第7話
やたら馬鹿そうな声が響く。この声は俺が何度も何度も、ある月では親よりも聞いた声だ。今日は光義が部室を開けてくれたので幸い耳にしていないが、不幸にも今日とて…
「おや、みこっちゃん先生。今日は部活に出席なされるんですね」
彼女の名は山吹美琴。ここ、文芸部の顧問の倫理教諭だ。比較的若い教員ゆえに男子生徒達からの人気は高いが、俺たち文芸部ではその私生活のズボラさが痛いほど伝わっているので魅力など十二分に感じないのだ。教員試験に落ち、数年ニート生活を送ったため、アラサーだが新米教員だ。見た目は、いいんだけど。
「よーっす小野。その呼び方はやめろと言ってるだろ。潰すぞ」
「すいませんでした」
親しげな呼び方をしているくせしてこいつは顧問を恐れている。なら好かれるような言動を心がけろと何度言ったか。山吹教諭は真っ先に俺たちの間に鎮座する用紙に目をつけ、荒々しく拾い上げた。
「なにこれ?なぞなぞ?お姉さんもやっちゃおうかな」
ウキウキで小野を弾き飛ばし、椅子に座る文芸部顧問は、指で上から文章をなぞりつつ、音読していった。どうしてこんなに元気なのだろう。
「正義と公平の象徴?数字じゃなくてテミスじゃないの?知らない?正義の女神」
「知らねえです」
「全く、先生の授業を聞いていないな。今特別講義をしてやろう。まぁ授業で扱ったことないけどね」
世界史の範囲だろう。それは。
山吹教諭はペラペラと語り出す。テミスというのは剣と天秤を持った女神のようだ。司法・裁判の公平さを表す象徴である。らしい。稀にアストライアや、ディケも同等の存在として扱われるらしい。知ったこっちゃない。
「でも、ヒントにはならないな。正義の女神テミスやらディケやらアストライアやら、それらの方向が掴めないのなら意味がない」
「裁判所とかじゃない?あそこは公平・公正でないといけない場所なんだしさ」
うーん。掴めないな。ここら辺の裁判所って言うと駅の、兼六園の近くにある家庭裁判所だ。しかしながらそんな方向があったとしても、この学校内で済む話にはならない。木下はものを指定しなかった。つまり学校内で成立する方向なんだ、と思う。
「それより小野。お菓子ない?低血糖気味だからきたんだけどさ。一服しに。」
「あ、それなら狭山先生が持っていかれましたよ。訓練兵の君たちにこれは早い。と」
「狭山先生か…遼太郎。取り返してこい。」
中にはいいコーヒーのティーバッグも入っていたようだ。犯人はバレていたからこうして持っていかれたのだろうか。
よよよ…と嘘泣きをする山吹さん。こんなのが教員という職についていいのだろうか?
小野はその珍しい様子が見れてすごく嬉しそうだ。残念だが素がこれだ。
「アポとってきましたよー!」
ドカンとなるドア。もう少し優しく部室を扱ってあげてよ…よよよ…泣。
ドアの前には七海と、車椅子に座った狭山教諭だった。
「先輩!?どうしてこんなところに」
がばっと起き上がる山吹教諭は、狭山教諭となんらか関係がありそうだ。年もひとつしか変わらないし。小野と俺は足りないパイプ椅子を補充し、狭山教諭から話を伺うことにした。
「いやー顧問をしている美琴ちゃんが見られて満足さ。高校時代の先輩後輩の中でね。僕の大学についてきたはいいけど遊び呆けて留年しちゃった時はなんと声をかければいいのかわからなかったよ」
はは、と隅で俯く山吹教諭を横目に狭山は話し続ける。いつでもこんな感じにお淑やかでいいんだぜ、俺たちの顧問は。
「木下くん(仮)のことだろう?それなら僕もよくわからない。顔も見たことのない生徒がいきなり申し出てきたものだからびっくりしたよ。授業を担当しているクラスではないのだけは確かだね。」
ちなみに、狭山が受け持っているクラスは一年の半分と二年の3クラス。少ない分特定も難しそうだ。
「こんなものでどうかな。あ、お菓子は職員室から持ってきたよ。はい」
ここで渡すのならなぜ没収したのか聞きたい。
「これくらいかな。じゃあ業務に戻りますか。テストが終わったとはいえ忙しくてね」
嵐のように狭山は帰っていった。
七海はコンピ研にも話を聞いてくるとのことで車椅子を押しながら部室を去っていった。
「いや、謎は深まるばかりでございますね」
「そうですね。光義くん。山吹さんは何かわかりましたか?」
「このなぞなぞについては全てわかっているよ。ヒラ部員諸君。ここで全て明かしてあげようかい?」
「あはは。ご容赦願いたい。これは私たちに与えられた試練でございますゆえ」
三文芝居を繰り広げる俺たち。しかし山吹さんはすでにこの怪文書を解いたというのか?
