その2


 ──数分後。おれは酒と香水くさい夜の色町を走っていた。

 煌びやかな衣装に身を包んだ娼婦と立て続けにぶつかり、うしろから罵声が飛んできたが、かまわず風を切って駆けつづけた。

 やがてネオンの映えるレンガ造りの建物のあいだにある路地を折れた。

 オーバーコートにフードを目深にかぶった女とすれ違ったあと、新聞紙にくるまって横臥していたホームレスの群れにつまずいた。足をとられて派手にすっ転んだが、すぐに勢いを生かして身を起こし、体勢を整えてふたたび駆けまくった。

 そしてとある一軒の店でブレーキをかけ、息せき切って木製の看板を見つめた。

 ──≪パペット・パープル・パラダイス≫。

 ここは占いを兼ねた安い酒の並ぶ飲み屋である。

 おれは他の建物とは浮いた葦簀張りの店に入るなり店主に声を張った。

「おい! いちばん強い酒をよこせ!」

 言うなりおれは異変を目の当たりにしておののいた。

 なんとおれの元カノの親友である『ロッタン・ピープ』が床に倒れ伏し、あたりには占い用の道具と酒類が散乱していた。余談だがロッタンは外見については占い師の衣装をつけた褐色の女性だが、性別は男性である。

 かたわらには客らしきセーラー服の熟女が、でっぷりとした腹を晒してあお向けのまま大の字になって事切れていた。

 おれはすぐさまロッタン・ピープの肩をゆすった。ほどなくして彼女(?)は苦しげなうめきを漏らし、まぶたを重そうにひらいた。

「うう。……あ、あら。ロキストールじゃないか」

「どうしたんだ! いったい何があった?」

 どうやら全身を打ちつけたらしく、おれが上体を起こそうとすれば拒否するように首をふる。

「あいつが、あいつが店にやってきて、いきなり零灮の技をつかって襲い掛かってきた……」

「技だと? 技ってどんな技だ? それに、あいつっていったい誰のことなんだ?」

 責める物言いに、ロッタンは一度まぶたを閉じて、また重々しくひらき、食いしばっていた歯を解いた。

「零灮娘だ」

「なに? 零灮娘だと!?」

 一瞬耳を疑ったが、ロッタンは間違いなくその名を口にのせた。そしておれの手を握って言葉をつづけた。

「コートを着た女が、突然入ってきて……フードを上げてほほ笑んだ瞬間、私たちはタンクローリーに跳ねられたみたく吹き飛ばされた」

「それは本当に零灮娘だったのか?」

「ああ。間違いない。あいつは……、あいつはこの世界の人間じゃない。そもそも人間かどうかもわからない……」

「おい。おまえは何を言ってるんだ。もしかして頭を強く打ったことで思考が混乱しているのか?」 

 ロッタンは「違う」ときっぱり断じ、おれの目を強く見つめて唇を小さくふるわせた。

「私は知っていた。……あいつは別の世界線からやってきた、異次元の、旅……人」

「いや待ってくれ。零灮娘は死んだとさっき聞いたぞ。おい、どうした? よく分からんが、とにかく詳しく話せ」

 だがそれ以上、唇が動くことはなかった。

 握っていた手がはらりと胸に落ち、強張っていた身体が弛緩して頭が横に向く。

 肩をどれだけゆすろうと無駄だった。脈はなかった。らちが明かないのでおれは立って悔しさと悲しみまじりのため息をこぼした。

 そして店の奥で傾いた酒棚から一本を選び、ロッタン秘蔵のドブロク(アルコール度数96度)のボトルをつかんだ。スクリューキャップをひねって床に落としあごを上げて一気にあおる。

 飲み切れなかった分は、とむらいの意を込めて遺体にふりかけた。ついでにセーラー熟女にもかけてやった。

 妙に外が騒がしく、何事かと覗いてみれば、路地の向こうで厳しい顔つきの警官たちがせわしく駆けて行く。立ち止まった通行人が不安な目を向け合って何やら言葉を交わしていた。

 おそらく他の場所でも物騒な事件が起こったらしい。

 突如、建物で視界の狭くなった上空からエアバイクが垂直降下してきた。

「大変よ! さっきうちに銃や刀で武装した男の集団がやってきたの!」

 スローで着地したバイクのモニターから、『パピー』が手振りをまじえて訴えてくる。

「ロキストールがレンタルしてきたエロBDをバイクのモニターにダビングしていたら、急に小屋のほうが騒がしくなってきて」

「まさか武装したその男たちはおれの命を狙いに来たのか!」

 パピーは興奮したように深々とうなずき、こぶしを縦にぶんぶん振った。

「どうしよう! 途中でダビングを止めたからエラーが出てバイクのモニターがバグってきたわ! さっきエッチな映像に夢中になっちゃってて殺し屋が来たことに気づかなくて、ずっと画面をまじまじと食い入るように観てたから……」

 バイクのモニターには、ノイズのブロックが走り、円盤の中で熱く火照った肉体を絡ませる人と宇宙人のエロシーンが表示されていた。

「おい。殺し屋っていうのはまさか胸に猛虎のマークが入った野戦服の連中か?」

「そうよ。『虎の恋は一途団』が徒党を組んでやってきたの!」

 その名を聞いた瞬間、戦慄が暗い澱となって心中に染み渡ってきた。

「くそ。どんな理由か知らないが厄介な奴らに目を付けられちまったぜ」

 おれはレンガの壁を蹴った。

 おそらく留守に憤慨した殺し屋どもは今頃、小屋を烈火のごとくめちゃくちゃに荒らしているだろう。

 それに一度狙ったターゲットは確実に仕留めるまで地獄の果てだろうと追いかけてくる連中だ。これから先、『虎の恋は一途団』との抗争は確実に避けられない事態となってしまった。

 バイクの左右のスピーカーから再生声が大音量で出力され、耳を塞ぎたくなるほどのやかましい喘ぎ声があたりに響く。

「ねえロキストール! スピーカーの音量調節ボタンをどれだけ押してもボリュームダウンできないの! 修理に出さないとこれバイクのプログラムに不具合が発生しているわ! このままだとエロBDのデータにどんどん浸食されていく!」

「よし。じゃあ今日は一旦ウベスティーニの店に避難するぞ!」

 おれはバイクにまたがり建物の屋上を超えるまで一気に上昇した。明るいネオンの先の景色を睨み、スロットルを捻って加速する。

 そして目的地を一直線に目指した。スピーカーから流れるエロシーンの高らかな嬌声を夜空に響かせて──。

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