第5話Dawn of my life was when I was 14 years old.

私の夜明けは、14歳の時だった。


 母は、私は美しくない。と常々言っていた。偉大なるお母様なので、誰も彼女には逆らえなかった。

 美しい、顔がいい人間には言論の自由がある、わたしを殴って蹴って暴言を吐いてもゆるされる。わたしは奴隷だから、不細工な人間だから、性的な侮辱を受けたが、偉大なるお母様は加害者であるところの義理の兄をそっと許した。なぜなら顔がいい義兄がそんなことをするわけない、自分の息子は偉大なる自分が腹を痛めてできた子だから。だから、妾腹、いや、自分自身の妹は頭が悪かったのだから、妹の娘であるお前は妹に捨てられたほどに醜いのだから、と。養母は常々長々と私に取り憑いた。お前が捨てられたのはお前が美しくないからであって、母親には何の罪もない、なぜならお前はみにくいからだ、みにくければ子を捨てていい、お前は生まれてくるべきではなかった、メンタルケアのドクターが「子供を産むべきではない」と言った、それに逆らって生まれたのがお前、妹が産んだみにくい女の子、それが


 カンテノームには見られないよう、慎重に日記を隠す。この日記は、誰も見てはならぬ。誰かが読んでいるその時、それは私が死んだはるか未来だ。

 とは思うものの、わたしはこの文章を電子空間に載せることにした。

 たぶんおそらく、わたしには友達がいない、この先、カンテノーム以外に友達ができることはない、だったら、見知らぬ誰かに読んでもらいたい。

 わたしは、指を動かして投稿する。

 古いアニメを真似すれば「ポチっとな」だ。面白いアニメらしいが、見たことはない。でも、かつてとある言語に影響を与えたらしい。ぶたもおだてりゃ木にのぼるは、そのアニメが由来だそうだ。ふむ?


 私に許されている行為は、生きる死体として呼吸することだ。死体としての生、リビングデッド、ゾンビ映画がこんなにも流行るのもきっと、リビングデッドのような振る舞いを社会が求めているからであって、だから歩くとぶつかる、奇声を発する、人間の言葉が通じない。

 おそらく私は死体なのだろう。誰かが人間として扱ってくれるのは嘘で、本当は死体のように養分も水分もいらない身体になりたい。この世には酒を飲む死体もいるそうだが。

 母は死体だ。育ての母も生みの母も死体だ。だからわたしには母親がいない、これまでも、これからも。

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