に設けられた小さな部屋だ。たとえ酒場で吟遊詩人が楽器をつま弾いていようとも、その喧騒が届くことはないだろう。まあ、吟遊詩人はおろか自分たち以外の冒険者で賑わったことすらないのだが、それは言わぬが花というものか。
失礼なことを考えつつ、イロハは食後の眠気を必死にかみ殺していたが、扉が開く音で気持ちを切り替えた。背筋を伸ばし、ネサレットとともに入室してきた人族に目を向ける。
「お疲れさん」
「失礼します」
一人はたびたび世話になっているジンだ。自分の店を抜けてきたのか、藍色の鱗の上に純白の前掛けを着けたままである。隣のウィリアムが笑いを堪えているのは、巨体と清楚な衣装のミスマッチぶりが凄まじいからかもしれない。
その隣に腰かけるのは、二十代半ばとおぼしき人間の男性だ。膝に置いた両手には、指を中心に多くの傷跡が残っている。戦士、ではない。穏やかな眼差しを見れば、彼が戦いに身を置いたことのない人間であることは明白だ。職人だろうか。
想像を巡らせるイロハたちに依頼書を差し出したジンは、青年の肩を軽く叩く。
「ちと急で悪いんだが、こいつの護衛を頼みたくてな」
「エルマーと申します。北区で木工職人をしています」
「依頼書には『カナリーへの往路および復路の護衛』とありますね。里帰りですか?」
書面を走り読みしたアリエッタが尋ねると、青年――エルマーは照れ臭そうに頭を掻きながら、
「実は、故郷で婚約者と式を挙げて、こちらに移住する予定でして」
「まあ! おめでとうございます!」
「つまり、往路では一人を、復路では夫妻を護衛すればいいというわけか」
目を輝かせて祝福する少女の隣で、ハニーが淡泊な声で確認する。頷いて返すのはジンだ。
「聞けば、こないだはマギテック協会の隊商が襲われたらしいじゃねぇか。そんな物騒なご時世に、一人でふらふら歩かせるわけにもいかねぇだろ? あまり大金は出してやれねぇが、馬車くらいは借りてやるからさ」
「まあ、喫緊の仕事がねぇなら……」
と言いつつ視線を飛ばすウィリアムに、ネサレットが肩をすくめて応じた。みなまで言うな、という意味だろうか。すべてを察したような顔でハニーが頷く。
「分かった。引き受けよう」
「うむ。何があろうとお守りするでござる!」
「じゃあ、明日の朝早くには出発してちょうだい。新郎が結婚式に遅れるなんて笑えないし」
「スケジュールそんなギリギリなのかよ」
若きギルドマスターに対するウィリアムの指摘に、さすがのイロハも頷かずにはいられなかった。
***
エルマーの故郷カナリーは、首都ハーヴェスの北東に位置する小さな宿場町だ。守りの剣がない代わりに、駐屯する衛士隊が防衛と治安維持を担っているという。これといって特徴のない、ありふれた集落のようだ。
「では、エミリーさんとは幼馴染ということですか?」
「はい。僕の修行が落ち着くまで、なんて言いながら、ずいぶん待たせてしまいました」
「離れていても仲睦まじいなんて、とても素敵な関係だと思います!」
「ありがとうございます。よろしければ、皆さんも式に顔を出してください。ささやかではありますが、宴を開く予定ですので」
「はい。ご迷惑でなければ、お言葉に甘えさせていただきます」
背後の
出発から二日弱。東の空に顔を出した太陽が、黄金色の光で地を染めている。ここに来るまで野営を二回挟んだが、トラブルや戦闘は一切なかった。予定より早く門をくぐることができそうだ。
「調子はどうだい、大将?」
と、ヒバリの鳴き声と一緒にウィリアムが尋ねてきた。ちらりと背後を見上げれば、彼は幌の天井に腹ばいになり、あくび交じりにこちらを見下ろしている。
「あと三十分もすれば到着する。そこは揺れるぞ」
「幸せたっぷりの新郎トークは、俺の胃にはちょっと重くてね。ここが一番なのよ」
「そうか」
「イロハは寝てるっぽい?」
「そのようだ。今朝まで周囲を警戒していたのだから、無理もないが」
「そうだな……っと、前方に町発見。すぐに――」
唐突に声が途切れた。何事か問おうとした矢先、ウィリアムは御者台の脇のわずかなスペースに、細い体を滑り込ませるように降りてくる。それまでの口調とかけ離れた、警戒心を露にした鋭い眼差しが、彼が感じ取った事態の重大さを物語っていた。
「どうした」
「飛ばしてくれ。煙が上がってる」
『こちらのセンサーでも、微弱な臭気を感知しました。木材が燃えた臭いです』
腰のホルダーから、
「掴まっていろ。少し急ぐ」
後ろへ声をかけつつ、馬たちを加速させた。ぎゃん、とイロハらしき悲鳴が聞こえたが、謝る暇も惜しんで街道をひた走る。
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