その13

 

 

「……ここまで」

「は?」

「わたしが知っているのは、おおよそのところ、ここまで」

 少女が言葉を切った。

 互いに黙って見つめ合い、まるで時が止まった感覚を覚えた。おれは足もとの小鳥が飛んでいったのを機に、手刀をかまえ、少女の前髪にポムと入れてやった。

「おい。肝心なところが抜けてるじゃねえか。その『α11-6』とやらが何なのか明かされてないぜ」

「まあそうだな。しかしここからの話は国家機密。これまでの話も国家機密。──ああいけない。これは大変だっ」

 声音のわりにさして深刻さのない表情をしていた。おれは足を組み替えて問いかける。

「なにが大変なんだよ?」

「あなたは民間人が知ってはいけない重大な秘密を知り過ぎてしまった。つきましては」

「つきましては……?」

「お命、ちょうだいいたしマス」

「アホか」

 ふざけた口調にあきれ、首を落としてため息をつく。ついでにジャケットに手を入れてタバコの箱をとり出し、一本抜いて着火した。

 煙を宙にひと吹きして相手に穂先を向けた。そして先ほどの話から気になったところをたずねる。

「おまえが言っていた美女、つまりヴィスタノッテはその事件の唯一の生存者って言ってたよな」

 キルネはこくりとうなずく。

「じゃあおまえの存在は何なんだ? 二人も生きていたら話に矛盾が生じるぞ」

「あの事件があった年のわたしの年齢は十九。七年経った今も十九。……ぶんぶん岩って知ってるか?」

「よくわからんが、おまえは幽霊か何かってことか。だがおれは霊魂とか信じないタチなんだが」

 タバコを噛んでベンチにもたれると、少女はうつむき、ひらいた手をそっと握った。

「……例えるならわたしは、ほどよいきつね色に焼けたブレッドなんだ」

「いや僧侶の禅問答じゃないんだぞ。もっと具体的に言わんとわからん」

 そうなじると、彼女は青空に目をやった。それからのんびりと流れる雲を眺めて語り出す。

「あの時、わたしは狙撃の体勢に入っていた。けれども視界がゆがんで気を失い、目が覚めた時はハシゴを昇ってゆく大尉に背負われていた……」

 キルネは、「思い出そうにも記憶にない」と視線を落とし、言葉をつづける。

「大尉に他の兵は無事かとたずねると、黙って首を重く振った。そこでわたしはまた意識を失ったんだ……」

「もしかしてだが、敵にやられたキズの出血がひどかったんじゃないか? 過剰出血による意識喪失ってことかも」

「たぶんそうかもしれない。ふたたび気づいた時は、寒風の吹きすさぶ凍土にひとりで倒れていたんだ。そして大尉が管理機関の警備兵に捕縛されて、ヘリで連れられそうになっているのを見た。大尉はわたしのことを訴えていたが、警備兵は相手にしなかった。……それと彼女はもう大尉ではない。事件のことで降級になって現在は少尉だ」

「つまりヴィスタノッテは責任うんぬんで外征部隊を除籍になって、魔獣討伐軍に転属になったってわけか。で、なぜおまえは現地に置き去りになるところだったんだよ?」

「もう助からないと思って、警備兵に見捨てられたんだろうな。誰もが脱出を優先していたことで瀕死の一兵士を救う余裕がなかったんだと思う」

 おれは『ひどい話だな』と口の中でつぶやいた。

「おまえがいま二十六才じゃない理由は何なんだよ。あとヴィスタノッテはどうなっちまったんだ」

「大尉がヘリに押し込まれていたところに突然、何者かが大剣を振って襲いかかってきた。大尉以外は全員斬り殺されて、上空を飛んでいた複数のヘリが先頭からどんどん爆破して墜落してきたんだ。おそらくその襲撃者が零灮の力を使ってやったんだと思う」

 人通りのない田園地帯のバス停小屋のなか、キルネは話を淡々とつづける。

「大尉は、襲撃者である少女に触れられて空間転移して消えた。その数秒後、遠くから轟音が鳴り響いて地面が揺れた。目を向ければ、デラグロウガ島の地表が爆発を起こしていたんだ」

「まさか、アルファなんとかっていう奴が爆発したのか?」

「そのとおりだ。しかし『α11-6』にとって、あの程度のものは極小規模な爆発だ。原因不明だが、その影響でプラントの一帯はすべて消し飛んだらしい」

 少女はまぶたを閉じて口から息をゆっくりと吸った。何かを回想しているようだった。

「その際にわたしは、地下から起こった爆風をこの身に受けた。つまり、まだ科学の技術で精製していない純度の高い光を浴びたんだ。それで──」

 ふいにキルネがおれの指からタバコをつまみとった。そしてめがねを外し、焼ける穂先を自身の瞳に押しつける。

「お、おい! 何やってんだおまえ。トチ狂ったのかよ」

「だいじょうぶ。なんともない……」

 穂先をはなすと、焼けた部分が塗り替えられたようになってすぐに回復した。少女は何事もなかったみたくタバコを返してきて、落ち着いた口調でこう言った。

「まだ加工していない零灮を『極弑虹(きょくしごう)』と呼ぶ。それを程よく受けてしまったわたしはもう、人間ではない。歳は取らないし、食事や睡眠は必要ない。血液だって循環していないのだ」