「本当ですか?先生」
「実際には見にいってみないとわからないがな。方向を示しているということは実際に見に行けるということだ。そこまで遠くはないよ徒歩で十分。というか徒歩じゃないといけない距離だ。校内は自転車通行を許可するほど広くない。おっと」
こりゃ答えになっちまうかな。と山吹教諭は咳払いをした。
「じゃあこの辺で失礼する」
席を立つ教諭に俺はせめてものヒントを頂戴することにした。うーんと唸ってから俺たちが何度か口にしたキーワードをもう一度呟いた。「真夜中なんだ。今」
「今は真夜中だってよ」
「真夜中であることを指定したということは。真夜中でないと見えないものということになるね」
しかし、裁判所、牛、ヤギ、羊はどれでも昼夜問わず目に入れることができる。真夜中に限定するのはおかしい。
「裁判所。じゃないかもしれないよ」
「というと?」
「裁判というのは古代ギリシアからある概念だけれど、他の牛やヤギ、羊と比べると形がなさすぎる。もう一度戻って考え直すべきだと思うね」
なるほど。確かにこの四つのワードが全てテキトーに並べられたものとは考えにくい。正義と公平の概念から導き出されるもの、テミスやらアストライアに関連するものを探せばいいのか?
「おい。こういう時こそパソコンを使えよ。調べ物はそいつの専売特許なんだろ?」
お、と手を叩き光義はあの空間に吸い込まれていった。
「そっちの方がはるかに早いや」
カタカタとピアノを習い始めたばかりのような手つきでキーボードを叩く光義はそれは楽しそうだった。コンピ研に移籍したらどうだ?もう部員は足りているんだぜ。
「見つけた。弁護士のバッジ?とかが出てきたけど」
やっぱりそこに結びつくか。もう裁判所が答えでいいのか?近くの家庭裁判所で。
「テミスの特徴は、天秤、剣。目隠し。」
天秤、剣、目隠し。
「弁護士バッジに刻まれているのはひまわり、そして天秤」
こうなると、天秤が答えなのか?天秤、牛、ヤギ、羊。時刻は真夜中。見えるのは真夜中。
「──!」
俺の中でうっすら浮かび上がっていた点と点が結び合った。星座の如く。
「わかった。方向を表しているのは黄道十二星座だ。それぞれ天秤座、牡牛座、山羊座、牡羊座を表している。」
「おおー。それっぽいね」
そして今を真夜中と仮定した時の方向だ。この際地球の裏側にいる星座などどうだっていい。とりあえず方向だけ出してしまえばいいのだ。中学理科の範囲を覚えているわけもないので光義に黄道十二星座の見える方向を調べてもらい、大まかな方向を定めることにした。
「天秤座、真北。牡牛座、南南東でいいのかな」
「十二分割だからな。そんな感じでいいだろう。
山羊座は西、牡羊座は真南。
「これ、地図で追ったら最後の方が移動距離が少なくなりすぎないか?」
校内であることは確定だ。グラウンドを使うとしても、最後の方はフェンスにガチャガチャとぶつかるだろ。
「まあそこはいいでしょ。とりあえずは地図上に書いておってみればいい」
部室内の学校内地図の資料を探そうと思ったところで学校は午後6時のアナウンスをした。今日はここまでか。いい感じのところまでは進められただろう。山吹教諭のヒントなしじゃここに辿り着くのには苦労しただろう。
「七海に今日の部活は終わったことを伝えてから帰るか」
鞄に今日の成果を詰め込んでから部室に施錠する。
「いや〜こんなに部活に勤しんだのは初めてだ」
「部活内容とはかけ離れているがな」
「いいじゃないか。なぞなぞだって文字を司っているんだ。文学と言わずして何になる」
まぁ、芸術にはどんな形があろうとも構わない。なぞなぞは文学的地位を確立できるのかは謎であるが、そこは迷宮入りとしよう。
階段を上がり、コンピ研の部室を探す。おい、あんな大きなモニタがある場所を俺は知らないぞ。
「コンピ研はラップトップを使ってるんだよ。文芸部のと違って持ち運びができるやつ」
そんなやつまであるのか。てっきり鈍重で動けないものばかりなのかと思っていた。
光義のいうコンピ研の活動場所は明かりが失われていた。方角も方角故に真っ暗だ。
「七海のやつ、ちゃっかり帰りやがったな」
「そうみたい。じゃあ僕は電車だから急がないと」
「俺もだ」
俺たちは暗い校内を後にした。狭山教諭や山吹教諭はいまだに仕事中だろうな。外から見える職員室はいまだに煌々とした光を帯びていた。
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