その4


 

 それから時は経ち、おれは焚火の前に座って熱いココアを飲んでいた。

 ヤトタカはラップトップのケーブルをバイクに接続して、真剣な目つきでタイピングしながらバグの処理に集中している。実にたのもしい様相だ。 

 ヴィスタノッテは杓子を持って鍋の近くに腰をおろしていた。

 そんな彼女がこっちを見てほほ笑んだ。ちなみに軽装備は解いており、今は最初のラフな格好に戻っている。 

「即製のシチューだけど、もうすぐ出来るわ。ハノビ、お皿とスプーンをとってきてくれる?」

 かたわらで端末を手にパピーと遊んでいた少女が静かに返事をした。首にチョーカーのついた少女はワンピのスカートをひるがえし、テントに向かって歩いてゆく。

 キャンプなのにスカート姿は少し違和感があった。

 背まで伸びた水色の髪はまとめておらず、肌は妙に白くて透明感を帯びていた。さきほど見た他の子ども達とは違った印象がある。

 おれは少女を見送ったあとマグカップを下ろした。

「ところで。零灮娘が死んだという情報が流れているが」

「うん。なんだか街のほうは騒がしいみたいね」

 彼女は淡々とした口調で応え、杓子で鍋をゆっくりとかき混ぜていた。おれはココアの表面に視線を落とし、ふたたび彼女に目をくれた。

「あんた何か知らないか? いや、むしろ知ってるだろ」

「さあ。今日は朝からずっと森にいたから」

 あまり関心のない様子だが、それがあくまで表向きの態度であることをおれは悟り、言葉をつむぐ。

「森にいたとしても警察や軍部とはいくらでも連絡はとれるだろう」

「まあ。確かに」

「で、ここからが重要なんだが、どうも奴は生きているみたいなんだ。知り合いが店ごとやられてね」

「ふうん。そうなんだ」

「あいつは何のためにそんなことをしたと思う?」

 ヴィスタノッテは黙って首をひねった。どうやら話よりもシチューを煮込むほうが大事らしい。

「それとおれは今、『虎の恋は一途団』に命を狙われている。何の前触れもなく住処にやって来て、危うく襲撃を受けるところだった。理由は不明だが誰かが雇ったんだろうな」

「ほうう。大変そうだね」

 間延びした返事のあと、戻ってきたハノビから皿を受け取り、湯気が昇るとろけたシチューをよそう。

 まるで話題をそらすみたいに皿とスプーンを渡してきて、おれは胸に不満が嵩じるのを感じた。

「なんか食えねえ野郎だな」

「野郎じゃないよ。それにまだ嫁入り前のぴちぴちの美女だもの」

 そう言って自身の鼻を差し、少女のようなあどけない笑みを見せた。おれは気をとられそうになったが、そのたわむれる表情をせせら笑う。

「ふん。てめーで言うな。美女とかぴちぴちとか口に乗せてて恥ずかしくなるだろ。……まあいい。何かを知っていても中隊長さんたる立派な役職のお方が、民間人のおれに情報を与えるわけねえもんな」

「へへっ。わるいね。でも殺し屋の件は本当に知らないよ」

 彼女はすまなそうに肩をすくめ、指先でほほをかいた。

「どうだかな。実際のところ疑わしいもんだぜ」

 おれは言い捨てて、スプーンを皿に入れてシチューをすくおうとした。

 その時、上空から低い重厚な音が降りてきて、濃い雲がじょじょに月を隠していった。ヴィスタノッテが空模様の変化に声を漏らす。

「おや?」

「ん、どうした?」

 返事はなく、空を見たまま何やら思案をはじめた様子だ。

 北からもくもくと昇ってきた分厚い零灮雲がそんなに気がかりだろうか? 他の雨雲とは違う特殊な雲が降らす黒い雨などさして珍しい現象ではない。ただ雨よけにどこかに移動すればいいだけだ。

 おれが静観していると、ヴィスタノッテは隣の少女の肩を軽く叩いた。少女は反応せず、微笑をまじえてパピーと『あっち向いてほい』に興じている。

「ハノビ。知らないフリしても無駄よ。雨が来る。もうここはいいから先にテントの中に入っておいで」

「……」

 少女は一度パピーと目を合わせたあと、しゅんと名残惜しそうな表情を見せた。どうやら遊ぶこと自体を中断されたらしい。

 パピーがじゃんけんに勝っていたチョキを物足りなげに下ろした。

 だがおれはテントの中で遊べばいいと思い、端末を貸してやると勧めたが、ヴィスタノッテがかぶりを振った。

「だめなのよ、この子は……。あの雨が来た時は普通の子と同じにしてちゃいけない」

 ヴィスタノッテが退座をうながすようにして少女の腰に手をあてた。少女は物静かに立ち、おれに端末を渡して背を向ける。

 だが突然、少女の様子に変転が起こった。

 全身が妖しい赤の光にふちどられ、殺気めいた気炎をゆっくりと発しはじめたのだ。艶やかな髪が深紫に染まっていき、肌が褐色になった。

 固唾を呑んで見守っていると、ひらいた手から歪な大剣が宙を刺すようにして勢いよく伸びた。

「!!」

 自身の背丈の三倍近くあるその剣を、少女は軽々と一振りし、うつむいた顔の横眼をこっちに走らせる。

 おれはその前髪のかかった異様な面持ちを見て即座に立ち上がった。そしてせっかくありついた手料理を放棄せざるを得ない状況を察した。とはいえ捨てるのはもったいないので熱いのを我慢して一気に平らげた。

「ふぉい。あいつに何が起ほっはんだ!」

「説明はあとでするわ。とにかく戦闘準備をして」

 ヴィスタノッテは予想外の出来事に動揺しているようだ。そこでおれはバイクのことを思い出した。

 よって石くれに腰かけて膝にのせたパソコンを叩いているらしきヤトタカに声を飛ばす。

「おい! 修理はいったんあと回しだ。そこに置きっぱなしでいいからどこかに逃げろってなんでお前まぶたを閉じて眠りこけてるんだ!? 鼻ちょうちん咲かせてヨダレ垂らしてんじゃねえよ。妙に静かだと思ったら熟睡してたのかよ。つーかさっきの景気のいいセリフは何だったんだ」

 おれの怒声にヤトタカは頭を上げ、目をぱちくりと覚ました。

「ああっ。ごめんよ。修理に夢中になっていたら昼間の疲れがどっとやって来て、脳内にただようメラトニンに負けてしまった……」

「ばかなこと言ってんじゃねえ。さっさと避難しろ」

「わかった」

 ヤトタカが首にかけたホイッスルを目一杯に吹き鳴らした。すると、テントでまちまちに過ごしていた子ども達が元気に飛び出してくる。

 避難誘導はバイクに乗ったヤトタカに任せることにして、おれは端末を胸ポケットに仕舞い、レールガンを背負って腰のホルスターから拳銃を抜く。

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