「おまえにとって、どうなんだ、それは……」

 死期はどうなるのかと思ったが、愚問じゃないかと察して言葉を引っ込めた。

「わたしが凍土にいた場所は偶然にも、丁度いい距離だったらしい。爆心地からもう少し近ければ消し炭か、焼けただれた真っ赤な死体となっていただろう。離れていれば脳が壊れて精神が狂っているはずだ」

「運がいいのか悪いのか、微妙なところだな」

 そう言うと、キルネは自身の手背に視線をそそいだ。おれは彼女の皮下静脈を見て、まだ信じられない気持ちだった。しかし昨夜のハノビとの戦闘がフラッシュバックして、引っかかりを覚えながらも腑に落ちた。

 しばらく沈黙が続いた。

 先ほどからバイクのモニターに腰かけて話を聞いていたパピーが、顔を隠すようにして涙を拭いていた。やがてキルネが話しはじめた。

「零灮の実権を握っている企業グループの親、カイザスアロー社のことは知っているか?」

「ああ。もちろんだ。零灮祭りを実施している会社のことだろ」

 キルネは深くうなずいた。

「二年前、その企業とソルシオル国が合併したんだ。それを機にして今、デラグロウガを起点にあの付近の国が大変なことになっている」

「最近、世間を賑わしているその紛争に、まさか零灮祭りの元締めが絡んでいたのかよ」

「事実は隠ぺいされている。カイザスアローがソルシオルの後ろ盾になっていることは世間に公表されていない」

 それまで平然としていた彼女の声音が、少し切実なものに変わった。

「断言しよう。合併国の侵攻を阻止しないと、もうじき世界を巻き込む大規模な戦争が起こる」

「北極圏から離れたこの国まで巻き込んで、世界戦が始まるっていうのか」

「そうだ。すでに知っているだろうが、北方の国はいくつか侵攻を受け、民間人を含めて酷い状態になっている」

 キルネの静かな目がおれをとらえた。そして微妙な具合に口端だけで笑ったように見え、だしぬけにこんな話を振ってくる。

「ところで。あなたのコトはいろいろと調べさせてもらった」

 と、いったん言葉を切って、外していためがねのふちをなぞった。それからこっちに顔を戻す。

 だが突然、バトルジャケットの胸ポケットで着信音が鳴った。一瞬、間があいたがおれは発信される着メロから相手を察し、ポケットから抜いて耳にあてた。

 やにわに女性の心配げな声が流れてくる。

『もしもし、ロキストールさんですね。今朝パピーさんからお休みの連絡をいただいたのですが、お身体の具合はだいじょうぶですか?』

 バイト先の雇い主であるわたあめ屋の『シフォレトラ』さん(27才)だ。おれは一応すまない気持ちになりつつ声を送る。

「昨夜から普段ありえないゴタゴタに追われていて忙しくてね。なぜかは知らんが非日常な面倒ごとがおれの身に頻発していたんだ」

『そうですか。いま何をしているんです? もう陽はかたむいているのに、まだお家に帰っていないようですが』

「わるいんだけど、ほっといてくれないか? 雇い主だからってそんなことまで聞かれたくないね」

 返事を待たずに電話を切った。しかし間髪入れず着メロが鳴り響いた。

「なんすか?」

『なぜ断りもなくいきなり切るのですか? まだ話は終わっていませんよ!』

「すまんがあとでかけなおす。バイトをクビにしたけりゃ勝手にしろ。じゃあな」

『じゃあな! じゃありません。仕事を休んでおいて何ですかその態度は!』

 ふたたび通話を切り、今度は電源を落とした。……これでもう安心だろう。

 ふと目をやれば、キルネがこっちを見つめていた。

「……いいのか? 相手は勤め先の人なんだろう?」

「べつにかまわんさ。どうせハナから長く勤める気はなかったし、キャリアアップの見込めない安賃金のバイトとか次の仕事のつなぎみたいなもんよ」

「そうか。では今の生活から抜け出すために、新しい仕事に就く気はないか?」

「なんだと?」

 そう問い返すと、少女は静かに一本指を立てる。

「自分のがんばり次第で、わたあめ屋のバイトよりも稼げるぞ」

 おれは『稼げる』といったジョイフルワードを耳にし、少し茜色に焼けた空を見つつ逡巡に入った。しかしまもなく返事をした。

「ほう。わるくはない話だな。で、どんな仕事だ?」

「体力があって、武器の取り扱いに関心があって、『やる気』のある人が求められる仕事」

「要するに、おれに軍隊に入れってことかよ」

 おれのツッコミじみた発言をよそに、キルネが仕事内容の説明に移った。

「基本給は40万ルーニ(円換算すると16万くらい)。賞与や昇給これもやる気次第。あとは歩合制だが……。どうする? やるか?」

「いいぜ。やったろうじゃねえか。兵士の規律は厳しいだろうがこいつは願ってもないチャンスだぜ。しかし軍にも歩合があったとはね」

 おれはベンチから勢いつけて立ち、短くなったタバコの吸いさしを携帯灰皿に押し込んだ。ところがキルネの話は終わらなかった。

「ただし試験が必要。あなたの実力をはからせてもらおう」

 彼女は腰を上げたあと、めがねを衣服の内側に差し込む。

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